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03
厨房。
開いた扉に反応するどころか、その鼻歌は鳴り止む気配すらない。厨房、その中央の台の前、俺達に背中を向けて何やら作業していた幸喜がいた。調理台の上に並べられた刃物、そして、その中でも一番大きな中華包丁を研いでいたのだ。
「幸喜」と、藤也がやつの名前を呼んだ瞬間、鼻歌と金属を擦るような音は鳴り止む。
「お前の負けだ」
無言の幸喜。聞こえなかったわけではないはずだ、それでもやつはなにも答えようとしない。たった数十秒間の沈黙がやけに長く感じた。
そして沈黙の末、幸喜は持っていた包丁を調理台の上に置いた。
「……なんかさあ、狡くない? 藤也と組むとかさあ、反則じゃん」
「俺が参加したらいけないってルールは聞いてないけど」
「あははっ、本当反抗的だよねー! まあいいけど。ルールはルールだし、準一の勝ちってことにしてあげとくよ」
「ほら、準一」と包丁を置いた幸喜はこちらを振り返り、両手を広げる。
「鬼は捕まえないと」
「み、見つけるだけって言っただろ……!」
「そうだっけ?」
「そうだよ、つか……ルールはちゃんと守ったからな。もうギロチンはなし……」
「どうしよっかなー。でもさぁ、準一もズルしたじゃん。俺は南波さんとー奈都とー……準一と遊んでたのにコイツ連れてくんだもん」
「準一さんは何も言ってない。俺が手伝うって言い出したんだよ」
見兼ねたのだろう。俺と幸喜の間に割って入った藤也に、幸喜の表情から笑みが消えた。感情が抜け落ちたようなその表情にぎょっとするのもつかの間。
「……は? 藤也が? なんで?」
「暇だったから」
単刀直入。俺のことを庇ってくれているのか、それとも。
どちらにせよ、幸喜にとってはその言葉は衝撃的だったようだ。暫し固まっていた幸喜だったが、やがて、乾いた笑みを漏らした。
「……っ、は、はは……なるほど、お前まじか……お兄ちゃんよりそいつの味方するなんて……割と傷付くなぁ」
言いながら、並べてあった包丁を手に取る幸喜に咄嗟に息を飲んだ。「おい」とか「何を」とか何か言った気がするが、動揺のあまり頭からすっぽ抜けていた。
「――それは俺のだよ、藤也。お前にもやんねえから」
独占欲と呼ぶにはあまりにも稚拙で、凶悪なものだ。
手にした包丁のその先端を藤也の眼前に突きつける幸喜に息を飲む。突き付けられた当の本人はというと、微動だにせずただ冷めた目で自分と同じ顔のそいつを見据える。
「勝手にしろ。けど、今回はアンタの負けだから」
「お前、ほんっと可愛くねえのな」
幸喜の笑みが深くなった瞬間、藤也の顔面に向かって思いっきり振り下ろされる刃物。藤也はその歯を握り締め、顔に刺さる直前にそれを防いだ。本来ならば手のひらがずたずたになり、血が止まらないはずだろう。けれど、藤也の手のひらからは血の一滴すら溢れない。
「おお、すげ。やるじゃん」
「お前がわかりやすすぎるんだよ」
「そーお?」
幸喜の手の中からそのまま包丁を取り上げる藤也。
幸喜はというと「強引だな」とただ笑い、そして両手を上げた。
「わかったわかった、認めるよ。今回は俺の負けだって。だから、それを下ろしてくんねえかな」
躊躇いもなく幸喜の首に刃物を突き付けた藤也に、幸喜は楽しそうに笑いながらそう請う。いくら死んでいるとはいえ、同じ顔の人間が殺し合うのは異様な光景だった。
うっかり止めに入るのを忘れていた俺は、「藤也」と声を掛ける。
「……準一さん」
「は、離してやれ……俺は大丈夫だから」
