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辺りに充満していた煙が薄れていく。
「な、ナハトさん、なにが……ッ?!」
「どうやらネズミもいるらしいな、このランドには」
「それは……」
どういうことですか、と聞き返そうとした矢先だった。檻を噛み切り、ゲージから抜け出した数匹のキメラ犬がこちらへと駆けてくる。そしてそれを一瞬で眠らせたナハトは小さく息をついた。
助かった、と思った矢先、不意に腰を何かに引っ張られた。そして振り返ったときだった。
「今撃たれた玉に興奮剤でも塗布されてたみたいだな。この瞳孔の開き方、尋常じゃない」
「いたた、わ、ちょ、皆あっち行って……っ! あ、危ないから……っ! いてて……っ!」
「……おい、何やってんの」
はっはっと息を荒くした大型犬に背後からのしかかられ転倒する俺。そのまま覆い被さるように腰を振る犬から逃げようとしてる俺を冷めた目で見下ろしてくるナハト。そして阿鼻叫喚の店内、俺達の周囲だけ空気が凍りついていた。
分かってる、ナハトさんが言いたいことくらいそろそろ俺も目で理解できるように――。
「ぁ……っ! な、ナハトさん、助けてくださ……っ、ぁ、んん……っ!」
「……」
「ありがとうございま……い、いひゃ! お、お尻、叩かないでナハトさん……っ!」
――そして何故か発情してる大型犬からなんとかナハトに助け出されることになったのだが、
「行くぞ」
「は、はい……」
目に見えるようにナハトの不機嫌ゲージが溜まってる。俺だって好きでワンちゃんに求愛されていたわけではないが、浮気者を見る目だった、あれは。暫く俺は謎の罪悪感とともにわんにゃんランドを後にすることとなった。
◆ ◆ ◆
わんにゃんランドを出た俺たちは、そのまま一旦場所を移動した。
ぞろぞろとわんにゃんランドに野次馬と混ざって黒服の男たちが集まるのを尻目に、通信機を起動させたナハトはそのままモルグに連絡しているようだ。
「犯人はこっちに妙な薬撒くだけ撒いて逃げたみたい。追跡もさせてるけど、杜撰さからして悪戯の可能性もある」
『了解~。にしても賢いねえ、あのナハトがその場で殺さず追跡させるってのを覚えるなんて』
「……馬鹿にするつもりならこの通信は切るから」
『あーっと、ごめんごめん。冗談じゃ~ん。怒んないでよ~。てか、デート中だったんでしょ~? 災難だったねえ』
「本当、最悪……」
ちらり、とナハトはこちらを見る。分かってる、冷めた目が何をしようとしてるのか。
俺だって必死に逃げ出そうとはしたのだ。けれど、ヴィラン犬に敵わない。
「っ、な、ナハトさん……っ、た、助けて……っくらさ……っ、ぁ、んん……っ!」
ヘッヘッと舌を垂らし腰を擦り付けてくるヴィラン犬。動物とは言えど流石にこれはと押し付けられる巨大な性器に変な気分になりそうになってたところ、ナハトによってヴィラン犬を追い払われる。因みにナハトさんは眼力一つで追い払っていた。どういうことなんだ。
『なに、お楽しみ中だった~?』
「違う。……こいつが勝手に生き物に襲われまくってんの」
『ふははっ! なにそれ、楽しそう! ねえねえ、僕もそっち言っていい? てか、善家君が襲われてる映像もほしいな~』
「来んな。絶対来んな。あと変な想像もすんな。言っとくけど俺がいる限りお前の期待するようなことにはならないからな、変態」
『なんだぁ、ざんねーん』とカラカラと笑うモルグの声が聞こえ、恥ずかしくなった俺は顔を上げることもできなかった。
報告を終え、通信を切ったナハトはじろりとこちらを見た。この目は確かにヴィラン犬を追い払うだけはある。現に俺は逃げ出したくなった。
「っは、す、すみません……お話の邪魔をしちゃって……」
