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第10話
自分の腹の音で目を覚ます。
気絶していたようだ。目を覚ませばあのベッドの上へと戻っていた。あの男――花戸の姿はどこにもない。
空腹で腹と背がくっつきそうだった。気分が悪い。喉も酷く痛む。風呂で逆上せてしまったせいか、全身は未だ火照っていた。
起きなければ。またあの男が戻ってくる前に。これ以上好き勝手されたくない。
その一心で立ち上がろうとするが、両手首と両足首を縛られてるせいで思うように動けない。それでも芋虫のように這いずることはできた。
前回のような失敗はしないように、先にシーツを足を引っ掛けてなんとかベッドの下へと落とす。それをクッション材代わりに俺はそのまま床の上へとそっと転がった。……節々が酷く痛んだが、前回ほど派手に落ちずに済んだ。それから、腹に力を込めて上半身を起こした。
これだけで一苦労だった。取り敢えず、腕の拘束だけでもどうにかならないか。噛むことさえでにればまた違ったが、前回同様口はテープで塞がれていた。ベッドの足に腕を押し付けて力を込めるが、隙間なくぎっちりと皮膚に張り付いた革製のそれはちょっとやそっとじゃ千切れそうもない。……どうしよう。
部屋を見渡す。この部屋にはなにもない。生活感も感じない。本当にただ人を閉じ込めるために用意した気配すらする。
前々から感じていたが、花戸の家には花戸以外の人間の気配がまるでしない。かといって、学生の一人暮らしにしてはあまりにも広すぎる。
余程親が金持ちなのか、俺は兄の生活していた一部屋を思い出してはなんとも言えない気分になった。
足と臀部に力を入れ、なんとか扉の方へと向かう。そのまま扉にそっと耳を押し当てた。……生活音は聞こえてこない。花戸は今この家にいないのか。
まだ確信はできないが、それでも俺がここまで動いてもやってくる気配のない花戸に内心ほっとした。……けど、これもいつまで持つか分からない。
早めに調べれるところは調べておこう。
そう、目の前の扉のドアノブに両腕を伸ばす。不自由な指でなんとかドアノブを掴み、引こうとするが……駄目だ。やはり鍵がかかっていた。
外側から施錠されてるらしい。落胆し、俺は扉から離れることにした。
それから暫く。なにかないか探したが何もない。
それどころか髪の毛一本すら落ちていないのだ。あの男の徹底ぶりには辟易する。
そのとき、扉の向こうから物音が聞こえた。花戸が戻ってきたようだ。真っ直ぐにこちらへと向かってくる足音に、慌ててベッドまで戻ろうとするが一足遅れた。
開く扉。ベッドの側、すがりつくようにしがみついたまま俺は固まった。
そこには花戸がいた。外に出ていたのか、最後に見たときとまた違う服を着ていた。
「……君はまた……。どうやらベッドの周りにはクッション用意した方がいいみたいだね」
「……っ」
「怪我は?」
大股で歩み寄ってきた花戸は軽々と人の体を抱き上げ、そして、そっとベッドの上へと降ろした。鼻孔を掠めるあの煙草の匂い。それに混ざって微かに懐かしい香りがした。まるで……お香のような。
押し黙る俺に、花戸は口を塞ぐテープを剥がすのだ。
「喉、乾いただろう。ほら、帰りに買ってきたんだ。……飲ませてあげるよ」
いらない、と答えるよりも先に伸びてきた花戸の指に唇を触れられる。デジャヴ。歯でボトルの口を開く花戸をみて慌てて顔を逸らそうとするが、遅かった。当たり前のように、自ら水を口に含んだ花戸はそのまま俺の唇を塞ぐのだ。押し流される水はそのまま強引に喉奥へと押し流される。
拒もうと舌を動かそうとすれば顎へと流れ、胸元まで流れて落ちていく。花戸はそれを無視して、二度、三度と口移しで俺に水分補給をさせるのだ。
「……っ、ケホ……」
「お腹は? 減ってるだろう。君のためにご飯も用意したよ。……リビングへ行こう」
「っ、いらない……」
「もしかして……さっきみたいに食べさせないと、君は自分で食事もできないのか?」
「……っ」
取り出したハンカチで俺の口元を優しく拭う花戸。その行為とは裏腹に、背筋が薄ら寒くなることを言い出す目の前の男になにも言えなくなる。
こんな犯罪者の用意した料理なんて食べるか。そう思うが、この男にとって俺の意思など関係ないのだ。花戸は足の拘束具の鍵を外した。
そして、そのまま俺の手を取るのだ。
「冷めたらもったいない。おいで、食事の時間にしよう」
また酷いものを食べさせられるのではないかと思った。その覚悟すらしていた。けれど、花戸に連れられてやってきたリビング、そのテーブルの上に並んでいたのは手の混んだ料理だった。
ただでさえ空腹だっただけに余計、突然目の前に現れた料理の数々とその食欲を唆るような濃い匂いに強い目眩を覚えた。
「どうぞ。……って言っても、全部デリバリーだけど」
「……」
この男の手料理ではないのか。
ならば、と思ったが慌てて首を振る。絆されるな。ここがどこなのかを思い出せ。
一向に料理に手を出さない俺に痺れを切らしたのか、花戸はフォークを手に取る。その動作だけでもぎょっとしたのだが、そのまま皿の上の卵焼きにフォークを突き立てた花戸はその一切れを俺に向けた。
「ほら、口を開けて」
ほかほかと美味しそうな卵の匂いがした。腹が鳴る。そんな俺を見て、花戸は笑った。そして、俺の顎を掴むのだ。
「っ、ぅ、や、」
「ほら、あーんだよ。間人君」
「ん、ぐ……っ」
指でこじ開けられた口に卵焼きをねじ込まれる。驚いたが、幸い熱くはない。暖かなそれを口に放り込まれたと思いきや、花戸は俺の顎を抑えて口を閉じさせるのだ。
「ほら、もぐもぐするんだよ。具飲みはよくないからね」
「……っ、ぅ、ん゛……っ」
「ちゃんとごっくんするまで口は開けさせないよ」
まるで子供に話しかけるような柔らかい口調だった。あまりにも屈辱的だったが、本気なのだと分かった。花戸の手で無理矢理咀嚼を促され、俺は堪えきれずに口の中のものを飲み込んだ。酷く久し振りにまともな固形物を食べたと思う。細くなった喉には酷い異物感が残っていたが、それでも俺の喉仏が上下するのを確認して花戸は手を離した。
そして、その片手で他のおかずにフォークを突き立てるのだ。
「ほら、まだまだたくさんあるからね」
まだやるつもりなのか。まさか、俺が完食するまでする気か?
血の気が引いた。今度はヒレカツだ。流石にいきなりそれは無理だと首を横に振るが、花戸は問答無用でそれを口に押し込む。口の中いっぱいに広がるソースの匂いに酷く具合が悪くなった。ひとくちが大きいこともあって口を閉じることが精一杯な俺に「吐いたら駄目だよ」とただ笑った。
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