「……別にアンタのためじゃない、俺が不愉快だっただけだから」
本当にそうなのか?だとしたら俺は自意識過剰も甚だしいところなのだが、一先ずは落ち着いてくれたらしい。
幸喜から手を離した藤也。解放された幸喜は「いてて」とよろよろと尻餅をつくのだ。
「……おい」
「あーびっくりした。お前本当手加減しねーんだもん、俺は遊んでるだけってのに」
なんて言いながら、口振りとは裏腹に全く悔しくなさそうな幸喜は「よっこいしょ」と起き上がる。そして、そのまま厨房から出ていこうとした、その瞬間。
やつが俺の横を通り過ぎようとした瞬間、伸びてきた手に胸倉を掴まれた。え、と思ったときには遅い。
殺される。そう目を瞑った俺の唇にぬるりとしたものが触れるのだ。
「……っ、ん、ぅ……ッ?!」
ぢゅ、と嫌な音を立てて唇を吸われる。嘘だろ、と凍り付くのと、幸喜の背後に現れる影に気付いたのはほぼ同時だった。影──もとい藤也は無表情のまま、包丁を幸喜の首筋に押し当て、そのまま首の血管を掻き切るのだ。
瞬間、目の前、その生白い首筋がぱっくりと開き、そこから大量の鮮血が吹き出す。もちろん、そんな至近距離でやられれば目の前それも鼻先にいる俺にはもろ直撃なわけで。
離れる唇。俺を突き飛ばすように離した幸喜は大量の血が溢れ出す首を抑えたまま、笑った。
「あはっ、ははは!」
楽しそうに、けれど喉に何かが引っかかるような濁った笑い声。口から溢れる血も、ぼたぼたと足元まで落ちる血も、幸喜が首を撫でた次の瞬間には消えていた。
「本当、お前わかりや……す……ッ」
いな、という言葉は藤也によって無理やり遮られていた。躊躇なく治ったばかりの幸喜の首に刃を捩じ込ませる藤也。ぶつぶつと何かが切れるような音とともに、刃物を飲み込んだ幸喜の声はとうとう聞こえなくなった。
俺は、見てられなくて、かと言って止めることもできなかった。いくら、死人だとはいえ、兄弟とはいえ、クズ野郎だとはいえだ。目の前で首を切られてる人間を見て平然としてられるほど強靭なメンタルは持ち合わせていない。
やがて、凡そ聞くに耐え難い肉を潰すような音が止んだと思ったとき。窓が開くような音が聞こえてきた。
恐る恐る顔を上げれば、何やらサッカーボールくらいのサイズの赤黒いそれを手にした藤也が窓を開けていた。というか、待て、それはどうみても幸喜の生首だ。恐ろしくて体部分を確認できなかったが、生首幸喜はまだ『生きていた』。
「うわっ、嘘、タンマタンマタンマ! ちょっと待てって! それだけは……」
「動物の餌にでもなって自然に献納してきたら」
幸喜の髪を掴んだまま振りかぶった藤也は、そのまま開いた窓目掛けて幸喜の頭を投げる。が、見事に外れ大理石の壁にぶち当たった生首幸喜。やつの潰れた蛙のような声が聞こえてきた。赤い染みや肉片で汚れる壁に俺はもう何も見れなかった。
「あーっはっはっはっ!ノーコン野郎ー!!」
そう大きな笑い声を上げる幸喜の髪を掴んだ藤也は、有無を言わずにそれを窓の外へ放り投げたのだ。
あれほど騒がしかった厨房内から幸喜の笑い声は消え失せ、下の方から「ひいっ!」と南波の情けない声が聞こえてきたが気のせいかもしれない。気が付いたら、幸喜の胴体もいなくなっていた。
窓から頭を出し、下の様子を見ていた藤也だったが満足したようだ。視線を外し、窓を閉めた。そして、ゆっくりとこちらを振り返るのだ。
血濡れた藤也と目が合い、俺はなにも言えなくなる。
幸喜にキスされたのを見られたのも、藤也が幸喜を殺したのも全部、あまりの出来事に脳の処理が追い付いていないようだ。
