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「っぐ、この……退け!! 退きやがれ!!」 「おや……わざわざご苦労様でした。相変わらず見事な縛りですね」 「後は好きにして下さっていいですよ」そう、微笑む花鶏に藤也は特に返すわけでもなく、ちらりとこちらを見るのだ。  なんだろうかと見つめ返したときだ、花鶏は「ああ、駄目ですよ」と藤也を嗜める。 「準一さんにはもう少しここに残っていただくので、戻るなら一人でお戻りください」  なるほど、今の視線はさっさとここから移動しようというアイコンタクトだったわけか。  ……というか、花鶏もよくわかったな。内心感動していると、花鶏に断られた藤也は特に不満を漏らすわけでもなくふい、と俺から顔を逸らすと「じゃあいい」と小さく呟いた。  ……どうやらここに残るらしい。俺は藤也の言葉に内心ほっとする。  そしてそのまま南波を椅子にするのだ。その体の下にはじわじわと血溜まりが出来ていく。  段々威勢がなくなっていく南波を木にすることなく、花鶏はゆるりと微笑むのだ。 「では、本題に入りましょうか」  向かい合って座る俺と花鶏。そしてテーブルの横、南波椅子に腰を掛けて足を組む藤也。  ……酷い絵面である。こんな状況でなんの話をするのか全く想像つかない。 「ここに南波を呼んだのはただ玩具にするためではありません。……準一さん、貴方に折り入ってお願いがあります」 「……俺にですか?」 「ええ、貴方にです」  窓の外では風に吹かれ、立て付けの悪い窓ガラスが微かに音を立てていた。  正直、いい予感はしない。新参者である俺にできることなんて殆ど無だ。……けど、聞かないと解放してもらえなさそうだしな。  渋々「なんですか?」と聞き返したときだ。花鶏は胸の前で組んだ手の上に顎を乗せ、微笑んだ。楽しげな、どこか幼さもある無邪気な笑顔に内心どきりとしたのと束の間。 「南波の男性恐怖症を克服するのを手伝っていただけませんか?」  ――どうやら嫌な予感は的中したようだ。  本人を前にして、しかも一番苦手意識を持っているであろう俺に頼むとはなかなかだ。 「てめぇ、なに勝手なこと……ッ!」  あまりの思い切りの良さにもしかしたら合意の上で俺に相談を持ち掛けているのだろうかと思ったが、どうやらそんなことはなかったようだ。  藤也の下、段々生気を失いかけていた南波だったが突拍子のない花鶏の言葉に息を吹き返したようだ。 「勝手なこと? 私は友人としてあなたのことを心配しているのいうのに随分な物言いではありまんか。……心が痛みます」 「なあにが心痛むだ! 心もねえくせにテメェ絶対楽しんでんだろうが! 誰も頼んでねえ!」 「おや、あなたに頼まれてないからするんですよ。物分かりが悪い方ですね」  つまり、単なる嫌がらせというわけか。  先程までよよよ、とわざとらしい仕草で目頭を袖で抑えてたと思いきやけろりと白状する花鶏の代わり身の速さに何も言葉がでなかった。 「……まあ、あなたのためということには変わりありません。それに、そろそろ男に慣れないと色々不便でしょう?」 「だからってテメェが決めてんじゃねえ……ッ!!」 「何を仰りますか。貴方だって考えたのではありませんか? ……顔はともかく準一さんなら他の方と違ってお優しいですし、あなたも『準一さん、怒ってた? やっぱり怒ってたよな?』と私にずっとしつこく聞いて回るくらい準一さんのこと気にしてたじゃないですか」 「い゛っ……言ってねえ! 言ってねえし!」  黙れよこのカマ野郎、性悪、女狐野郎!と顔を青くしたり赤くしたり精一杯の罵詈雑言で花鶏を罵る南波。どさくさに紛れて俺までディスられたような気がするが深く言及しないでおく。 「……とにかく、そういうわけであなたのその逃亡癖を治させていただきます。こんな巡り合わせなかなかなありませんよ」 「ああ、別にあなたを虐めたくて言っているわけではないですからね。そこのところ、勘違いしないよう御願いします」そう悪びれもせずに続ける花鶏。  絶対に折れるつもりはないという固い意思が見て取れた。  