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目の前、すぐ鼻先には東風の顔があり、そして何故か俺は望眼の手を握っていた。
「ん……あれ……っ?! こ、東風さん……っ?!」
「おはよう、良平」
「あ、お、おはようございます……って、ぇ、えと……」
ほんの一瞬、瞬きをした間に気を失っていたみたいに記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
慌てて俺は望眼から手を離した。何故だが望眼が先程よりも元気がない。おまけに、何故か俺のシャツが開けてることに気付く。そしてネクタイは東風の手の中にある。
いやなんだこの状況は。もしかして俺はまたなにかやらかしたのか。
冷や汗だらだらになってる俺に、東風は「うん」と一人ごちる。
「良平に俺の能力使った」
そして、さらっとそんなことを言い出す東風に俺は思わずソファーからずり落ちそうになっていた。それは望眼も同じだった。
「こ、東風さん。言うのかよ!」
「けど、止められた。……こいつが生意気にも止めてきたんだよね」
「あ、え、えと、俺……」
「ああ大丈夫、未遂だから」
み、未遂……。
何の未遂なのか怖くて聞けなかったが、一切こちらを見ようとしない望眼の表情からしてどうやら間違いなくなにかがあったらしい。
事後特有の怠さや、シャツのボタンを外されていた以上の乱された形跡はないけれど、けれども、そんなに堂々と洗脳宣言されるとどうしても意識せずにはいられなかった。
「あ、あの、俺……お二人にご迷惑はお掛けしませんでしたか……?」
恐る恐る尋ねれば、東風は「ふ」と小さく笑う。……初めて東風が笑った顔を見た。
……じゃなくて!
「こ、東風さん……?!」
「これじゃ、望眼が放っておけないのも無理ないね」
「え……」
「おい、東風さん」
「全然俺のタイプじゃないから安心して」
あれ、俺今然りげ無く振られたのか……?
「良平、こっち来い」と望眼に東風から引き離されながらも、俺は状況が飲み込めないまま目の前の望眼を見上げる。
「あの望眼さん、俺……」
「大丈夫だよ、お前が心配するようなことはなにもないから」
「ほ、本当ですか? よ、よかった……また変なこと言ってしまったらどうしようかと思って……」
「「“また”?」」
以前の兄との一悶着を思い出したところで、どうやら俺は余計なことを言ってしまったらしい。慌てて「なんでもないですっ」と声をあげ、俺は逃げた……つもりだったが、望眼に捕まった。
「またってなんだ。……あ、いや、もしかして自白剤のときか? そういや知らない人に連れて行かれてたけど」
「知らない人?」
「俺よりも上背があって、やたら紳士っぽい……」
「あーっ! えと、その件についてはもう解決しましたので……っ! その、お気になさらず……!」
「お気になさらずって……いや、今になって気になってきたな。そういや、あの人お前と知り合いみたいだったけど誰だ? 営業部のリストでも見たことなかったな」
しまった、誤魔化そうとすればするほど墓穴を掘り続けてしまってる。
えーっと、その~とごにょごにょ口籠っていると、望眼の視線が段々鋭くなる。これはよくない流れであることは間違いない。俺でもわかった。
「良平?」
「お、俺も知らない人です……ね……」
「じゃあなんで目を反らすんだ」
「え、ええっとぉ……」
まさかあの人がこの会社のトップであり俺の兄です――なんて言っても、信じてもらえるかどうかすら怪しい。特に後者。
望眼に隠し事をするのは心苦しいが、望眼相手でもこれだけは隠し通さなければならない言わばトップシークレット案件である。
下手したら兄の身も危ないのだ、と俺はきゅっと唇を噛み締めた。そして望眼を見上げる。
「し、知らない人……です! 通りすがりの人なので……俺は何も知りません!」
「……本当に?」
「ほ、本当です!」
ああ、俺嘘吐きになっていってしまってる。けれど会社のためでもある。分かって下さい望眼さん、と目で訴えかけたとき、望眼はハッとした。
「……そうか、あの男……」
「わ、分かってくれました?」
「…………ああ、もういい。この件については俺も触れるのはやめておく」
「……?」
「通りで距離も近かったわけだな。……けど、この前一緒にいたやつとは正反対だな……」
何やら一人納得したようにぶつくさと呟く望眼。
その言葉や一人納得したような望眼の態度に「ん?」と引っ掛かりを覚えたのも束の間。
「お前って、ストライクゾーン広すぎだな」
「え……? …………っ!」
も、ものすごい誤解をされてないか、望眼さんに。
「ち、違います、本当にただの知らない人なので……っ!」
「分かった。……そのなんだ、俺から掘り返しておいて悪いけど、この件については俺もあまり触れないようにしておくよ」
自分のためにも、とやや死んだ目で続ける望眼に俺はかける言葉も失った。
多分望眼の中で俺はストライクゾーンが広いやつになってしまってるが、変に勘繰られるよりかはそういうことにしておいた方がいい……のか?本当か?俺、もう少し考えた方がいいんじゃないか?
……けど、兄との関係については説明のしようがないし、望眼が納得してくれたならもうそれでいいのか……?
兄さんにはバレないようにしないとな……と熱くなる頬を抑えながら、俺は一先ず謝罪の言葉を考えておくことにした。
「良平、望眼。その人ってさ……」
ふと、先程まで俺たちのやり取りを静観していた東風が何かを言いかけたときだった。
望眼の部屋のインターホンが鳴った。
「あ? ……こんな時間に誰だよ」
「望眼の心配したやつじゃない?」
「いや、体調のこと言ったの良平だけだから……」
そう言いながら玄関口の方へと歩いていく望眼。突然の来訪者に、先程東風の言っていた女の人のことが頭を過ってしまい少しだけ胸の奥がざわついた。
が、それもすぐに解消されることとなった。
玄関口の方へと行き、なにやら対応に来訪者の回っていた望眼。が。
「あ、おい……っ! お前、なに勝手に入って……」
扉が開く音ともに、慌てたような望眼の声が聞こえてきた。
そして、
「お、良平君だ~! こんなところで会えるなんて運命じゃね?」
軽薄な声、照明によって鮮やかに染まる紫髪。そして満面の笑顔――つい最近見覚えのあるその顔に、俺は慌てて背筋を伸ばした。
「す、スライさん……っ!」
「ここに来たら君に会える気がしたんだよねえ、良平君」
先程まで重たくなっていた空気が、スライの登場により一気に浮ついた空気になった。ただ一人、東風は面倒くさそうに息を吐いた。
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