「へえ、自覚はあるのか。獣相手にアンアン腰をヘコらせてる自覚は」
「う、そ、そんな風に言わないでください……」
「……はあ。こっちに来い。その服に興奮させる物質がついてるのかもしれない。モルグに着替えを持ってこさせた」
確かに、俺にはああだったが、ナハトさんには怯えてるようだった。……ナハトの全身から出る殺意で近付けないだけかもしれないが。
転移装置から受け取った着替えを手にしたナハトは、俺をそれに着替えさせる。いくら人気はないとはいえど、道を一本変えれば人がいる道端で生着替えするのは流石に恥ずかしい。
が、「いいから早くしろ」とナハトに無理矢理脱がされ丸着替えさせられた。ナハトも同様ヴィランスーツに変身して一瞬で服を脱いでいた。俺も今度モルグに変身機能つけれるか相談しよう。
それから、脱いだ服はそのまま本社のモルグの研究室へと送り届けられることとなる。どうやらすぐに解析へと回されるようだ。
せっかくナハトとのデートのために着てきたお気に入りの服だったが仕方ない。
「なんで落ち込んでるんだよ」
「だ、だって……せっかくのわんにゃんランドでしたのに……なんでこんなことに……」
「……確かに、目的が分からないな。ただの傍迷惑な性癖抱えた愉快犯の仕業だろうってあいつは言ってたけど、あまりにもタイミングが良すぎる」
「え……?」
「だから、お前が狙われたのが。……俺がいると分かってたらあんな玩具みたいなもの投げたりしないで殺傷力を上げるはずだ。だから、“俺”がいることには気付かなかった」
そう漆黒の仮面越し、ナハトは淡々と呟いた。
職業柄なのだろう、ヴィランスーツ時のナハトは普段よりも感情が読みにくい。
「そ、それって……どういうことですか……?」
「お前、どこかで獣姦フェチの変態をタラシ込んで来たんじゃないかって話」
「…………………………ええっ?!」
「反応遅」と呟くナハトだが、誰だっていきなりそんな容疑吹っかけられたら反応にラグも出てしまう。
「う……いやでも、確かにナハトさんは平気なんですね」
「俺には抗体もある。けど、アンタの体は殆どまっさらな状態だから厄介だな」
そんな話をしてる内にモルグから通信が入ったようだ。仮面越し、俺には見えないメッセージを確認したナハトはその内容を教えてくれた。
「モルグの報告によると、『人間以外の生き物を興奮状態にさせる薬品である可能性は高い』だって。目的は謎だから、今回は協会の連中は関わってないだろうけど……万が一がある、今日は帰還しろ、とのことだ」
淡々とした言葉だったが、最後の一言のところで僅かにナハトの声のトーンが落ちるのが分かった。襲撃に遭ってしまったことでこうなることは分かっていたが、やはり、それでも落ち込むものは落ち込む。かといってここで駄々捏ねるのもおかしい。
「……そう、ですよね」
今回は運が悪かったのだ。そう自分に言い聞かせながら、ナハトに頷き返す。こちらを見ていたナハトは、そのままふい、と俺に背中を向けた。
「本社に帰還するだけだ」
そう、ぼそりと呟き、ナハトは目の前の壁に触れる。そして浮かび上がる、本社へと繋がる転移ゲート。それに触れたまま、ナハトはこちらへと振り返った。
「…………別に、デートが終わるってわけじゃない」
仮面越し、表情は見えないし声の起伏は普段よりもないはずなのに、その一言はどんな言葉よりも俺の胸の奥に暖かく響いた。
そうだ、ナハトさんの言う通りだ。誰かに邪魔されなくても、俺達のペースで、俺達のままで居られる場所がまだ残ってるじゃないか。
「は、はい!」と俺はこちらへと伸ばされるナハトの手を取った。
そして、俺達はバタバタ帰宅することとなった。
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