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02
奈都のあとをついていくこと暫く。
進めば進むほど木陰が濃くなり、辺りの空気が湿気を帯び始める。ここまできたらマイナスイオンどころか気味悪いな。なんて思いながら周りを見渡していると、不意に奈都が足を止める。
「……こっちです」
言われて奈都の横に行けば、そこには更地が広がっていた。そう、更地だ。一部だけ岩も木もない、不自然な土も膨らみもなければ十字架、ましてや名前が彫られた墓石もない。不自然に空いた空間がそこにはあった。
「……墓地?」
「はい」
「これが?」
「はい。……放置された皆さんの遺体は全部ここに埋めたと聞きました」
「埋めたって、どうやって」
「こう、穴掘って」
「自分でか?」
「……実はそのことについては僕も詳しくは聞いてないんです。すみません」
「あ。でも、南波さんなら詳しく知ってるんじゃないんですかね?」申し訳なさそうな顔をしていた奈都は、ふと思い付いたように俺に提案する。確かに気になったが、数メートル後ろからついてきている南波をちらりと見る。微かに草むらがびくっと揺れた。どうやら俺の視線に気付いたらしい。
「でも、なんで南波さんだ……?」
「南波さん、この中では花鶏さんの次に昔からいるらしいですよ」
「なるほど、そういうことか。でも、教えてくれるか……?」
「……無理そうですね」
というわけで、俺たちは花鶏から頼まれていた草むしりをすることになったわけだが……これがまた面倒な作業だった。
「雑草しかねえし……」
「……僕も手伝います。日が暮れる前にさっさと終わらせちゃいましょう」
「悪い、奈都はなにも悪いことしてないのにな」
「気にしないでください。……それにきっと、南波さんもあの調子ですから」
ちらりと南波がいたところを確認すれば、かなり離れたところでちまちまと草を抜き始めていた。……一応はやってくれるようだ。絶対やってくれなさそうなのに、意外だ。やっぱり悪い人じゃないんだろうな、なんて思いながらじゃあ俺たちもそろそろやるか、と話していたときだ。
「楽しそうなことやってんね」
俺も混ぜてよ、と、音もなく目の前に現れた幸喜にひゅ、と喉が鳴る。
俺が飛び退くよりも先に、奈都により幸喜から引き剥がされた。すげえ力に驚くよりも、問題はこっちだ。
「幸喜……お前、なんで……」
「俺もさ準一虐めすぎた罰で草むしり任されてたんだよ。けど、面倒だから無視して昼寝してたら楽しそうな声聞こえてくるし、なんつーか、飛んで火にいる夏の虫?」
「……なるほど、要するに貴方の尻拭いをさせられていたわけですか。なら帰りましょう、準一さん。最初に頼まれた人間がやるべきです、こういうのは」
「あ、えっ、おい奈都……」
「ノリ悪いねーなっちゃん。花鶏さんは元から俺と遊ばせるために引っ張って来させたんだって。俺さ、奈都とも遊んでみたかったんだよな。お前俺のことすげー避けるじゃん、たまには親睦深めようよ、花鶏さんがせっかく用意してくれた場なんだし」
「鬼ごっこ?隠れんぼ?なにがいい?俺はなんでもいいよ。――準一はなにがいい?」そう笑う幸喜は自分の額を指差して笑う。指差された場所に触れれば、血が指に触れた。顔が熱くなる。意識するなと思うのに、やつの笑顔を見ると、笑い声を聞くと、嫌でも想起させられるのだ。
「俺的に隠れんぼもいいなあ。俺が隠れて、準一たちが鬼。日が落ちる前までに俺を見付けられなかったら全員ギロチン。なんてどう?面白そうじゃん?」
瞬間。
いつの間にか隣に立っていた幸喜は手を刃に例え、自分の首に当てそのまま横に引く。小馬鹿にするような幸喜の首切りのジェスチャーが気に入らなかったのか、奈都は幸喜に軽蔑するような眼差しを向けた。無理もない、冗談にしては悪質すぎるし、冗談にも聞こえないので笑えない。
「勝手に話を……」
「それじゃ、スタート!」
「あ、おい……っ!」
瞬きをした次の瞬間、そこには幸喜の姿はなくなっていた。……あいつ、まじで人の話を聞かねえ。
付き合ってられるか、という気持ちは俺も奈都も同じなようだ。逆にあいつが鬼じゃないだけマシか。思いながら、俺たちは視線を合わせた。
