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「とまあ、俺からの話はこの件についてだったんだ。……早めに伝えておくべきだろうなと思ってな。良平も、ナハトに懐いてるようだったから」
「な、懐いてるなんて……」
「はは、恥ずかしがる必要はない。……けど、少々妬けるな」
「妬けるなんて、兄さん……っ、もう……!」
誂わないでよ、と兄を見上げれば、兄はこちらを見ていた。その目がなんだか少しだけ寂しそうなのが気になったが、それも一瞬のことだ。兄は目を伏せて笑う。
「ナハト、少し良平と二人にしてもらえないか」
そして、ナハトに目を向けた兄。兄が俺と話すときナハトやノクシャスの席を外させることは別に珍しいことでもない。ナハトは「わかりました」とだけ口にし、部屋の外へと出ていく。
ナハトが出ていったあと、自動で閉まる扉を尻目に、兄はソファーの背もたれに背を預ける。
……兄と二人きりだ。話したいことも色々あったのに、散々恥ずかしい姿を見られてしまったせいだろうか。なんとなく気恥ずかしさと居心地の悪さが部屋の中には残っていた。
「良平、お前、前に好きな人が出来たと言っていたな」
何から話そうかと頭の中を整理してた矢先だった。兄の口から出てきた言葉に「え」と思わず間抜けな声が出てしまう。
「い、言ってた……かも」
「それ、ナハトのことか?」
「……っ!!」
……今度から心臓が口から飛び出した気がした。
普段と変わらない、あくまでもにこやかな笑みを浮かべたまま指摘してくる兄に、俺はパクパクと口を開閉させることしかできなかった。
「……良平、お前は本当に素直だな」
「う、な、なんで……」
「俺を誰だと思ってる? ……お前のことは生まれたときから見てきた。分かるさ」
「……ぁ……」
伸びてきた手に優しく頭を撫でられる。
「けど、そうか。……ナハトか」
「あ、あの、……兄さん」
「ん?」
「お、怒らない……?」
「怒る? どうして」
「だって、兄さんはそういうつもりでナハトさんを俺に付けてくれたわけじゃないのに、その……好きになったりして」
少なくとも、両親だったら『そんなこと言ってる場合か?』と呆れてるだろう。相手はヴィランだ。昔、俺が思い描いていた将来結婚したい相手とは真逆もいいところなナハトさんなのに。
ぼそぼそと尋ねれば、俺の頭を撫でていた兄の手が止まる。そして、
「……駄目だと俺が言えば、お前は諦めるのか?」
頭の上から降り注ぐその声のトーンが僅かに落ちていることに気付いて、少しだけ緊張した。それは分からないけど、多分それなりの努力はするだろう。けれど、その結果自分の気持ちを制御できるのかどうかまでは断言することはできなかった。
押し黙る俺に、兄は「そういうことだ」と小さく口にした。
「誰を想うかは人の自由だ。……流石に、お前の好きな人が問題ある相手ならば俺もそれなりに反対はしていただろうが。……ナハトは不器用ではあるが、根は真っすぐでいい奴だ。それは俺もよく知ってる」
まだ年端もいっていない筈のナハトが兄の側で古参として並んでいる。兄が地下帝国に落ちて、そんな兄を幼い頃から今まで支えてきたナハト。そして兄はそんなナハトを信頼してるのだ。
俺はここに連れてこられるまで、その期間のヴィランの皆のことを知らない。けれど、今回の昇任が兄の考えだとわかった。
そして、そのことを自分のことのように嬉しく思える俺もいた。それが全てなのだ。
「……兄さん」
「別に、今回の件はお前達を引き離したい、意地悪したいというわけではない。……というのは、わかってくれるか?」
「うん、勿論。……兄さんも大変だって知ってるし」
「……ありがとう、良平」
優しく頬を撫でる兄の手がこそばゆい。目を瞑れば、兄はそのまま俺の髪の隙間に指を入れ、その感触を楽しむかのように髪を弄ぶのだ。
「ん、兄さん……」
「落ち着けばまた、ゆっくりあいつと話す時間も取れるはずだ」
「に、兄さん、そこまで心配しなくていいよ……っ!」
「悪い、兄馬鹿だったか?」
「う、うん……俺も社会人なんだから」
子供じゃないんだよ、と兄の手を掴めば、兄は何故だが悲しそうな目をするのだ。「そうだったな」と、自嘲混じりに。
「いけないな。俺の中ではお前はいつまでも可愛い良平のままだから、つい余計なことまでしてしまう」
「か、可愛いって……」
「俺が守ってやらないと、ってな」
それは、俺も同じかもしれない。
俺の中で兄は今でもヒーローのままだ。その意味では、この地下世界で人助けをしてきた兄はヒーローのようなものでもあるのだが、未だにヴィランたちにボスと慕われてる兄を見てると違和感があるときもある。
「兄さん、これからまた仕事に戻るの?」
「ああ、そうだな」
「……そっか」
「そんな顔をするな、またゆっくり時間が取れるときに美味い飯屋に連れて行くから」
「別に、ご飯食べに行けなくてもいいんだ。……兄さんとゆっくりできるなら、どこでも」
「良平」
「……って、はは、兄離れできてないの、俺かな……」
言いながら兄を困らせてしまってる気がして、慌てて笑って誤魔化そうとしたとき。伸びてきた手にそのままそっと後頭部を撫でられる。目の前には兄の顔があり、こつ、と額同士がぶつかりあった。そろりと目を上げれば、至近距離で兄と視線が絡み合う。
「お前はそのままでいいよ」
「……兄さん?」
「俺から離れようだなんて、考えなくていい」
兄さん、それ兄馬鹿みたいなセリフだよ。と思ったが、口に出すことはできなかった。撫でてくれる手に安心できたから。いつまでも撫でてほしいと思ったから。だから、俺は「うん」とだけ頷いた。
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