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CASE.08『デート・オア・デッド』

 新たなレッド・イルが現れた。  その事実はすぐに兄やノクシャスたちの耳にも入ったようだ。  レッド・イルが紅音だと知っている面々からしてみれば問題であることは違いない。  ヒーロー協会ではレッド・イルほどのヒーローを量産することが出来るのか、あまり考えたくない話だ。  今の紅音にはレッド・イルのときの記憶はないため、紅音の前ではヒーロー協会の話はなるべく避けていた。  一難去ってまた一難、落ち着く暇もなくevil本社は相変わらず慌ただしい空気が流れていた。  とはいえど、俺に出来ることはいつも通り担当のヴィランたちの話を聞くことである。  ――某日、紅音の部屋にて。 「それでトリッド、調子はどう?」  仕事帰り、紅音と落ち合う約束をしてやってきたのは社員寮の紅音の部屋だった。  必要最低限の物しか置かれていない、ストイックな紅音らしい部屋だ。俺より一足先に部屋に入った紅音は、ソファーに座ったままこちらを見上げる。 「絶好調、ってわけじゃねえんだけどな。まあぼちぼちかな」 「トリッドがそんな風に言うなんて珍しいね。何かあったの?」 「あったと言えばあったけど」 「……?」 「ま、いいからこっちこいよ。良平」  こっち座れ、というかのように隣の空いた座面をぽんぽんと叩く紅音。  俺は「じゃあ、お邪魔します」と今さら頭下げ、そのままいそいそと紅音の隣に腰を下ろした。  紅音が担当となってどれほどが経ったのだろうか。  最初こそはノクシャスが俺たちの間に入ってくれてはいたが、ここ最近は件の二代目レッド・イルのお陰でノクシャスも忙しそうだ。  が、紅音の日頃の行いと頑張りをノクシャスは認めてくれたようだ。今日のように、俺と紅音が二人きりで会うことを許してもらえるようになっていた。  これについては素直に俺も喜ばしく感じていたが、先輩であるノクシャスと離れて他の人とも仕事をするようになった紅音は以前よりも疲れているように見える。  現に、隣に座ると「はぁ~……」と紅音は大きな溜息を吐くのだ。 「わ……すごい溜息だね、トリッド」 「溜息ってか、これ、お前の顔を見ると気が抜けたんだよ。……最近、この近辺のパトロールを任されたって良平には話したよな」 「うん、ノクシャスさんが推薦してくれたんだよね」  予め紅音から聞いていた話を思い出せば、紅音は「おう、それそれ」と嬉しそうに笑った。 「確か、他の人と組むってやつだったよね」 「そうそう、今回の相方は気の合うやつだったんだよな」  以前仕事仲間と合わないと言っていた紅音がこうやって嬉しそうに仕事について教えてくれると、なんだかこっちまで嬉しくなってしまう。 「それは良かったね」と素直に思ったことを口にすれば、少しだけ頬を緩ませた紅音はなんだか微妙な顔をするのだ。 「まあ、『それは』な」 「……?」 「この地下のやつら、見ねえ顔ってだけで絡んでくるんだよな。……ノクシャスいるときはビビって縮こまってるような連中がさ」 「それは……」 「俺って舐められやすいらしいからだって、一回黙らせた方がいいぞって相方は言うんだけど……それってどうなのって考えちゃうんだよなぁ」  ――なるほど。先程から紅音の様子がおかしいと思ったら、そういうことか。  血の気の多いヴィラン相手の現場での仕事は俺も想像出来ないが、それでも紅音の気持ちも分かった。 「殴れりゃそりゃ早いけど、それはしたくねえし。かと言って言われっぱなしも癪だし……良平にこんなこと言っても困るかもだけど」 「そんなことないよ。寧ろ、聞かせてほしいな。……トリッド、頑張ってるんだね」  そっと肩をぽんぽんと叩けば、背もたれに深く凭れたトリッドはそのままこちらに目線を向けてきた。 「なあ良平、お前ならどうする?」  それは純粋な疑問だった。  あくまでも想像の範疇にはなってしまうが、職場やグループでの対人関係の悩みについては俺にも身に覚えがある。 「俺もトリッドと同じかな。……そもそも俺の場合は腕に自信ないっていうのもあるけど、ほら、俺が我慢すればいい話なのかなって考えちゃうし……」 「あ、でも、トリッドにそれを強要したいわけじゃないんだ。……何かあったら教えてほしいし、トリッドに無理してほしいわけじゃないからね」慌てて付け足せば、こちらをじっと見上げていた紅音は「ああ、分かってるよ」と笑う。 「本当、お前らしいよな。善家」 「トリッド……」 「なあ、俺のことも名前で呼んで」  いきなりそんなことを言い出す紅音に思わずギクリとした。 「え、でも」と狼狽えていると、伸びてきた紅音の手にそっとスーツの袖を引っ張られる。 「今は二人きりなんだし、少しくらい良いだろ? ……なんか、さっきからムズムズするんだよな」 「わ、わかったよ。うーん……じゃあ、紅音君……?」  なんだか改めて口にすれば照れ臭くなってしまう。目のやり場に困ってると、こちらを覗き込んだ紅音は「善家」と笑いながら俺の名前を口にした。  変な話だ。普段は下の名前で呼ばれてるというのに、苗字で呼ばれた方がなんだか特別に感じてしまうのだから。  それは俺が『善家良平』という人間だということを知ってる紅音だからこそ、より特別に感じるのかもしれない。 「ふふ、なんか懐かしいね」 「ん、そうだな。……善家」  言いながら、こちらの方へと凭れかかってくる紅音。重くはあるが、紅音の体温と重みが逆に心地よく感じるのも不思議だ。  ……とはいえ、相当疲れてるみたいだ。  そっと紅音のフードを外してその赤い髪を撫でつければ、少しだけ驚いたように紅音がこちらを見た。 「あ、ごめん……疲れてるのかなって思って……」 「……いや、それもっとして」 「え?」 「……その、撫でるやつ」  ぽそぽそと呟く紅音。言われるがまま「こう?」と髪を撫でれば、紅音は「ん、そう」と心地よさそうに目を瞑る。 「……善家の声、落ち着く」 「そうかな? ……このまま休んでいいよ、紅音君。俺も、この後オフだから」 「いいのか? お前だって疲れてるんじゃ……」 「俺は大丈夫だよ。今日は仕事少なかったし……ね、紅音君」 「……ん。じゃあお言葉に甘えて」  そのまま紅音の頭を自分の膝の上へと持っていく。膝枕が気持ちいいのかわからないが、こんなに紅音を側に感じるのは久し振りのことのように思えた。  前にも、こんなことがあった気がする。  今ではもう懐かしくすらある記憶を思い出しながら、俺は目を閉じる紅音の頭をそっと撫でる。  そして、暫くもしない内に規則正しい寝息を立て始める紅音。  ――もう寝ちゃった。紅音君、よっぽど疲れてたんだな。  いくら肉体的にタフだろうと、そのメンタルまでもタフというわけではない。  頑張ってる紅音を手伝いたいが、俺に出来ることは限られている。  こうして紅音に休んでもらい、力になれればそれが一番なのだが……。  そんなことを考えながら、俺もうつらうつらと意識が揺らぐのを感じた。  あ、まずい、寝そう。そう気付いたときには手遅れで、心地よい微睡みの中、俺は紅音とともに眠りに落ちることになったのだ。

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