「……取り敢えず、草むしりだけして一旦花鶏さんのところに戻りましょうか」
心底うんざりした顔の奈都に、俺は同意する。気付いたら額の血は止まっていた。
そして簡単に草むしりを済ませ、俺たちは屋敷の前まで戻ることにした。
――屋敷前。
「おや、お帰りなさい。随分と早い帰宅ですね」
どうやら玄関先の花の世話をしていたらしい。じょうろを手にした花鶏が出迎えてくれた。この笑顔が今はちょっと恨めしい。
「……あの、花鶏さん。幸喜のこと聞いてなかったんすけど」
「ああ、幸喜、会ったんですか?」
「会いましたよ。おまけに邪魔されましたし、隠れんぼするだとか勝手に行ってどっか行っちゃいましたし……」
「また幸喜は……まったく。すみませんね、どうせ幸喜のことなのでどっか遊びに行ってると思ってたんですがあそこにいたとは」
「花鶏さん……」
「まあ、まあ。奈都君もそう怒らないでください。あれも構ってほしいだけなんでしょう。……それにしても楽しそうじゃないですか、隠れんぼ。付き合ってあげたらいいんじゃないですか?」
そう他人事のように微笑む花鶏に、俺はなんとも言えない気分になる。そういや、これ屋敷壊した罰だったんだよな。つまり幸喜の悪趣味極まりないお遊びに付き合うまでが罰ということか。当事者である俺と南波はともかく、ただの道案内として巻き込まれた奈都は堪ったものじゃないだろう。
案の定、奈都は「嫌です」と口にした。奈都の言葉に、花鶏は「ああ、奈都君は無関係でしたか」と思い出したように声をあげた。
「まあ無理強いはしませんが……先のことを慣れておいた方がいいんじゃないですか?それと、これは余計なお世話なんですが、このときの幸喜は無視したときの方が厄介だと思いますよ」
「……それは」
確かに。無視して逆上したあいつにまた殺されかけてはたまったものではない。でも、素直には付き合いたくないし。……でも、ここにいる限り逃げられないのか。そう思うと改めて奈都の言っていた言葉の重みを感じるようだった。
「……わかりました」
「っ、準一さん……」
「奈都は本当に無関係だからな、大丈夫だぞ。……気にしなくても」
「……わかりました。僕の方でも見つけたときは捕まえてすぐに貴方に伝えます」
「……わ、悪いな……」
「いえ、あの男に好き勝手されることの方が耐えられませんので」
余程散々な目に遭わされてきたのだろうか、奈都の反応を見るに幸喜に対するそれは殺意にも等しい。……心強い、といっていいのか。複雑になりつつ、俺は「ありがとう」と奈都にお礼を言う。
それから一旦花鶏たちと別れた俺は、屋敷の庭の隅にいた南波に数メートル離れた位置から事情を説明することにする。
先ほど幸喜と遭遇したときに大まかな話はしていたのだが、奈都が離脱したことを聞いた南波はなんかもうこの世の終わりみたいな顔をしていた。
「二人だけでとか、無理だろ。無理ですって、絶対。余裕で間に合うわけないじゃないですか、普通に考えて」
屋敷の庭先。木陰に隠れながらも無理無理無理とやたらネガティブな発言をする南波に俺までなんだか落ち込んできそうだ。
「そんなこと言ってたらまじで首切られるハメになりますよ」
「く、首だけなら……まだましっす……それくらいなら……」
「な、南波さん……」
「と……ッ!とにかく、俺はあんなやつに構うのは嫌っすから。降りさせて貰います」
「あ、ちょっ、南波さん……っ!」
慌てて止めるが、間に合わなかった。しん、と辺りに静けさが戻る。……ああ、なんとなく予想はしていたが。
首切られるくらい、か。南波は俺と同じと思っていたが、その認識を改めなければならないようだ。
ギロチンが嫌だと思っているのは俺だけなのか。
割り切る二人とは違い、俺が幸喜に対してまだ割り切れないのはやはり昨夜のことが関係してるのか。
……とにかく、俺だけでも幸喜を捕まえギロチンを免れたい。でも、奈都と南波がいなくなった今、たった一人でこの森の中から幸喜を見付け出すのは至難の業だろう。
……奈都はああいってくれたが、それでも孤立無援に等しい。どうしようか、と近くの壁にもたれかかったときだ。