南波はというと完膚なきまでに言葉を失っていた。助けの船を出したいところだが、相手が花鶏となると俺は手も足も出ない。どうしたって二人揃って丸め込まれる未来しか見えないのだ。  花鶏の言ったことを要約すると、「南波のため」という部分に託つけて思い遣りという名の嫌がらせをするからよろしくということらしい。  ……ぶっちゃけ俺とばっちりだよな。 「……というわけです、ご理解いただけたでしょうか」  南波、と名指しで微笑む花鶏に南波はぐうの音も出ないようだ。  頑張れ南波、負けるな南波。  そう心の中で応援するものの、やはり花鶏相手は手強いようだ。 「……ッ、勝手にしろ」  南波はとうとう諦めてしまったようだ。  花鶏は満足そうに頷き、そしてその流し目をこちらへと向けるのだ。 「では準一さん、協力よろしくお願いしますね」 「……別にいいっすけど、俺より奈都とか適任じゃないですかね」 「おや、何故そう思われるのですか?」 「何故って……奈都の方が優しいし、俺だといきなりまた驚かせてしまうかもしれないじゃないですか」  今までの態度からして南波が一番苦手なのが俺だというのは分かりきっている。  克服させるならまず奈都みたいな無害そうな相手から徐々に慣らしていった方がいいと思うのだが……。  それを花鶏に伝えれば、花鶏は「そんなことはありません」とはっきりとした口調で続ける。 「私はあなたが一番適任だと思います。……面倒見が良いですし、なにより責任感がありますからね」 「そ……そうっすかね」 「ええ、勿論。もっと貴方は自信を持つべきです」  素直に褒められると少し恥ずかしくなってきた。  そう照れ隠しに前髪を弄ったとき、花鶏は目をすっと細めるのだ。 「――それに、頼まれたら断れない質ですし」  何やら不穏な言葉が聞こえてきた気がするが聞こえなかったことにする。 「どうか人助けと思って南波に接してあげてください。準一さんも、毎日の目的があった方が楽しいのではありませんか?」  ……確かに、花鶏の言葉には一理ある。  一日やることもなくぼけーっと日々を過ごすより南波に協力した方が有意義だ。  それに、わざわざ俺を選んでくれたのだ。……厄介事を押し付けられたような気もしないでもないが。 「話というのはそれだけです」 「藤也、もういいですよ」その花鶏の言葉に、南波を逃がさまいと椅子にしていた藤也はそのまま無言で立ち上がる。ぐえ、と鳴く南波を無視し、そのまま藤也は俺の隣に腰を下ろした。  ようやく藤也から解放された南波は力尽きたようにその場に倒れていた。大丈夫かと思ったが血溜まりが引いていくのを見て安堵する。どうやら体を休めているようだ。 「まさかここまで話がスムーズにいくとは私も驚きました」 「……最初からその話をするつもりで俺を引き止めたんですか?」 「まあ勿論それもありますが……貴方とお話がしたいというのも嘘偽りない事実です。お陰で興味深い話も聞けましたし、有意義な時間を過ごすことができました」  ありがとうございます、と花鶏が微笑む。  花鶏の本性がチラチラと垣間見えているだけに素直に喜ぶべきか迷うが、取り敢えず俺は褒め言葉として受け取っておくことにした。 「しかし……南波が抵抗したときのため、一応こんなものも用意していたんですが無駄でしたね。……せっかくですし渡しておきます」  そう、袂からなにやら取り出す花鶏。  その手には黒い皮でできた帯状のそれには一メートルほどの恐らく同じ材質の丈夫そうな紐が繋がっている。  そして、それを一目見た俺の脳裏に『首輪』という二文字が浮かんだ。  ……いや、なんでだ。なんで首輪なのか。  薄々勘付いてしまったがいやまさかな。まさかな……。 「南波、こちらへ」  そのまさかであった。  ゆるりと立ち上がり、手慣れた手付きで首輪のバックルを外す花鶏。  花鶏の持っているものに気付いていない南波は「なんだよ」と面倒臭そうな顔しながらも渋々顔を向けた。  そして、一瞬。  ぱっと音もなくその場から消えたと思いきや、いつの間にかに花鶏は南波の背後に移動していた。  