141 / 179
67
扉の奥はラウンジになっていた。
関係者以外立入禁止の場所、というわけでもなさそうだ。ラウンジの奥、大きなソファーに腰を掛けたノクシャスは「座れよ」と口にする。俺はそのままそろりとノクシャスの隣に腰を下ろした。
「ノクシャスさん……」
「あいつのことが聞きたいんだろ? 何があったのかって」
小さく頷き返せば、ノクシャスは呆れたような顔をして俺を見ていた。それも数秒の間だ、じっと見詰め返せば、ノクシャスは諦めたように肺に溜まった空気を吐き出す。
「まあいいけどよ、少し調べりゃ出てくるような話だ」
そして、ノクシャスは語り出すのだ。
デッドエンドがこの会社をクビになったのは二年前だという。
デッドエンドがこの会社で働きだして三年が経とうとしていた頃だ。
「あいつの能力はお前も知ってんだろ」
「任意のものを爆弾に変えて、任意のタイミングで爆破することができるとお伺いしました」
「ああそうだ。――それと、その威力も変えることができる。中々ねえ能力だ、使いようによってはなんでもできる」
「けれど、ここに来たばかりのあいつはそのことに気付いてねえほどガキだった」ただド派手に爆発させるだけでなく、小さな爆発で鍵を壊すことも出来る。火力を調整すればその爆風も利用できるだろう。
そう、ノクシャスは続けた。
「だから能力の幅を広げりゃ仕事の幅も増えるだろ。だから、それを教えてやった。あいつは素直なやつだ、俺の教えたこともどんどん吸収していった。周りからも期待されてたし、正にこれからだって時期だった」
そんな時だったという、社内にある捕虜収容エリアが襲撃されたと知らせを受けたのは。
物々しい名前ではあるが、今でいうサディークたちが収容されている場所がそこだという。
「襲撃っつってもそんな大袈裟なもんじゃねえ、狙われたのは捕虜一人だ。――けど、その一人がまずかったんだよ」
特殊な牢に収監されていたその捕虜は襲撃により逃げ出した。
そのときの状況や記録、全てに残っていたのがデッドエンドという。
「データも改竄されてた形跡もねえし、目撃者もいる。あいつが現行犯なのは疑いようが、あいつはそれでも『自分ではない』と言い張った」
「そ、れは……」
「あいつは嘘は吐いてねえ。そこまで器用じゃねえし、それでも、だとしたら考えられる可能性は一つしかなくなる」
――何者かに操られている可能性。
デッドエンド本人ですらその洗脳に気付いていないとなると、この先デッドエンドをこの会社に置いておくのは危険だという判断に陥ったのだろう。
「そのことは、デッドエンドさんはご存知なんですか? 洗脳だって……」
「あいつは認めなかった。最後まで自分ではないと言い張っていたしな」
「……そうだったんですか」
それは濡れ衣になるのか。それとも、本当にデッドエンドではなかったのか。
「どちらにせよ、鍵にはあいつの能力を使った形跡はあった」とノクシャスは続けた。
「正直な話、あいつの能力を野放しにしておく方が危険って意見もあったが、そんときばかりは逃したやつも最悪だったんだよ」
「その、逃げ出したのって……」
「平社員に話せるのはここまでだ」
「え……」
「え、じゃねえ。当たり前だろ。いくらお前でも首を突っ込んでいい内容じゃねえ、この先は」
そんな、と思ったが、確かにこれ以上知って下手に漏洩してしまったときのことを考えると触れない方がいい気がしてきた。
「とにかく、うちにとっては大痛手だった。それに加担した可能性もあるデッドエンドをここに置いたままにしておくわけにもいかない。……けど、クビで済ませたのはボスの優しさみたいなもんだ」
ノクシャスが口を紡ぐほどの相手を逃したということだ、下手したらもっと大変なことになっていたかもしれないというのに。
確かに、そういう考え方もあるのかと思った。
「野放しにすりゃ、誰があいつを操ったのかも分かるんじゃねえかと思ったが……結果は謎のままだ。取り逃した挙げ句、収容エリアのセキュリティ強化するハメになったし、そんときは一時期社内もピリついてたな。まだ他にもこの社内に裏切り者がいるんじゃねえかって――」
「ええ、まさに今回とよく似た状況でしたね。ノクシャス君」
すぐ側から聞こえてきた柔らかい声に思わず飛び上がりそうになった。振り返れば、そこには安生がいた。
その手にはラウンジのカウンターでもらってきたらしいコーヒーカップを片手に立っている安生。そんな安生を睨み、ノクシャスは面倒臭そうに舌打ちをした。
「安生、てめえもう戻ってきやがったのかよ」
「ええ、お陰様でね」
「あ、安生さん……」
いきなり現れた安生に驚くのも束の間、俺は安生から借りていた腕時計のことを思い出した。
俺を危機から守ってくれるだろうという腕時計、そのお陰かは分からないがお陰でサディークに秘密の内容を読み取られてしまいそうになったとき、なんとか最悪の事態は免れることはできた。確証はないが、あのとき毒電波が流れたときの状況を考えるとやはりこの腕時計のお陰としか思えなかったのだ。
「あの、安生さん。この時計、ありがとうございました。お陰でなんとか助かりました」
「ああ、それはよかった。サディーク君から助けてくれたみたいですねえ、それ」
