11 / 107
05※
キスと呼ぶにはあまりにも異質だった。止めどなく傷口から溢れる血を舐めるように舌を這わされ、潰れた眼球を飴玉のように舐められた瞬間感じたことのない感覚が走る。裏側から撫でられるような気持ち悪さ、それ以上に、痛みと恐怖が混ざり合う。やめろ、と幸喜を引き剥がそうとするが、力が入らない。
「っ、や、め……っ、ろ……ッ幸喜……ッ!」
「っ、ハ……そーそーその顔、俺すごい好き。ね、もっと嫌がれよ」
悪魔のような顔で笑う幸喜に、視界が滲む。得体の知れない化物を前にしたような恐怖心に身が竦む。このままでは駄目だ、わかっているが、頭の中が真っ白になった。なにをされてるのだ、俺は。福の裾の下、伸びてきた細い指に臍を押され、息を呑む。
「ぅ、ぐ……ッ」
「流石、鍛えてるだけあって体硬いねえ。でも、全然力入ってないじゃん。ほら、もっと抵抗しないと……」
「っ、は……ッ」
腹部、腹筋をなぞっていたその指はそのままゆっくりと降りていき、全身が硬直する。痛みと恐怖で萎えきったそこを鷲掴みにされ、堪らず俺は目の前の少年を見た。
「食べちゃうぞ」
そう、赤く濡れた唇を同様赤く濡れた舌で舐める幸喜に、俺はこの目の前の男が冗談で言ってるのではないと嫌でも突き付けられるのだった。
「別に準一が嫌がるんだったら、『こっち』に突っ込んでやってもいいんだよ?ほら、俺優しいからさぁ、無理強いはしたくないし?」
『こっち』と、治りかけの傷口に遠慮なく指を捩じ込んでくる幸喜に血の気が引いた。逃げる体を押さえ付け、無理矢理肉をほじくり返し、剥き出しになった頭蓋骨を軽く指で叩いてきた。潰れる肉の音、血の匂い、脳味噌を掻き回されるような不快感。吐きそうになる。やめろ、という言葉も発することができなかった。やつの手を掴んで、引き剥がそうとすればやつは笑う。
「っは……なに? 怖い? 想像しちゃった? 本気かと思った? ……すげー顔しちゃってさぁ……あー、準一やっぱり可愛いわ」
「……ッ! や゛、め……ッ」
指でぐりぐりと傷口を掻き回すだけ掻き回す幸喜はそう言いながら俺の額から指を引き抜いた。ぐぢゅ、と頭に響く何かが潰れるような音。自分がどんな顔してるのか、どんな有様なのか、考えることすら耐えられない。震える体を隠すこともできなかった。何をされるのか、嫌でも理解させられる。
――殺される。殺される、死ぬ、嫌だ。痛いのは、嫌だ。
必死に目の前の男を突き飛ばそうとするが、逆に腕を掴まれ頭上に捻り上げられる。「そうそう、もっと抵抗してくれなきゃつまんないしね」と楽しげに、無防備になった下腹部を撫でられた瞬間寒気にも似た感覚が走った。
「は、なせ……ッ」
「流石に勃たないかー。ま、いいけど。どうせこれは使わねえし」
「っ、や……めろ……っ」
頼むから、なんて、情けなく震える声。人の下腹部を好き勝手弄るやつの手を掴もうとしたとき、幸喜の目がこちらを向く。生気を感じさせない、ガラス玉のような無機質な瞳は俺を見て歪む。
「すげー震えてるじゃん」
本来ならば他人に見られることなどない場所、排泄器官を指先でぐるりと触れられ、不快感と羞恥のあまり全身がびくりと跳ねる。機能していないはずの心臓の音が耳元で聞こえてくるようだった。やめろ、やめろ、見るな。幸喜の大きな二つの目が、好奇の色を滲ませてまじまじと人の下腹部を見てるの見て全身が粟立つ。蹴って押し退けたいのに、体に力が入らない。
「っ、や、めろ……ッっ、へ、変態野郎……ッ触るな……ッ!」
「変態……変態ねえ、なーんか心外なんだけど? せっかく準一を可愛がってやろうってのにさ」