そしてそのまま片手で南波の顎を持ち上げた花鶏は、もう片方の手で持っていた首輪を南波の首に嵌め、がっちりと締め上げる。 「っおわッ! おい、なんだこれ!」 「暴れないでください南波、うっかり窒息しても知りませんよ」  花鶏は首輪が外れないのを念入りに確認し、南波から手を離すと同時に首輪へと繋がるその手元のリードを思いっきり引っ張る。  瞬間、戸惑って首輪を掴んでいた南波はそのまま「ぐぇっ」と花鶏に引き摺られていた。 「て、テメェ花鶏……ッ!」 「具合はよさそうですね。……では、準一さんにこれを預けときます」 「い、いや……渡されても困るんですけど……っ」 「視覚的に他人と繋がっていると認識することができれば南波みたいな単純な人間は逃げることができないんですよ。……簡単な呪縛です」  便利でしょう、と悪びれもなく謳うように続ける花鶏に呆れて笑いもでなかった。 「だから首輪ですか」 「縄の方がお好きですか?」  ……ノーコメントだ。  つまり、今こうして首輪をしていることで南波は瞬間移動が使えないというわけか。  俺は前に藤也から聞いたことを思い出す。  視覚的な思い込みと概念。そしてそれを逆手に取ることもできるのか。  一種の感動すら覚えるが、もしかしてこれ俺もなんじゃないのかと一抹の不安が過る。……首輪や縄には気をつけよう。  そんな教訓を胸に、俺は先程から「さっさと取れよ」やら「ふざけんな殺すぞ」と花鶏に怒鳴り散らす南波に目を向けた。  そしてばちりと目が合ったと思えば南波はしゅんと黙り込んだ。 「……ふふ、便利でしょう、これ。先ほど部屋の片付けをしていたら出てきたんですよ。大切にしてくださいね」 「でも、首輪なんて流石にこれは……」 「大丈夫ですよ。南波はこういう嗜みがお好みですので」 「な゛ッ! ……ふざけんなさっきから聞いておけば人を好き勝手嫌がって! そういうプレイが好きなのはテメェだろうが変態野郎!」 「口が過ぎますよ、南波。……準一さんの前でそのような下品な言葉遣いは如何なものかと」 「今更だろうがテメェはよぉ……ッ!!」  南波の額にびきびきと浮かび上がった青筋が今にもはち切れやしないかヒヤヒヤしながらも二人の勢いに圧倒され仲裁にすら入れずにいると。 「……まあ、こんなこと言ってますがどうせすぐに慣れますのであまり深く気にしなくても大丈夫ですよ。……そしたら、準一さんから南波の首輪を外してあげて下さい」 「分かりましたか、南波」とついでにぐい、とリードを引っ張る花鶏に、南波は舌打ちをする。 「くどいんだよ、てめえは」と自分の側にリードを引っ張り直し、バチバチと二人が見えない火花(というよりも南波の一方的なのものだが)を散らす二人にどうしたものかと右往左往していたときだ。花鶏はぱっと手を離す。 「……と、いうわけです準一さん。くれぐれも、南波に同情してすぐに首輪を外してあげるなんて真似は考えない方がいいですよ。なにせまだ克服できていない状態ですからね。……死地を再び彷徨うハメになる南波を見たければ構いませんが、そのときは私が貴方に首輪を付けさせて頂きますので」 「……えっ」 「何を驚かれてるのですか? ……当たり前ではありませんか。貴方と南波は言わば一心共同体なんですから、連帯責任ですよ」  そうニコニコと続ける花鶏だがその目が笑っていないことに気付いた俺は何も言い返せなかった。  俺の思考をどこまで読んでいるんだ、この男は。  先手を打って釘を刺してくる花鶏。  花鶏に首輪を付けられ屋敷中を連れ回される自分の姿を想像し、背筋が凍りつく。  何が俺は優しくて面倒見がいいから適任だ、だ。要するにこの男は――。 「ご理解して頂けたでしょうか」 「う、うっす……」  そう念を押すように尋ねてくる花鶏の圧に負け、リードを握り締めたまま俺はこくこくと数回頷き返す。  そしてようやくいつもの笑顔に戻った花鶏は「それはよかったです」と優しい声で続けるのだ。  南波の言った通りだ。  この男、サディストである。  応接室に残るという花鶏と別れ、俺は藤也とともに南波を連れて部屋を出た。  ――屋敷内通路。  