正面、向かい合うように立つ藤也に俺は自分が緊張していることに気付いた。なんだかんだ優しいやつだと、俺のことを助けてくれたのだとわかっててもだ。だからこそ余計、どんな顔をしたらいいのかわからなくて。それでも藤也は表情を変えなかった。そして、「ねえ」と小さく呟いた。
「言いたいことあるならハッキリ言ってくれない?……その顔、鬱陶しい」
「っ、う……鬱陶しい……」
「……………………俺、余計なことした?」
それは、初めて聞いた声だった。
相変わらず表情は変わらないが、藤也も藤也で戸惑っているのだろうか。なんとなく、不安が感じ取れたのだ。
俺が怖がってると思ってるのか、それとも。
「余計なこと、じゃねえよ。……すげー助かった。お前いなかったら、多分、つか絶対俺が生首になってたし」
「だろうね」
「でも……さっきのはやり過ぎじゃないか」
「首は、流石に……痛そうだ」幸喜を庇うつもりはなかったが、これはきっと俺の精神衛生上の問題、いや倫理的なものなのだろう。俺の言葉に、藤也は視線だけをこちらに向けるのだ。ああ、わかる。「馬鹿じゃないのかこいつ」という目だ。
「……死んでるってわかってんだけど、やっぱ……後味悪いっていうか」
怒られるだろう。呆れられるだろう。いや今度こそ『いい加減に慣れろ』と言われるかもしれない。
自然と語尾が消えそうになる俺に、藤也はふい、と視線を外す。
「あいつにもそう思うんだ」
「……そ、れは……」
「……お人好し」
それだけを言って、藤也はそのまま俺を置いて厨房から出ていく。やばい、怒った。ネチネチ怒られるのならまだいい、けど、これはわりと本気の呆れ方じゃないか。
置いていかれそうになり、慌てて俺は藤也を追った。
「と、藤也……っ、あの、俺は……」
「……何」
「あいつを庇ってるつもりとかじゃなくて、お前が……人殺してるのは見たくないっていうか……」
「意味わかんないし」
「俺も、そう思う。けど……お前のこと、いいやつだって思ってるからその……」
「……俺のことが怖い?」
薄暗い食堂内。ゆっくりと振り返る藤也の言葉に、俺は一瞬何も答えられなかった。恐る恐る頷けば、微かに藤也の目が細められた。
「……俺に嫌気が差した?」
「それは、ないっ、けど……怖いのは確かに……」
「……じゃあ、あんたの邪魔しないよ。もう、余計なことしないから」
あ、と思った。俺、藤也を傷付けている。
このまま行かせたら本当に二度と会えなくなるような気がして、咄嗟に俺は藤也の手首をと掴んだ。
「い、嫌だ……」
「……準一さん、あんた言ってること無茶苦茶だな」
「う……それはわかってる、けど、お前絶対誤解してる気がして……」
「……」
「俺は、お前のこと理解したい……し、この生活にも……慣れていきたい」
「……」
「けど、お前のことがたまにわかんなくなる。いいやつだって思いたいけど……」
冷たい、手応えがない感触。それでも、確かにそこに存在しているのだ。冷たい目でこちらを見ていた藤也は、そのまま片方の手で俺の手を重ねた。ひやりとした感触に驚くが、それも一瞬。藤也は目を伏せた。
「……俺は、いいやつじゃないよ」
そう、囁くような声が響く。
藤也は俺の手をやんわりと剥がした。
そのときだった。
「おや、お二人とも喧嘩ですか」
聞き覚えのある声に振り返れば、そこには和服の男が静かに佇んでいた。
――花鶏だ。
いつからいたのか、相変わらず気配を感じさせない登場に内心ぎくりとした。
「……別に、喧嘩なんて」
「ああ、それは失礼しました。……随分と深刻そうな顔をしてらしたので」
そう、藤也に流し目を送る花鶏。
当の本人はというとむっつりと黙りこくったままだ。そんな藤也にも馴れてるのだろう。
