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ep.4 Overcoming phobia

 八月某日。  俺が死んでから数日が過ぎ、生前の友人と話してから翌日。仲吉と話せたことにより、あれほど鬱々としていた気分が軽くなっていた。  ずっと気になっていた仲吉と話せたということだけでここまで楽になるのかと思うくらいだ。けれど、成仏していないということはお察しの通りである。  思いの外俺は未練がましい男なのかもしれない。そんなことを考えながら散歩した帰り、部屋に戻ってきた俺は今朝閉めたはずの扉が開いていることに気づいた。 「……ん?」  もしかして誰かが来たのだろうか。幸喜の腹立つ笑顔が過り、寒気を覚えたが藤也や奈都の可能性もある。  そもそも、ここ、俺の部屋だったか……?なんて思いながら恐る恐る扉に近付いた俺はそーっとドアノブを掴もうとした。その瞬間だった。勢いよく扉が閉まる。  その音にも驚いたが、明らかに向こう側に何かいる。  ……幸喜のイタズラか?けど、あいつ、こんなことするだろうか。天井を落とすとかならまだしも……。  思いながら、ぐっとドアノブを撚る手に力を加える。明らかに扉の奥からも掴んでるのだろう。負荷に耐えられず、扉がミシ、と音を立てた瞬間、ボコッと音を立てドアノブが外れる。……扉から。  そして、無理矢理開いた扉の向こう、そこには見覚えのある金髪頭があった。 「っ、な、南波さん……?」  予想すらしてなかった人物が扉の向こうから現れ、驚いた。だってそうだ、なんでこの人が、俺のことを苦手なんじゃなかったのか。  怯えたように扉の影で丸まっていた南波は、名前を呼べば「す、すみません!」と震え上がる。 「お、おれ、こんなつもりじゃ、ただ、あの、準一さんに……お詫びを……っ」 「お……お詫び……?」  こくこくこく、と南波は何度も頷く。目を瞑ったまま、俺よりも大きな男が丸まってだ。  「ちゃ、ちゃんと……詫びも、礼をできなかったので……す、みません、俺、役立たずのゴミなのに準一さんに助けてもらってばかりで……ッ!!」 「い、いえ……南波さんは基本とばっちりですし……というか、あの、俺に気遣わなくて大丈夫ですから。……苦手なんですよね、俺のこと」 「……ッ!」  押し黙る南波。何も答えないが、先程よりも怯えの色が濃くなっている。……難しい。あまり怖がらせないようになるべく優しく声をかけたりちょっと離れたりを試みてみるが、こうして南波の相手をしてること自体南波にとってはストレスなのだろう。 「無理しなくて大丈夫です。……俺は別に怒ってないですし……少し、南波さんの気持ちはわかりますから」  正確には、分かるようになってしまった。だが。それでも南波には俺が危害を与えるつもりはないということをわかってほしかった。 「っ、ぅ……ぐ……」 「……南波さん?」  扉越し。呻き声がして、少し心配になりながらも声をかけたときだった。壊れた扉、そのドアノブがあった穴から南波の目が覗いた。気がした。ほんの一瞬のことだった。確かに目があったのだ。 「……ありがとう、ございます……」  消え入りそうな声。けど、確かに俺の耳には届いていた。  正直、正直な話、相手はチンピラみたいな俺よりもガタイいい男だと分かっていても……嬉しい。散々逃げられ、怯えていた犬が僅かにではあるがベッドの下から出てきてくれたような喜びだ。  そして、それもつかの間。南波の気配が消える。塞ぐものも遮るものもなくなり、すっかり馬鹿になった扉はそのまま開いて俺の爪先にぶつかった。  部屋の中には相変わらず殺風景で、開いたままにしていた窓からは生温い風が吹いた。  今日くらいはいい日に……なればいいのだけれど。南波のことを思い出しながら、俺は手に握ったままになってた壊れたドアノブを床の上に置いとく。  場所は変わって応接室。  夏真っ盛り、おまけに今日は雨続きからの晴天だ。  四方八方から聞こえてくるセミの断末魔に、普段は不気味なほど静かなこの洋館も流石に賑やかだった。  そして明るい日差しに照らされた応接室内には珍しくこの屋敷の住人が……ほぼ全員揃っていた。いないのは幸喜一人で、どうやら外へ遊びに行っているらしい。俺にとってはありがたい話だった。  ……まあ、そんなことはさておきだ。  そんな応接室のボロいソファーに俺と花鶏は向かい合うようにの腰を下ろしていた。そして、その様子を奈都と藤也が遠巻きに、そして花鶏の座るソファーの影に隠れるように南波がいた。 「事情は南波から聞かせていただきました」  そして俺と花鶏を挟むテーブルの上に置かれたのは錆びたドアノブだ。 「まあ、元から古くなっていたので仕方ないことでしょうね」 「は、はい……」 「ですが、そのことを配慮し、『もしかしたら壊れるかもしれない…?』