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それから、営業部の仕事に励んでいる内に時間は過ぎていく。
この間に何もなかったわけではないが、まあそれはおいておくとしようだ。
――二週間が経とうとしたときだ、東風が営業部へと戻ってきた。
「東風さん、やっと帰ってきた」
「本当疲れた。もう二度と現地行きたくない……あ、これお土産」
「なんすか、これ」
「こっちは他の人たち用、これは俺の担当たちも引き継いでくれた望眼と……頑張ってくれた良平に」
「え、お、俺もですか?」
営業部内、久し振りに出社した東風に唐突に名前を呼ばれ驚いた。
「なんか貴陸さんに頑張ってたって聞いたから、ついでだけど」と、望眼と俺に個別で菓子折りを手渡してくれる東風に「あ、ありがとうございます」と慌てて頭を下げる。
「お菓子。どんなの好きか分かんなかったから、テキトーに選んできた」
「へ~珍しいっすね、東風さんがお土産用意するなんて」
「まあ……何でも好きなの持っていっていいって言われたから」
「言われてなかったらナシってことっすか」
「その時の気分による」
相変わらず東風さんって感じだ。
それでも、俺の分まで用意してもらえてるなんて思っていなかっただけに嬉しくなる。中をちらりと見ただけでは内容物はわからなかったが、今夜帰ってから食べよう。そういや、ナハトさんもお菓子好きだったよな。なんて思いながらそそくさと自分のデスクに紙袋ごと置いていると、ふと東風がこちらを見ていることに気付いた。
「……?」
「良平、それ一人のとき食べなよ」
「え」
「な、なんすかそれ。まさか変なもの買ってきたんじゃ……」
「君のために用意したから」
な、なんだろうか、この言い方は。
東風の言葉に特別な意味はないと分かってても、あまりにも意味深な東風にどきりとした。眠たげな目でじっとこちらを見つめてくる東風の顔を直視できないまま、「わ、わかりました」とつられて答えるしかない俺。
「大丈夫か~?」と心配そうに俺の左右から覗き込んでくる望眼だったが、すぐに東風に引き剥がされていた。
「……じゃ、俺は確かに伝えたから。……今日は一日オフだから帰る。おやすみ」
くぁ、と小さなアクビを噛み締め、そのまま東風は営業部を後にした。
いつものようにスーツ姿ではないと思ったらそういうことだったのか。
お疲れ様です、と東風を見送ったあと、俺は東風のお土産をちらりと見た。
「本当に大丈夫か? あの人に限ってとは思うが、なーんか怪しいなぁ。……な、先に見てみねえ?」
「だ、駄目ですよ望眼さん! ……これは俺が帰ってから一人でこっそりいただきます」
「なんだよ、真面目だな」
そんなやり取りをしながらも、望眼の言葉には俺も思わず揺らいだ。
……けどわざわざ東風がああいうのはなんだか別の理由がある気がしてならないのだ。
そして、その日一日の仕事を終えた俺は東風からの菓子折りの入った紙袋を大事に抱えたまま、迎えに来たノクシャスともに部屋へと帰ることになった。
案の定ノクシャスに「なんだ?その袋は」と聞かれたが、営業部の先輩からの土産だと言うと「ふーん」と大して興味なさそうに呟いた。
「先輩って……例のいなくなってたやつか」
「はい、今日戻ってこられたんです」
「じゃあ暫くはゆっくりできるんだな」
ここ最近はいつもより帰る時間が遅くなっていた。俺が疲れてるのだろうと心配してくれてたのだろう、お風呂でうとうとしている度にさっさと休めと毎回ベッドまで連れて行かれていたことを思い出す。
「はい……ノクシャスさんにもお世話になりました」
「いいんだよ、俺はお前を世話するのが任務でもあるからな」
「……そうですよね。けど、やっぱり、ありがとうございます」
「……ケッ、変なやつ」
言いながら、隣を歩くノクシャスがそっぽ向く。最近分かったことだが、ノクシャスは照れると顔を逸す癖があるようだ。
そんなノクシャスを見る度に俺は頬が綻んでしまう。……本人に言うと治されてしまいそうなので黙っておこう。
そして、夜。
ノクシャスがデリバリーさせた晩飯を一緒に食べ、お腹いっぱいになりながらも俺は一人寝室へと向かう。ノクシャスは隣でまだピザパーティーをしているようだったのでそのままだ。
そして、ベッドの脇に予め置いていた東風からの土産に目を向ける。
……お腹いっぱいではあるが、中身だけ確認しておくか。
なんだかそうしないといけない気がしたのだ。
そして、紙袋から菓子折りを取り出した俺は箱を開けて、東風の言葉の意味を理解した。
菓子の箱の中には一通の手紙が入っていたのだ。
詰め合わせの小分けされたクッキーたちの上、やけにしわくちゃになった手紙が一通。封筒にはあまり書き慣れていないような震えた文字で『良平へ』と書かれてるのを見て、まずこれは東風からの手紙ではないことを理解する。
それと同時に、こんな方法で、しかも古典的なやり方でしか連絡を取れない相手ーー取らざる得ない相手となると一人しかいない。
俺は急いでその手紙を手に取り、そして封を開けた。
手紙を開き、紙面にゆっくりと文字に目を走らせる。
そこには最後に挨拶ができなかったことへの謝罪、近況報告が淡々と綴られていた。
そして、その最後には『ありがとう』と一言。差出人の名前は書かれていなかったが、誰からのものかはすぐに分かった。
――サディークさん。
何度も書き直したのだろう、ところどころよれてしまっているその手紙にはまだぬくもりが残ってるような気がした。
今、サディークたちは安生の指揮の元、生まれ育った街の復興のために日々コキ使われているようだ。