「っ、く、ッ、ぅ……ッ」
「ケツの穴イジられんのは初めて? だろうなー、誰にも触られたことも自分でイジったこともないです! ってすげー締まってるもん」
「……ッ、クソ……ッ」
言うな、やめろ、触るな。そう、目の前のやつの薄い体を蹴ろうとするが逆に足を掴まれ、強引に開脚させられる。股の間立った幸喜はそのまま自分の指に舌を這わせ、唾液を垂らした。その行動だけでもぎょっとしたのに、あろうことかこいつはそのたっぷりと濡らした指を人のケツに挿入させてこようとするのだ。嘘だろ、と咄嗟にやつの手を掴もうとするが、遅かった。乾いた唇を舐め、幸喜はそのまま濡れた指先を押し当て、問答無用で捩じ込んでくる。
「っ、ぐ、ぅ……ッ!」
感じたことのない異物感に、全身が硬直する。何よりも、幸喜に指を挿れられてるということがなによりも屈辱で、頭の中が真っ白になった。指を拒もうと収縮する括約筋を無視して、細く華奢な指先は第一関節、第二関節と入ってくるのだ。
「すげ、やっぱり締め付けが違うよなぁ……死にたては」
「ッ、ぐ……ッぅ……っ、抜けッ、抜……ッ!」
入ってくるだけでも気持ち悪くて堪らないのに、体の中、挿入された指は腹の裏側を撫でるように動くのだ。ぬぷ、ぐぷ、と下品な水音が耳元で響く。耐えられず、やめろ、と幸喜の腕にしがみつくがやつはただじっと俺を見て笑うのだ。それどころか、曲がった指の腹で性器の裏側、その浅い位置を撫でられた瞬間腰が揺れた。声が出そうになり、咄嗟に奥歯を噛み締める。そんな俺の反応を幸喜は見逃さなかった。
腰を掴まれられ、覆い被さってきた幸喜は至近距離で俺の顔を見つめながらそこを執拗に嬲るのだ。じん、と痺れるような熱が腹の奥で肥大する。全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出すようだった。
「っ、く……ふ……ッ」
「は……っ、はは、なるほどねえ。準一、ここがイイんだ。すげーしおらしくなっちゃって、カワイー」
「っ、……ッ、ち、が……ッ」
「本当に?」
その言葉に、幸喜の視線に、息を飲む。下腹部、性器に血液が集中したそこを片方の手で跳ねられ、全身が反応した。気持ちいいはずがない、こんなやつに好き勝手されて。それなのに、意志とは裏腹に体が熱を帯びるのだ。凝りを撫でるように指で摩擦されればそれだけで声が漏れそうになり、必死にそれを殺す。逃れたいのに逃げられない。腰を捕まえられ、より執拗に指先で責め立てられれば主張するように宙を向いた性器からは先走りがとろりと垂れ流れるのだ。呼吸が浅くなる。自分が感じてるのだと理解することすら嫌なのに、無理矢理叩き込まれる。
「っ、く……っ、ふ、……ぅ……ッ!」
「準一腰揺れてんじゃん。やっぱりケツ好きじゃん。変態はどっちだよ、なあ?」
反論したいのに、口を開けば情けない声が出てしまいそうで怖かった。唇を噛み、抵抗の代わりに幸喜を睨めば、やつは楽しげに目を細めるのだ。徐々に腹の底から湧き上がってくる熱に、自分の限界を見たとき。
いきなり、幸喜は指を抜いた。
唾液を塗り込まれ、執拗に嬲られ、熱を持った内壁は突然なくなった異物感に思わず反応しそうになる。ホッと安堵するべきなのに、一瞬でも物足りなさを覚えた自分を嫌悪する暇もなかった。
「今、物足りないって思っただろ」
「……っ、そ、んなわけ……」
「嘘吐け。こっちは素直に『もっと弄ってください~』って口開けてんのに」
嘘だ、と、言い返そうとした瞬間だった。ガチャガチャと自分のベルトを緩める幸喜に青褪める。まさか、と思ったときにはもう遅い。下着を越しでもわかるほど勃起したやつの下半身を見た瞬間、血の気が引いた。
