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 今度こそ忘れ物がないかを確認したあと、俺はナハトとともに部屋を出る。  こうしてスーツに身を包むのは新鮮だ。  ――それに、ナハトといるのも。 「そう言えば、安生のこと聞いた?」 「はい、安生さんが挨拶に来てくださって、そのときに」 「……ふーん。あっそ」 「寂しくなりますよね、安生さんと暫く会えなくなるのは」 「……アンタ、本当呑気だね。寧ろこれくらいで済んだの、ボスの温情もあるでしょ」 「な、ナハトさんまで……」 「……は? までってなに?」 「ノクシャスさんも言ってました、ナハトさんと同じこと」  人気のない通路を歩きながらそんな会話を交えていると、ぴくりとナハトが反応した――ような気がした。仮面の下の表情はわからないが、なんとなく周囲の雰囲気がピリつくのを感じる。 「……ふーん」  あ、やっぱり気のせいではなさそうだ。  ノクシャスの名前を出した途端、露骨にナハトの声がワンオクターブ落ちていることに気付いてしまう。 「え、えと……ノクシャスさんとはその、くお――トリッドのこととかで色々一緒になる機会があったというか……っ!」 「いや、別に聞いてないし。……俺とモルグが手ぇ空いてない間、あいつが一緒にいるのは分かってるんだし」 「う」 「……てかなにその弁明。逆にムカついてきたんだけど」  どうやら久し振りのこともあってか、口を開けば開くほどナハトの地雷を踏んでしまうらしい。俺は大人しく「ごめんなさい」と口を噤んだ。 「……はあ」  そしてため息だ。仮面の下のナハトの顔が見えてくるようだ。恐らく今、とてつもなく冷たい目をこちらに向けてるに違いないだろう。 「あ、あの、ナハトさん……サディークさんとカノンちゃんのこと、何か聞いてますか?」  このままではどう転んでも空気が悪くなる未来しか見えない。そう考えた俺は、思い切って話題を切り替えることにした。  ここ数日、ずっと部屋で大人しくしていたお陰で外からの情報が入ってこなかった。  気がかりだった二人のことを尋ねれば、「アンタ、安生から何も聞いてないの?」とナハトはこちらに顔を向ける。 「いえ、なにも……」 「ふーん、じゃ俺も言わない」 「え、そ、それは……」  それを言われてしまえば、俺も無理して聞くことは出来なくなってしまう。  そこをなんとか、とナハトに手を合わせれば、ナハトは恐らくうんざりしたような顔をして「しつこすぎ、お前」とそっぽ向いた。 「少なくとも死んじゃいないってことだけ教えてあげる」 「え――」 「……それと、どうせ近い内また顔を合わせるハメになるだろうし」  ぽつり、と呟くナハトの言葉を聞き逃すわけにはいかなかった。 「本当ですかっ」と思わず声が裏返る。 「俺から言えるのはここまで。……けど、以前のままと思わない方がいい」 「……はい、そうですね」  少なくとも、ECLIPSEの皆が元気ならばいいが。  そう自分を納得させることにした。  それから俺たちは食事を済ませ、途中で営業部の皆へのお休みのお礼にお菓子を買っていく。それからいつものようにナハトに営業部まで送ってもらうことになったのだが……。 「ナハトさん、ここまで送って下さりありがとうございました……って、あれ」  つい先程までいたはずのナハトの方を振り返ったとき、そこが既にもぬけの殻になっていることに気付きいた。  やはり忙しいのだろうか。なんだか寂しくなりながらも、営業部へと足を踏み入れたときだ。 「良平……っ?」  不意に、通路の方から声が聞こえてきた。  休憩していたのか、ラウンジから丁度出てきた望眼は俺の姿を見て固まった。  なんだか望眼とは久し振りに会った気がする。そこで俺は望眼と最後に会った時のことを思い出した。  ――そうだ、確か自白剤を飲まされたときだ。  しかもあのときは兄に連れ出され、それっきりになっていたことを思い出す。しかもその後もバタバタしてて、結局連絡するタイミングも失ってしまっていた。  なんというべきだろうか、と言葉を探る。 「あの、お休みいただきありがとうございました! ……これ、よかったら皆さんで食べてください……っ!」  色々言いたいことが溢れ出した結果、俺は手に抱えていたお菓子が入った紙袋を望眼に渡した。  そして、それを押し付けられた望眼は何度か瞬きを繰り返したあと、「ああ、ありがとな」と紙袋を受け取る。 「けど、わざわざ準備しなくてよかったのに。無断で休むやつもいるし、急に消えるやつも普通にいんだから」 「いえ、でも……いつもお世話になってますし、それに、ご迷惑もおかけしてしまったので」 「迷惑って……」  言い掛けて、心当たりに気付いたらしい。望眼は気まずそうに咳払いをした。 「あー……あのさ、俺の方こそ、色々悪かったな。お前に無茶させて……」 「無茶……?」 「自白剤とかさ。……サディークのことは俺たちも聞いた。もっとちゃんと相談に乗るべきだったよな」 「い、いえっ! 望眼さんは悪くありません! それに、俺もあのあとちゃんと連絡すべきだったのに……」 「いやまあそれはな……って、そうだ、あの後大丈夫だったか?」 「え?」 「……ほら、あの、なんか紳士っぽい人に連れて行かれただろ? ……お姫様抱っこで」  もしかして兄のことを言ってるのだろうか。紳士で間違いないが、お姫様抱っこかどうかまでは覚えていない。 「はい、なんとか……一応俺にお話できることはしましたので」 「それならよかったけど……それにしてもあの人誰だったんだ? 俺もここに来て数年経つが、見ない顔だったな」 「さ、さあ……? 俺もあのときの意識、あまりハッキリしてなくて……」  あまり兄のことについて話したくなかった。何を言ってもうっかりぽろりと零してしまいそうになるからだ。  曖昧に答える俺に、望眼は「だよなあ」と笑う。 「ま、裏での活動メインの人もいるし、素顔見たことない人がいてもおかしくはないしな、ここ」 「そうですね」  ……よかった、なんだかいい感じに切り抜けられたようだ。  雑談は程々に切り上げ、それから俺は望眼とともに営業部に顔を出す。丁度いた貴陸に休みのお礼をし、それから自分のデスクへと付くことになった。  タブレットを開けば、サディークの連絡先が目についた。俺がECLIPSEのアジトに向かうことになったあの日、あのときでメッセージは止まってる。  もうサディークとこのタブレットで連絡を取り合うことは無いかも知れないと思うと寂しかったが、気分を切り替え、俺は貴陸から貰ったトレッドの資料に目を通した。  そして、新しい担当として改めてトレッドに連絡をすることになる。

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