花鶏はふふ、と微笑んだ。
「なるほど、藤也に協力していただいたのですね。……それで、幸喜は見つけることはできましたか?」
「……まあ」
「そうですか。……些かずるい気もしますが、それも策の内ですしね」
「しかしまあ、貴方が協力するとは思いませんでしたけどね。――藤也」そう名前を呼ばれ、藤也は面倒臭そうに深く息を吐いた。
「……別に、くだらないことしたくないだけ。あいつのワガママに付き合ってられないから」
「相変わらず貴方は冷たいですね。……腐っても兄弟なのですからもう少し構ってあげたらどうですか」
「……構ってるし、あんたには言われたくない」
「おや、私にまで反抗期ですか。……困りましたね」
そう肩を竦める花鶏に藤也は何も言わなくなってしまった。そして、黙り込む藤也から視線を外した花鶏はこちらを振り返った。
「……まあ、決まりは決まりです。良かったですね、準一さん」
「……どうも」
おめでとうございます、と拍手をする花鶏だが全く持って嬉しくない。それ以上に疎らな拍手が余計虚しく響いた。
そもそも本当だったらこんな理不尽で悪趣味なことをせずに済んだのだ。……無駄にキスされることだって。
「それにしても奈都君も南波も薄情な方々ですね。……まあ、幸喜の日頃の行いが原因なのでしょうが」
「藤也、少し南波を探してきていただけませんか?」ふと、思い付いたように藤也に声を掛ける花鶏。名前を呼ばれた藤也は露骨に不服そうな顔をする。
「なんで俺が」
「どうせ暇なんでしょう」
「……………………」
否定はできないようだ。最後まで納得いかなさそうな顔をしたまま藤也は深く息を吐いた。
そして瞬きをした次の瞬間、藤也の姿は消えていた。花鶏の言うことを聞いて南波を探しに行ったのか、それともただ単に逃げたのか。
「……じゃあ、俺もこれで」
正直、花鶏と二人きりになるのは気まずい。なんとなく嫌な予感がし、藤也もいなくなったことだしここはドサクサに紛れて部屋に戻ろうとしたときだ。
「お待ちなさい、準一さん」と花鶏に呼び止められてしまう。
「せっかくですし少しお話ししていきませんか?」
「……俺と、ですか?」
「ええ。それともこのあとなにか予定でも?」
「それは……ないっすけど」
「なら決まりですね」
にっこりと微笑む花鶏。
その笑顔には有無を言わせない謎の迫力があり、俺は花鶏の誘いを断ることができなかった。
結局また応接室まで来てしまった。
「……随分お疲れになっているようですが、大丈夫ですか?」
向かい側のソファーに腰を掛けた花鶏。
ふと伸びてきた華奢な指先に頬をすり、と撫で上げられぎょっとする。
「あの……花鶏さん」
「おや、私が触っても血は出ませんね」
「……ッ」
「藤也のときも平気のようでしたし……やはり、幸喜ですか」
「貴方に心的外傷を負わせたのは」薄く微笑んだ花鶏の言葉に俺はその手を掴み、引き剥がした。冷たくまるで血の通っていない骨と皮膚の感触に気味が悪くなるが、それ以上に、目を細めて笑う花鶏に血の気が引いた。
「花鶏さん……」
「別にどうしようとするわけではありませんよ。ただ、気になっていたんですよ。……安心してください、他の方には言いませんので」
「最も、そんな分かりやすいと私が言うまでもなく皆気付くでしょうが」そう静かに続ける花鶏に俺は何も言い返すことができなかった。
全てはこの厄介な体質のせいだ。隠したかったのに、バレたくなかったのにこうもあっさりと見破られるとなると体質というよりは俺の態度も悪いのだろうが――恥ずかしかった。
「俺は……っ、別に……」