「安心しろよ準一、俺がすぐに栓してやるからな」
その言葉を理解した瞬間、背筋が凍る。咄嗟に近くにあった岩をやつの顔面に投げ付けるが、やつはびくともせずそれを受け止めた。血も出なければ、無傷でそこにいる幸喜は変わらず腹立つほどの笑顔で。
「残念、俺が生きてたら即死だったのにな」
そう、俺の顔を鷲掴んだ幸喜。遮られる視界。逃れようにも後頭部を地面に押し付けられ、なにも見えない。月明かりを背にした幸喜の濡れた目がこちらを見ていた。瞬間、先程とは比べ物にならないほどの衝撃が脳天まで突き抜ける。なにが、どうなったのかなんて確かめる勇気はなかった。下腹部、先程まで指で散々弄られ、熱を孕んでいたそこに突き刺さる衝撃。熱した鉄棒でも捩じ込まれたのかと思うほどの衝撃と痛みに堪らず、喉奥からは声にならない悲鳴が漏れる。痛みなんて感じないとわかっていても、それ以上の圧迫感に、何も考えられなかった。
地獄のような時間だった。
首を締められ、カエルみたいに足を開かされ、犯される。抵抗すれば殴られるのだ。地面の上、泥で汚れようが構わなかった。こいつから逃げられるのならなんでも。
けれど、腰を打ち付けられ、本来ならば一生触られるはずのない場所まで亀頭で叩き潰され、必死に閉じようとする肉輪を抉じ開けるのだ。
少なくとも、これがセックスだとは思いたくなかった。体が再生する間もなく、「締まるから」という理由で殴られる。こいつは頭がおかしい。それとも、既に死んでる体だからか。どちらにしろ俺からしてみれば堪ったもんじゃない。早くこいつが満足するのをただ無意味な抵抗をして待つことしかできなかった。快感もクソもない。気持ちよくなんてなるわけない。それでもやつは腰を振る。「準一ってやっぱサイコーだわ」と笑って。
気が付けば辺りは静まり返っていた。
自分が気を失っていたのだと気付いたときは体は五体満足の状態に戻っていた。服もそのままで、血も止まっている。頭の傷も戻っていた。まるで、本当に何もなかったように。悪い夢でも見ていたように。
……けれど。
「おっ、準一復活したんだ」
そう、近付いてくる幸喜に全身が飛び上がりそうになる。そして、先程までの行為が蘇るのだ。思い出すなと思っていても意識せずに済むわけがない。じわりと滲む血に、開く全身の傷口に、咄嗟に俺は幸喜から離れようとするが、うまく腰に力が入らない。
「っ……」
「あれ、まだ喋れない?」
「っ、黙れよ……」
「なぁんだ、紛らわしいな。喋れるなら返事しろって。無視されてるみたいで傷付くじゃん!」
バクバクと鼓動が響く、違う、これは血が流れる音だろうか。全身に汗が滲む。この場から一刻も早く立ち去りたかった。「なあ、準一、次はなにして遊ぶ?」なんて何もなかったように聞いてくる幸喜。やつの手が伸びてくるよりも先に俺は自室へと逃げる。
瞬間移動、なんて芸当以前の俺ならすぐにはできなかっただろう。
けれど今だけは、あの男から逃げたかった。目を開けば思い浮かべた光景がそこに広がっていた。質素な部屋の中、俺はあいつから逃げられたのだとホッとする。
けれど、息をつく暇などない。この限られた空間の中、神出鬼没なあいつから逃げられるとは思わない。少なくとも、すぐに後を追ってこの部屋に来るかもしれない。そう思うと、気休めにもならない。とにかく、あいつが来る前にどこかに身を隠そう。どこでもいい、幸喜がいないなら。そう、部屋を出た俺はロビーへと降りる。
屋敷の外には幸喜がいる。またあいつに出会ったらと思うと生きた心地がしないし、そもそもそれは屋敷の中でも同じだ。わかってても、今だけは森の中にはいたくなかった。