不意に、頭上からなにかが降ってくる。コツンと後頭部に直撃したそれは、そのまま音もなく足元に落ちた。
つられて足元に目を向ければ、それは小さな小枝だった。
どっかの木が折れたのだろうかと思いながら上を見上げれば、屋敷二階の窓から見覚えのある顔がこちらを見下ろしていた。
藤也だ。どうやら藤也が小枝を投げてきたらしい。
「なにするんだよ」
後頭部を押さえながら藤也に声をかければ、こちらを無表情で見下ろしていたやつは口を動かした。
『二階まで来て』
確かにそう藤也は言った。
ただでさえ時間がないのにと思いながらも、行く宛もない俺は言われるがまま屋敷二階へ向かうことにする。
小枝に対する謝罪がなかったのは不満だったが、でかい石じゃないだけましなのかもしれないと思い込むことにした。
日が落ちるまで残り二時間弱。
屋敷二階。
階段を上がり、先程藤也がいたらしい窓際の部屋へ向かう。
いくつもの扉がある廊下。その最奥の扉を開けば、強い風が吹いてきた。物置部屋だろうか。使われていない家具や骨董品が雑に置かれたその部屋に藤也がいた。
開きっぱなしの窓の外を眺めていた藤也は、扉の開く音に気付いてこちらを振り向く。
「なんだよ」と声をかければ、藤也は視線を逸らし「幸喜」と呟いた。
「探してるんでしょ」
なんでこいつが知っているんだと驚いたが、恐らく先程俺たちが屋敷前で話していたのを盗み聞きしたのだろう。
「ああ……って、おい藤也?」
瞬間、するりと隣を通り過ぎていく。
「……なに?」
「いや、どこに行くんだよ」
「食堂」
「ああ、食堂ね。……って、え」
「幸喜なら食堂に来る」
未来形だ。口数少ない藤也にこうもはっきり断言されると確かにそんな気がしてきた。
「この手の遊びをするときは、あいつはいつも食堂で支度してる」
「こういうのって?」
「肉切り包丁とか、フォークとか」
「……」
自分から聞いておいてなんだが、聞かなきゃよかった。
「新しいやつが来るとね」と、小さく付け足す藤也の後をついていく。……行きたくねえな。
ウキウキしながら刃物の下準備してる幸喜なんて会いたくないナンバーワンだろ。
「……悪趣味すぎんだろ」
「その内何も感じなくなる」
「お前も、なにも感じないのか?」
「……」
恐る恐る尋ねれば、藤也は俺に背中を向けたまま押し黙った。話題が話題なだけに黙られるとすっきりしないものだ。暫く続いた沈黙の末、藤也は「準一さんも慣れるよ」とだけ口にした。
そんな日、一生来なくてもいいんだがな。
思いながら、俺は藤也の後をついていった。
屋敷、食堂前。
俺の前を歩いていた藤也は蝶番の大きな扉の前で足を止める。そして、ドアノブを捻りその扉を押し開いた。
食堂内、窓一つもないそこは薄暗く、湿ったような空気が充満している。そこに人影は見当たらない。
以前来たときと印象が違うと思ったら、どうやら食卓の上の蝋燭立てが機能してないようだ。だから余計暗く感じるのか。そう戦々恐々としていたときだ。不意に、遠くから声が聞こえてきた。いや、よく聞くとそれは鼻歌だ。どこからか聞こえてくるやけに大きな鼻歌。その鼻歌の主は、恐らく幸喜だろう。というかこんなうるさい鼻歌歌うやつなんてこの屋敷にただ一人しかいない。俺と藤也は顔を合わせた。
「……なぁ、これって」
「厨房の方から聞こえる」
そう、食堂の奥へと歩いていく藤也についていく。
十人は座れそうな大きな食卓の脇を通り、食堂の奥まで移動する。その奥には扉があり、どうやら厨房に繋がっているようだ。その扉に近付けば近付くほど、鼻歌の声は大きくなり、それに混じってなにかを引き擦るような不協和音が聞こえてきた。
「……行きたくないなら、ここで待っててくれてもいいから」
もしかしてまた思っていたことが表面上に出てたのだろうか。咄嗟に額に手を当てるが、血のぬるりとした嫌な感触はなかった。つまり、藤也なりの優しさだろう。
「いや、いい。一から十までお前に面倒かけれない」
「……一応、忠告はしたから」
藤也はそれだけを言い、扉を開いた。
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