俺たちの後をついてくる南波は先程からずっと首輪が気になって仕方ないらしい。落ち着かない様子でカリカリと首輪を引っ掻き外そうとするがなかなか難しそうだ。  なるべく俺は歩幅に気を付けながら歩いていた。  ……どうしてこうなったのだろうか。  斬首よりかはましかもしれないが、なんかこう倫理的にどうなのかと不安になってくる。  それも相手は俺よりも大きな、恐らくおっかないであろう人だ。……ただ少し臆病だが。  南波には同情するが、南波を助ける代わりに俺が首輪を掛けられてもいいのかと問われると何も言えなくなる。  ――そういった意味では俺も既に人として駄目になりつつあるのかもしれない。 「準一さん」 「……んぁ?」 「それ、持とうか」  ぼんやりと考え事をしていたときだ。  一瞬なんのことを言っているのかわからなかったが、どうやら藤也はリードのことを言っているようだ。 「……大丈夫か?」 「別に花鶏さんはなにも言ってなかったしこれくらい問題ない。……そいつとろいから疲れるだろ」 「と……とろいというほどまではないけど……」  どうやら藤也は南波を引き摺り回したくて仕方ないらしい。それじゃあ、と手にしたリードを渡そうとしたときだった。 「やめろ!余計なことすんじゃねえ!」  藤也にリードを渡そうとしたその瞬間、青褪めた南波が飛んできて俺の腕を掴み、止める。  ……そう、掴んだのだ。 「手……」  そうぽつりと呟く藤也。  そしてそのまま俺は触れ合う手に目を向ける。  がっちりと手首を掴んだ南波の手に、『なんだ、もしかして既に慣れ始めているのではないか』と安堵した矢先のことだった。 「ぅわばッ!!」  顔を真っ赤にした南波は奇声とともに弾かれたように俺の手を振り払う。痛みはしないがいきなり叩かれてビックリした俺はリードを落としそうになり、咄嗟にそれを握り直した。  瞬間、丁度逃げ出そうとしていた南波にリードがピンと張る。そして当の南波は「ぐぇっ」と首を引っ張られ、南波決死の逃走は未遂に終わった。  なるほど、瞬間移動が使えないというのは確かなようだ。これは、使い方次第では有用だな。  俺は首輪を掴んだままびくびくと痙攣する南波に「大丈夫ですか」と声をかけながら一歩近付く。 「ひいっ……! す、みません俺……っ、もう逃げないので許してください!」 「す……すんません」  ……一歩前進、と思ったが前進どころかどんどん後ろへと進んでいる気がしないでもない。  すっかり萎縮してしまった南波に俺は南波が復活するまでやや離れることにする。 「……そこまでしなくて良いんじゃない。そんなに優しくしてたらいつまで経っても慣れるもんも慣れないから」 「それ貸して」と静かに続ける藤也。  そこまで優しくしたつもりもないのだが、まあ確かに藤也の言い分にも一理ある。  しかし、藤也の後ろでいやいやと首を振る南波が目に入ってしまった今、それをよしとするわけにはいかない。 「ありがとう、でも気持ちだけ貰っておくな。……ほら、花鶏さんに頼まれたの俺だし」  そう藤也に断りを入れれば、やつは相変わらずむっつりとした顔で「そう」とだけ呟く。……普段から感情表現が乏しいやつだとはわかっていたが、心なしか怒っているようにも見える。しかしそれ以上なにも言ってこない。  ……なんだかんだ優しいんだよな、藤也って。  無理強いしてこない藤也にほっとしつつも、俺は南波の様子を見ることにした。 「南波さん、そろそろ大丈夫そうですか?」  そう、やや離れたところでメンタルを回復させていた南波に声をかけてみる。勿論返事はない。  しかし見た感じ出血も見えない。これなら大丈夫そうだ。 「南波さん、今から進みますよ。休みたくなったらリード引っ張ってください」  返事はないが、聞こえてるだろうから大丈夫だろう。そう判断し、俺たちは再び歩みを進めることになる。  ちらりと様子見たら南波もおずおずとついてきたのを見て、なんとなく散歩を嫌がる犬のことを思い出していた。それに比べたら南波は従順なものである。

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