どこか、人がこなさそうな場所……。
そう、やけに鉛のように重たい体を引きずるように通路を抜けようとしたとき。
「準一さん?」
背後から名前を呼ばれ、全身が硬直した。振り返れば、そこには幸喜――ではなく、同じ顔をした藤也がいた。
相変わらず暗い表情。けれど、もしかしたらあいつが化けているのかもしれない。そう思うと身構えずにはいられなかった。
「……っ、お前、藤也か?」
「俺があいつに見えるわけ?」
「ぁ……いや、ならいいんだ」
「いつ帰ってきたの」
「い……今」
「そう。迷子にならなかった?」
こくりと頷き返せば、そう、と藤也は小さく呟いた。
……間違いない、本物の藤也だ。安堵すると同時に、どうしても目の前の藤也が幸喜と重なってしまい、嫌でも思い出させずにはいられなかった。まともに顔を見れない俺を不審に思ったのか、藤也は訝しげにこちらを見た。そして。不意に顔に伸びてくる藤也の手にびくりと体が震えた。
「……ッ、な……」
「血」
「え……」
「血が出てる」
指摘され、慌てて藤也から離れた俺は自分の額に触れた。
ぬるりとした生暖かい濡れたその感触に指先が滑る。そして恐る恐る自分の手のひらに目を向ければ、そこはべったりと血で濡れていた。
まさか、これ。
男性恐怖症の南波を思い出す。心的外傷が表に現れるというのはうっすら理解していたが、まさか自分がそうなるとは思っていなかっただけに困惑する。止まらない血に焦っていたとき。
「……俺、なんかした?」
「ち……違う、藤也のせいじゃない。ちょっと考え事してたんだ」
「考え事?」
「あぁ、考え事だよ」
「ならいいけど」
そう言うものの、その目は信じていないのだろう。……けれど余計な心配はさせたくなかった。しかも、お前の兄貴に殴られて犯されましたなんて、口が裂けても言えるか。
それでも、隠し事されているようで不愉快なのかもしれない。肌で感じたが、それでもいくら相手が優しい藤也だとわかってても言えないことがある。
そのまま立ち去ろうとする藤也に、咄嗟に俺はその腕を掴んだ。自分の取った行動に、藤也も、そして俺自身も一瞬飲み込めなくて固まった。
……行かないでくれ。一人になるのは怖い。そう思ったのが、行動に出てしまったらしい。
「なに」と、冷めた目がこちらを見る。そりゃ藤也からしてみればそうだろう、それでも、この隠し事できない体では口だけの誤魔化しなど意味もない。それならば、と息を飲む。
「……今から、どこ行くんだ?」
「どこって、別に決めてないけど」
「なら、俺も一緒に……」
「なんで」
「な、なんでって……」
「……血が出るほど、俺といるのは嫌なんじゃないの」
「っ、ち、違う……これは本当に……」
お前じゃなくて、幸喜のせいなんだ。そう言えないのがもどかしくて、突っ掛かった言葉を飲み込む。それでも、藤也がノーと言えば俺は何も言えない。仕方ない……やはり、一人でいるしかない。「悪い、止めて」と、藤也から手を離そうとしたとき、今度は藤也に手を取られた。
温度の感じない、乾いた手のひら。あいつと同じ、骨ぎすの薄い手のひらにびくっとしたのも束の間。触れるか触れないかの触れ方に、あいつとは違うのだと体感する。
「藤也……」
「別に、断るとは言ってない」
「いいのか?」
藤也は無言で渋々と頷いた。心なしか、耳が赤い。
恐らく、藤也は本来ならば一人でいる方が好きなのだろう。それでも俺の我儘を聞いてくれる藤也に安堵する。それと同時に、利用してるみたいで申し訳なくなった。
……これも全部、あいつのせいだ。
ともだちにシェアしよう!