言い訳を探す、誤魔化す言葉を。けれど出てこない。
そんな俺に見て、花鶏は薄く微笑む。そして俺の緊張を解すようにそのまま硬く張った肩を撫でるのだ。
「……肩の力を抜いてください。別に私は意地悪をしようとしているわけではないんですから」
「……花鶏さん」
「幸喜は基本下に見ている相手の話は聞きませんからね。……幸喜の面倒を見るのは大変でしたでしょう?」
「……大変、とか、そんな次元じゃないです。俺が死んでなかったら……」
犯罪だ、といいかけて思い出す。
そもそもあいつに突き落とされてこんな体になってしまったのだ。
はっとする俺に花鶏は微笑んだままその笑顔を崩さない。
「あの子の場合は少々特殊でしてね。……まあ、そういう生き物と思うのが楽ですよ」
「……慣れてるんですね」
「慣れてるというよりも、珍しくもないですからね。あの子の場合は極端でしょうが、誰しもそんな一面はあるのではありませんか?」
「生前は喧嘩すらしたことがない者が死という概念がなくなって暴力を振るうことに躊躇することがなくなる、というのは珍しくもない話ですしね」微笑んだまま続ける花鶏の言葉に俺は頭が痛くなるようだった。
そんなやつ、いてたまるか。そう言いたいところだが、分からない。
俺もそのうちそうなってしまうのだろうか。
――慣れたくない、と思った。
表情から俺の心情を悟ったのだろう、花鶏は目を細めるのだ。
「……私からすると、貴方の方が珍しいですがね」
「……俺が?」
「ふふ。……ええ、そうです」
「準一さん」と笑い、花鶏は俺から手を離した。
瞬間、急に立ち上がった花鶏はテーブルを乗り上げるように俺の方へと顔を近付けるのだ。
睫毛に縁取られたその深く、暗い瞳に見据えられると息が詰まりそうになる。
「……命を落とし、痛みがなくなっても尚死を恐れる貴方が」
鼻先数ミリ。生気をまるで感じさせない冷たく整ったその顔に全身が石のように固くなる。緊張、というよりもこれは。
「……あ、とりさん……?」
「貴方はそのままでいてもらいたいですね……なんて、不謹慎でしょうか」
そう、ふわりと微笑んだ花鶏は何もなかったかのように俺から顔を離し――そしてソファーへと座った。
「……なにかあれば私に言ってください。ええ、なんでも。……応えられるかどうかは分かりませんが、貴方のお力添えになれれば」
何故だろう。普通だったら喜ぶのかもしれないがなんとなく、花鶏の申し出を素直に受け取ることが出来ないのはこの胡散臭さのせいだろうか。
幸喜のこともあって疑心暗鬼になってるのかもしれい。……よくない傾向だ。思いながら俺は「それはどうも」とだけ答えれば、花鶏はくく、と喉を鳴らして笑うのだ。
「いえ、気にしないでください。我々としてもせっかくの新入りの方を幸喜一人のせいで簡単に使い物にならなくさせらるのは困りますしね」
……聞き間違いだよな。
そうであってくれ。俺は敢えて聞かなかったことにした。
「まあ、そんな話はさておき」
さらりととんでもないことを言われた気がするが、花鶏はというと露骨に話題を変えてくる。
深く聞きたくなかっただけにホッとするのもつかの間。
「そういえば、準一さん。ご友人と無事会うことが出来たとお伺いしました」
以心伝心、という四字熟語が頭に浮かぶ。
というよりも、この男からその話が出てきたことに驚いた。
「な……なんで知ってるんですか」
「私が全知全能だからです」
「………………」
「というのは冗談ですが……たまたまその場居合わせただけですよ」
「……その場に?」
確かに仲吉の精神世界に移動する直前、誰かに名前を呼ばれた記憶がある。
あれは花鶏だったのか?