契約上クビになってしまったサディークだが、地元の自警団としてECLIPSEの皆とともに安生に仕事を個別で依頼されているらしい。積極的に働くことを嫌がっていたサディークだったが、今は目的がある。そのためならば多少の筋肉痛も耐えられそうだ、とのことだ。
どうやら今回、東風が駆り出されていた現地というのはサディークたちの地元だったようだ。スラムを牛耳っていた荒くれ者たちを実力行使で改心させ、ついでに浄化させた安生は一から街としての基盤を立て直すための仕組みを造りながらも壊れた建物の建て替えから食糧、資源の確保を計ってるらしい。
とはいえど、近隣からも煙たがれるほどの荒れたスラムだ。一つのタウンとして自治を行えるようになるまでそれなりの労力と時間はかかるだろう。
それでも、先が見えなかった今までよりかはマシだ、とサディークは綴っていた。
そんな内容が続いたあと、最後に何度か消した跡があった。
そこにうっすらと残っていた文字を見て、俺は思わず手紙を胸に抱いた。
――また会える日が会ったら、その時は友達として会いたい。
「……っ、……」
結局、書くのをやめたのだろう。そして、東風が俺と同じ営業部だと知ったサディークが東風に頼み込んだのかもしれない。
真実はわからないが、俺はここにはいない東風に感謝した。
そして、そっとその手紙をサイドボードの鍵付きの引き出しに仕舞う。
――俺も、頑張ろう。
今度サディークさんに会った時、恥ずかしくないように。
胸の奥がじんわりと熱い。そのまま俺は眠りにつくことにした。
――数日後。
今日は久し振りの休日。俺はノクシャス、紅音とともにトレーニングルームへと来ていた。
けれど、今回は紅音の体力測定のためだけに来ていたわけではない。
負荷に耐えきれずトレーニングマシーンから投げ出された俺だったが、それを見越していたらしい紅音に軽々とキャッチしてもらう。
「おい良平、大丈夫か?」
「ぜえ……あ、ありがと……大丈夫――」
「じゃ、ねえだろ」
言いかけたときだった、紅音の肩越し、こちらを見下ろしてくるノクシャスと目が合った。
「それ以上やったらお前の体じゃ数日は響くぞ、もうやめとけ」
あのスパルタノクシャスが止めるなんて、余程俺の限界がきていたらしい。ノクシャスストップがかかってしまえば、もうこれ以上の続行は難しいだろう。
そのまま紅音に支えられ、俺は近くのベンチへと降ろされる。
「ほら良平、飲み物貰ってきたからちゃんと水分補給しろよ」
「ありがと、トリッド」
ヴィランになっても相変わらず気の回る男だと思う。
ボトルを受け取り、俺は好意に甘えて存分に喉を潤わせた。美味しい。
「それにしても、どうした? いきなりやる気になりやがって」
「いえ、俺も体力つけなきゃな、と思いまして……」
「……………………まあ、体力は大事だけどな」
なんだその間は。けど、日頃から何度も体力があったらもっと結果出せたのにと思うことはあったのでいい機会だと思ったのだ。
……が、何事にも限度というものがあるらしい。
「けど、こうしてまた良平とトレーニングできるなんて、なんだか懐かしいな」
「……はは、そうだね。相変わらず、トリッドには敵わないけど」
「言ってるだろ? 俺はただの運動バカだって。……これくらいお前に勝たせてくれよ」
ぼそ、と呟く紅音の言葉が引っ掛かった。
なにを言ってるんだ、何から何まで俺よりも紅音の方が優れているのに。そう言いたかったが、それよりも先に「んじゃ、ゆっくり休めよ」と紅音は俺の肩を叩いてその場を離れるのだ。自分のトレーニングへと戻る紅音を見送ることしかできなかった。
紅音の中に劣等感が、ましてやそれが俺に向けられてる?……そんなことあるのか。
ただ俺を褒めてくれようとしただけなのかもしれないが、それでもやけに紅音の表情が頭に残っていた。
それからノクシャスも紅音のトレーニングを見に行き、俺は少し離れたところからそれを見守っていた。
「……ふう」
ここ最近はこうしてゆっくりすることはなかった分、こうして手持ち無沙汰になるのはなんだか新鮮だ。
あれから、兄やモルグとはまだ会えていない。
ちょこちょこナハトやノクシャスの口からは名前を聞くことはあったし、元気そうだというのも分かったが、正直寂しさもあった。
それでも紅音がこうして暇なとき付き合ってくれるのはありがたかった。
そういえば、最近ニュースチェックできていなかったな。
営業に回るときは話題のためにも欠かさずニュースアプリを開いていたが、ここ最近は落ち着いてしまい可愛い動物たちの動画しかチェックできていなかった。
今のうちに見ておくか、なんて思いながらタブレットを開いたときだ。
トップニュースに現れた写真を見て思わず固まった。
「――え」
『ヒーロー協会』という単語、そしてその写真にはにこやかな笑顔を浮かべたヒーロー協会会長・大帝誓がいた。
それならばいつものやつかと流せたのだが、俺が目を引かれたのはそこではない。
鮮やかな赤を基調としたフルフェイスのマスク、そしてスーツ。――大帝誓と並ぶそのヒーローを俺は知っていた。
――レッド・イル。
『ヒーロー協会の期待の赤き新星【レッド・イル】活動再開』という仰々しい見出しとともに、新しい能力について大帝誓がつらつらと語る会見についての記事が数分前に投稿されていた。
レッド・イルである紅音はここにいる。ヴィランとして生まれ変わったはずだ。
――じゃあ、こいつはなにものなのか。
考えたくない可能性に冷や汗が滲んだ。二代目レッド・イルの写真を見つめたまま、俺は暫く何も考えられなかった。
CASE.07『同業者にご注意』
END
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