何気なく口にする安生。何故知ってるのかと驚けば、安生は「彼とは直接お話する機会がありましたのでね」と安生は続ける。また安生に心を止まれてしまった。というか、俺が分かりやすすぎるのか。
「なんの用だよ、ボスの説教は済んだのか?」
「おおっと、早速痛いところついてくるじゃありませんか、ノクシャス君。……ええ、まあ一応説教自体は済んだとだけ伝えておきましょうか」
「す、すみません安生さん……俺がもっと上手くやってたら……」
「ああ、謝らないでください。君はとてもよくやってくれましたよ」
こちらへと向き直り、へらりと笑う安生。そんな安生を睨んだノクシャスは「おい」と低く唸るのだ。
「おっと、そんなに警戒せずとももう良平君には無茶なお願いはしませんよ」
「あったり前だろうが!」
「まあ、したくても暫くは出来ないと言いますか」
「それって……」
何かあったのだろうかと見上げれば、安生は髪をぐしゃりと掻き回す。「なんというますか、まあ、ボスからの説教は終わったんですが」と言葉を濁す安生。
「暫く出張することになりまして、一応それについて君たちも挨拶しておこうかと顔を出したんですよ」
「別に、ただ君たちの会話を盗み聞きしようとしていたわけではありませんからね」念のため言っておきますが、と安生は続ける。
安生が出張。普段から神出鬼没な分忙しいんだろうなとは思ってはいたが、わざわざこうやって挨拶に来るということはよっぽど大変な仕事なのだろうか。
「ああ、そんな顔をしないでください。出張とはいえ、ノクシャス君やナハト君たちのようにハードなものではありませんので」
「出張っていうか左遷だろ」
「さ……左遷……っ?!」
「おっと、ノクシャス君。流石にそれは人聞きが悪いですよ」
「え、あ、安生さん……もう会えなくなるんですかっ?」
驚きのあまり声も裏返ってしまう。まさか、俺とのことで兄とそんなに揉めたのかと青ざめれば、「そんなことはないですよ」と苦笑混じりに安生は即否定した。
そして、「まあ、別に君たちには言ってもいいでしょう」と安生は俺に目を向けた。伸びっぱなしの前髪の下、安生は微笑むのだ。
「良平君、君がボスに頼み込んだんですよね。サディーク君たちの故郷に暮らす彼の家族の話を」
「は、はい……ってことは、もしかして……」
言い掛けて、ハッとする。確かに兄はサディークたちが目を覚まし次第確認するという話をしていた。場合によっては視察を送り込むという話もだ。
「ええ、そのもしかしてですね」と安生は微笑むのだ。
「先遣隊に合流して暫くそちらに滞在することになりまして」
「滞在って、まさか……」
「ボスも大概人が良いですからね。……血筋なのでしょうか、『そろそろ支社を考えてもいいかもな』なんて簡単に言うんですから」
支社、という単語に思わず「え」と声が漏れた。ノクシャスは「なるほどな、ボスらしいな」と笑う。
「し、支社って……」
「おっと、これはここだけの話でよろしくお願いしますね」
視察に安生のような立場である人間を送るなんて、と思ったが安生の漏らした言葉に納得する。
まだ断片的に聞いただけで確定したわけではない。それでも、スラムの人たちが仕事に困らないように土台を作る、ということなのだろうか。
そのために安生を送るなんて、兄の様子からしてどうなのだろうかと心配はあったが、ちゃんとこうして行動に移してくれる兄にじんわりと胸の奥が熱くなった。
「あ、ありがとうございますっ、安生さん! よろしくお願いします……っ!」
「おお、ようやく良平君に笑顔が戻りましたね。ずっと会えないわけではありませんし、本社で会った時はまたよろしくお願いしますね。良平君」
「はい……っ!」
まだ始まったばかりとはいえど、いち早くサディークやカノンに報告したいという気持ちでいっぱいいっぱいだった。安生にぺこぺこと頭を下げれば、安生は小さく笑ってそれからそのまま俺の隣に居たノクシャスに目を向ける。
「……というわけで、暫くボスのことをよろしくお願いしますよ、ノクシャス」
「問題ねえよ。つうか、アンタはテメェの心配しとけよ」
「はは、私も久しぶりの現場仕事ですからね。デスクワークばかりでしたから大分鈍ってると思いますが」
「丁度いいじゃねえか、ボケ防止にもなるぞ」
「君は相変わらずですね」
「それよか安生、向こうへはお前一人だけで行くのか?」
「ああ、私の他にも部下を連れて行っていいとお許しがあったので」
「そうだな、口が上手いやつを連れ行った方がいい。アンタは余計な一言が多いからな」
「おっと、君が言うんですか? それを」
「俺のはわざとやってるからいいんだよ」
会話の内容はさておき、なんだかんだノクシャスも安生のことを気にかけてるらしい。ところどころチクチクとしたやり取りはあったものの、ノクシャスの態度からして気を置いてることは感じた。
「さてと、それでは私はそろそろ行きますね」
「え、もう向かわれるんですか?」
「ボスはフットワークの軽さを重視する方なのでね。……それでは、二人とも元気で」
「おう」
「あ、安生さんも、頑張って下さい……っ!」
そのまま立ち去ろうとする安生に頭を下げれば、安生は「君もね」と手を振り返してくれる。
知ってる人間と暫く会えなくなると分かるとやはり寂しいものだ。この展開な喜ぶべきなのだろうが、やはり安生を見送りながらももの寂しさのようなものが付きまとってくる。
ともだちにシェアしよう!