今となっては記憶は定かではないが、他言してない現状花鶏が知っているとなるとそのときに鉢合わせるか本当に全知全能かのどちらかしかないわけだ。
「それで、どうでしたか?ずっと気にしていたご友人と会話した感想は」
「……まあ、五分五分ですね」
「五分五分とは?」
「話せてよかったっていうのと……話さなきゃよかったってのが半々っていうか」
「なんでまた」
そんなに俺と仲吉の会話が気になるのか、前のめりになって聞いてくる花鶏。
正直、俺は昨夜の仲吉とのことを話すか迷っていた。
相手が胡散臭い花鶏というのもあるが、正直あまり言い触らしたくない。……奈都のように会おうとして会えなかった人間も居るのだ。
けれど、余程外界に興味あるのかそれともこの閉鎖された空間で娯楽に植えているのか、いつもよりも食い気味な花鶏にねだられると「ちょっとだけならいいか」という気持ちになる。
あいつと会った場所が俺の葬式ということは伏せて、俺はあいつがここまで来たがっていたということだけを伝えた。
そんな俺の話を聞いた花鶏はただ一言、
「いいじゃないですか。歓迎しますよ」
なんて、嬉しそうに微笑むのだ。
いつも何考えてるかわからない胡散臭い笑顔ばかり見てきたせいだろうか、ここまで嬉しそうな花鶏を見るのも初めてかもしれない。
「よ……よくないですって。あいつ、馬鹿だから物事をちゃんと理解してないんですよ」
「そうでしょうか? 仲吉さんは死んだあなたに会いたいと言ってくれてるのでしょう」
「私なら迷わず道連れにしますよ」そう小さく笑う花鶏の言葉に背筋が薄ら寒くなる。
人それぞれだとわかってはいるが、こういうことを涼しい顔して言うやつらが集まっている場所だから尚更仲吉を連れてきたくないのだ。
「……別に、俺に会いたいだけじゃないと思いますよ。あいつ、幽霊とか好きだから絶対興味本意です。深く考えてない」
「興味本意ではダメなんでしょうか」
「……ダメっていうか、仲吉のやつ、後先考えないで行動するから……」
言いながら、自分がなにを言っているのかわからなくなった。
そのまま言葉に詰まる俺に、花鶏は「心配なんですね」と目を伏せるのだ。
言葉にされると余計照れ臭くなる。
「別にそういうわけじゃないんですけど……」
「素敵ではありませんか。貴方は仲吉さんを危険な目に遭わせたくない」
「慎ましやかでいじらしくて、愛くるしいではありませんか」くすりと静かに笑う花鶏に顔に熱が集まるのを感じた。
相手は花鶏だ、俺をからかって遊んでるのだろう。
「……っ、からかわないでください」
「ふふ、申し訳ございません。……幸せそうな方を見ているとつい意地悪をしたくなるもので」
「な……っ」
「仲吉さんのことを話している準一さんはとても楽しそうでしたよ」
「随分仲吉さんのことを好いているようで」花鶏の視線がこそばゆい。
この男を前にすると言葉も何もかもが無意味のように思えるのだ。それはきっと俺の言葉だけではなく、もっとその奥を見透かすような真っ直ぐな瞳のせいだろう。
「……花鶏さん」
「すみません、遊びすぎましたね。……そう怖い顔をしないでください、ちょっとした老婆心ですよ」
爺の間違いではないのか。
俺はなんとも言えないむず痒い気持ちのまま座り直す。一挙一動すらも花鶏にとっては全て筒抜けになっているようで居心地が悪い。そんな俺を見て花鶏は笑みを深くする。
「――連れてきたらいいではありませんか、仲吉さん。その方が私はいいと思いますよ」
「……準一さんのことを考えるならですが」そう、静かに続ける花鶏。
花鶏が言わんとしていることに気付く。
恐らく、成仏のことだろう。花鶏もわかっているのだ、俺がここに残っている未練は仲吉が関係していると。
言葉に詰まったときだ。
勢いよく応接室の扉が開く。
「触んなって、おい、やめろ! 引っ張るな! 乱暴にすんじゃねえ!」
聞き覚えのある怒鳴り声。その主は入ってくるなり床に叩き付けられ、「ぶえ!」と鳴く。
そして、そんな突然の来訪者――南波の背後から現れたそいつは容赦なく南波の背中を踏みつけた。
「……言われた通りに連れてきたけど」
これでいい?と小首傾げる藤也に、俺は言いかけた言葉も何もかもが吹き飛んでしまう。
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