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第16話

 ずっと外へ出たかったはずなのに、全く喜ばしくないのは間違いなくこの首の異物のせいだろう。 「今日は肌寒くてよかったね、そのマフラーも君に似合いそうなものを選んだんだ」  マンションの一室を出て、新鮮な空気とその開放感に喜ぶのもつかの間。すぐ背後からぴたりと身を寄せるようについてくる花戸に、ただでさえ鬱陶しい首のそれがずしりとより一層重く感じた。  無骨な首輪を隠すように巻かれたマフラーを今すぐにでももぎ取ってやりたかった。この男は人殺しだと叫んでやりたかった。  けれど、それをできなかったのは首輪だけが原因ではない。 「さあ、行こうか。駐車場は地下にあるんだ」  少しでも逆らえばこの男は実家へと向かう。  見えないナイフを常に首筋に押し当てられているような恐怖の中、真っ直ぐに歩くこともできなかった。  久し振りに履いた靴、そして踏み締める地面が異様に硬く感じる。足の筋肉が弱ってるせいだろうか、今まで自分がどんな風に歩いていたのかわからなくなっていた。  そんなふらつく俺の腰を抱いたまま、花戸は「ゆっくりで大丈夫だよ」と優しく声を掛けてくるのだ。  マンションの通路には窓やベランダもない、まるでビルの中のような通路がただ伸びていた。  そしてその先にはエレベーターが一基存在していた。そして花戸はエレベーターに乗り込み、手にしていたキーを操作盤上に翳す。階数ボタンが点灯し、それから花戸はF2を選んだ。  ずっとこのマンションの一室にもいたにも関わらず、見たことのない施設への視覚的な情報量に圧倒される。  部屋の中から実家の部屋いくつ分もの広さにもしかしてと思ったが、俺の常識からしてもその内装やセキュリティからして良いマンションだということはわかった。  呆気に取られているわけにはいかない。分かっていたが、この状況に未だ戸惑っている自分もいた。  そして暫くもせずエレベーターは停止する。  扉が開いた瞬間、先程までの空間とはまた違うひんやりとした空気が流れ込んできた。  ――花戸の自宅マンション・地下駐車場。  花戸は「こっちだよ」と俺の肩に手を置き、歩き出すのだ。あまりにも馴れ馴れしいその仕草に今更嫌悪感を出す余裕もなかった。  今は急かず、少しでも多くこの男の情報を手に入れた方が賢明だ。このマンションの造りや車種などなんでもいい、とにかく弱味を掴む。  そして、隙きを探すのだ。絶対に逃げられるタイミングを。  二人分の足音が冷え切ったコンクリートの空間に反響する。歩いていると、見覚えのある車が近付いてきた。  あの車に最初に最後で乗り込んだとき、俺はこの男がこんな悪魔のような男だとは露も知らなかった。  あのとき疑いもしなかった自分がただ腹立たしくなるが、そんなことを後悔してる場合ではない。キーケースを取り出し、車を解錠させる。  それから花戸は俺をあのときと同じように助手席に乗せ、そのまま運転席へと乗り込んできた。  乗り込んだ瞬間、車内に広がる煙草の匂いに具合が悪くなってくる。甘ったるいあの匂いだ。 「これからどこへ行くと思う?」 「……」 「どこへ行くと思う? 間人君」 「っ、……分からない」  やつが上着のポケットに手を突っ込むのを見て咄嗟に答えてしまう。また電流を流されると思ったが、俺が答えれば花戸は笑うばかりで恐れていた電流が首輪から流れるようなことはなかった。  ハンドルを手にした花戸は「そっか」と他人事のように呟いた。 「でもきっと、君は喜んでくれるんじゃないかと思うよ。……とてもね」  それから車は走り出した。重苦しい空気の中、花戸の趣味だろうか、それともたまたまその局番だったのか車内に静かなクラシックが流れ始めた。  花戸は相変わらずなにを考えてるのか分からない。変わる景色を眺め、現在地を把握しようと窓の外を眺めていると段々外の景色は大通りから見覚えのある住宅街へと入るのだ。  どれほどの時間が掛かったのかも覚えていない。体感数分、それでも現れたその景色に息を飲む。  そして、閑静な住宅街の一角。花戸はとある一軒家の前で車を停めた。 「さあ、降りなよ間人君。  ――帰りたがっていた君の家だよ」  花戸はそう笑って助手席を開いたのだ。

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