と力を加減するなどの方法もあったでしょう」 「……すみませんでした」  誰かから説教なんて、久し振りだ。いや、藤也が斧で扉を壊したときも怒られたが、今回の主犯は俺だ。  何も言い返す言葉もなく、俺は項垂れて花鶏の言葉を聞くことしかできなかった。反省してるのを感じたのか、花鶏はやれやれと肩を竦める。そして。 「少し罰として、準一さん方にはちょっと働いて頂きます」 「方……?」 「もちろん、南波。あなたもですよ」  ソファーの物陰で丸まっていた南波が大きく震えた。わかる、俺も同じだ。 「奈都君、ちょっと来てもらってもいいですか?」 「ぼ……僕ですか?」 「お二方を墓地までご案内して頂けませんか?」  墓地。当たり前のように花鶏の口から出てきたその言葉に思わず顔を上げる。  ここに、こんな山奥に墓地があるというのか。 「あの……でもあそこは」 「心配しなくて大丈夫ですよ。ただ私の代わりを頼むだけですから」  俺と南波に交互に視線を向けた奈都は少し間を開け、「わかりました」と小さく頷いた。  なんだ、奈都が渋るということはなにかあるのか。 「あの、墓地って」 「私たちの墓ですよ。幽霊屋敷があるんです。特に珍しくもないでしょう。そこで、少し墓地周辺の掃除をしてほしいんです」 「掃除ですか……」 「まあ簡単な草抜きでいいですよ。ここ最近は天候にも恵まれていましたからね、気が付くとすぐに雑草だらけになってしまいます」 「私は今日は貴方の部屋の扉の修繕をしなければならないので、その代わりによろしくお願いしますね」そうにこりと微笑む花鶏に俺は「はい」としか言えなかった。  南波も災難だ。……けど、草抜きくらいなら俺一人でも大丈夫だろう。  そんなことを考えてると、「ご武運を祈ってます」と花鶏は微笑んだまま続けるのだ。その言葉がなんだか引っ掛かったが俺は敢えて触れず、そして早速案内係の奈都と一緒に応接室を後にした。  ……いや、よく考えれば一番の被害者はこんな炎天下のクソ暑い森の中に駆り出される奈都かもしれないな。そんなことを思いながら。  夏の昼間の樹海とは言えど、相変わらずそこは薄暗くどんよりとした空気に覆われていた。いくら大自然のマイナスイオンがあるとしてもこのジメジメとした暑苦しさまではどうすることもできないようだ。  そして、前を歩くのはそんな季節感をまるで無視した冬服の青年だ。……すでに死んでるにも関わらず汗だくになってしまう俺とは対象的に奈都は死人のような涼しい顔をして先を歩くのだ。……脳がおかしくなってしまいそうな光景だ。 「なあ奈都」 「……はい?」 「それ、暑くねえの?」 「僕はあまり気にしたことなかったんですけど……やっぱり暑苦しいですかね」 「暑苦しいっていうか……なんつーか、ほら、嫌とかじゃなくて奈都が平気なのかなーって、なんとなく気になっただけだから」 「まあ、僕は……。一応、準一さんみたいなラフなのに着替えることも出来ますけど、やっぱり意識してないとこれになっちゃうみたいなんです」 「そりゃ大変そうだな」  かく言う俺も死んだあの日に着ていた服のままだし、着替えようという考えもなかった。多分、奈都が死んだのは寒い冬だったのだろう。思ったが、敢えて口にはしなかった。  よく考えてみれば花鶏の着物はちょくちょく柄が変わってる。南波と藤也はいつも同じような服だし……幸喜は……やめよう、考えるの。 「あそこにいると季節感がなくなりますからね。特に」 「まあ、着替える必要もないしな」 「楽っちゃ楽ですけどね」  前の一件から奈都の扱いに対して少し戸惑っていたが、やはり精神年齢が一番近いと聞いていたからだろうか。話してみると気楽だ。  奈都に案内されて墓地へと向かう俺と更に十メートル以上離れたところからついてくる南波。  青々と繁った森の中、進むにつれじめじめとした空気と謎の生き物の声が増していく。  本当にこんな森に墓なんてものがあるのか疑問に思ったがが、それよりも花鶏の言葉が気になって仕方がなかった。  花鶏曰く、その墓に自分達が埋まっているという。こんな人気のない場所で誰が埋めたのだろうか。もしかして、自分たちで。だとしたら、すごい光景だな。なんて考えながらも、俺は奈都と雑談を交わしながら墓場へと向かう。 「そう言えば、奈都っていつもなにやってんの?」 「……いつもですか?」 「ああ。なんかあまり姿みない気がするし……参考にしようかと思ったんだけど」 「……」 「あ……悪い。言いにくかったら別に……」 「いえ、大丈夫ですよ。謝らないでください。……そうですね、準一さんなら……」  後半ブツブツと何か呟いていた奈都は少しだけ考え込むような仕草をして、そして、こちらに目を向ける。そして、声を微かにひそめる。 「いつもは、調べものをしてるんです」 「調べもの?」 「はい、ここから出るためにどうしたらいいのかを」  そして、奈都はそう静かに続けた。  その言葉の意味を飲み込むのに少し時間がかかった。  ここから出る、というのは文脈からして……。 「ここって……この樹海のことか?」 「はい」 「……できるのか? ……確か、結界が張られてるって聞いたんだけど……」 「そうですね。……なので、それを確認するために色々調べてるんですが……」  そこまで言いかけて、奈都は黙り込む。つまり、あまりいい兆しは見えていないらしい。  けれど、正直驚いた。ここにいるやつらは花鶏や双子たちのように好き勝手のびのびしてると思っていたからだ。しかしよく考えてみれば奈都のような考えのやつがいてもおかしくはない。  出ることをまず鼻から諦めかけていた俺にとって奈都のような人間は衝撃的だった。 「花鶏さんたちは知ってんの? ……その、奈都が出たがってんのって」 「はい。諦めた方が早いですよって一蹴されましたけどね」  「ああ……なるほど」 「準一さんは、どう思いますか?」 「……俺?」 「一日でも早くここから出て自分の家に帰りたいと思いませんか?」  静かに尋ねてくる奈都は、同意を求めるように俺に問い詰める。自分の目的を話しているうちに気持ちが昂ってしまったのだろうか。その言葉からは焦燥感が滲み出ていた。  帰れるものなら今すぐにでも帰りたい。でも、本当に帰れるのだろうか。 「気持ちは……わかるよ」  なんとなく奈都に気圧されながらも、俺は頷き返してみせる。  いつか、花鶏と幸喜が言っていた。奈都はまだ割り切れていないと。つまりこういうことなのだろう。  端から見てよくわかった。ここから出て家に帰ること、それが奈都蛾成仏するための条件なのだろう。俺の言葉に、奈都の目に光が戻る。 「……っ、わかってくれるんですか?」 「そりゃ、俺だって帰れるなら帰りたいけど……」  難しそうじゃないか、と言い掛けたとき。立ち止まった奈都にいきなり両腕をがしっと掴まれる。 「ほ……本当ですか……!」  ……なんだ、このリアクションは。さっきまで大人しかっただけに、いきなり大きな声を上げる奈都に素で驚いた。  呆気取られる俺に気付いたのか、はっとした奈都は慌てて俺から手を離した。 「あ、す、すみません……つい熱くなってしまって」 「い、いや……」 「でも、安心しました。……皆帰りたがらないので、もしかして自分がおかしいのかと不安だったんです。……皆に相談したところで相手にされないし、それなら僕一人でも……と思ってたんですけど……こういっては不謹慎ですが……良かったです、準一さんのような常識的な方がいてくれて」  ここまで喜ばれるとは、余程心細かったのだろう。  奈都がどれくらいここにいるのか知らないが、俺が奈都の立場ならとっくに諦めてるかもしれない。それでも俺が来るまでもこうして一人で色々調べていたというわけだ、そう考えると奈都の芯の強さというか……執念深さが伺える。 「……でも、花鶏さんたちの言うようにここで成仏した方が早いんじゃないのか?」  そう、なんなしに口にしたときだ。  先程まで嬉しそうに語っていた奈都の表情から笑みが消えるのを見て、しまった、と直感する。 「……本気でいってるんですか? こんな場所に閉じ込められたまま成仏できると思ってるんですか?」  どうやらまた俺の余計な一言が奈都を焚き付けてしまったようだ。不愉快そうに顔を歪め、強い口調で詰ってくる奈都に思わず後ずさる。奈都の地雷がよくわからない、けど、ある意味わかりやすいのかもしれない。  奈都は、この場所をよく思っていないように思えた。  言い方は結構キツいが、奈都が言いたいこともわかった。  見知らぬ場所に閉じ込められた状態では、成仏どころか未練しか残らない。そう言っているのだろう、要するに。 「……それに、そもそも本当に成仏出来るのかどうかも……」  苛立たしげに視線を逸らす奈都は、声を潜め吐き捨てるように呟いた。  ……どういう意味だ。  意味深なことを口にする奈都に問い詰めようとしたとき、不意に後ろの草むらでガサガサと音が聞こえてきた。 「さ、さっさと歩けよ! 後ろつっかえてんだよ!」  どうやら南波がやってきたらしい。草むらからちらちらと覗く金髪頭に、奈都は「あっす、すみません……すぐ移動します」といつものように申し訳なさそうな顔をした。  慌てて止めていた足を動き出す奈都は、そのまま森の奥へ進む。  奈都は花鶏に対しても猜疑心を覚えているようだ。  死んだばかりで右も左も分からない俺にこの体のことを教えてくれたのは花鶏だ。仲吉との意思疎通の測り方も知っていた花鶏。そんな花鶏が俺たちを騙していたら?  そんなこと、俺に見抜ける自信はない。一つを疑い出したらきりがない。だからこそ奈都はなにもかも信じれないのかもしれない。

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