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05

 南波の事だからもっと抵抗したり嫌がったりするかと思っていたが、思ったよりも物分かりがいいというか……諦めはいいようだ。  これは案外早く恐怖症も治るんじゃないかと希望を見出だす反面、一つ心配事があった。  言わずもがな周りのやつらだ。  首輪をつけた南波を押し付けられた俺はあれから南波と今日一日を共にしたが、南波本人よりも周りの反応の方が厄介だった。  南波が逃げられないことをいいことに幸喜が南波を馬にして遊んでたり、俺からリードを取り上げた藤也が散歩と称してガンガン壁にぶつけるように南波を引きずり回したりとまあ主に双子の南波への扱いが目に分かるように家畜同然になっていった。  南波本人よりも、やたら南波にちょっかいかけようとする双子や面白がる花鶏を追い払うことの方がとにかく大変で、俺はいつの間にかにか弱い飼い犬を他の野犬から守る飼い主のような気持ちになっていた。  ――そして、そんな調子のまま南波といくつかの夜を共にしたある日だ。  そろそろ首輪南波との生活にも馴れてきたが、南波本人はというと日に日にストレスが加速しているようだった。……まあ、無理もない。  それでも効果が全くないというわけでもない。以前ならば俺と二人きりの密室にいるだけで怯えていた南波だったが今ではこちらを見ようとはしないものの過剰に怖がることもなくなった。  これは進歩ではないだろうか。  相変わらず俺たちの間に会話はないが、いつまでも部屋に閉じこもってるわけにもいかない。 「気分転換にどこか散歩でも行きませんか」  そう俺の方から南波に提案したのが数分前だ。  ――八月某日。  いつもに増して蒸し暑い応接室には更に暑苦しい先客がいた。 「あ、……準一さん、南波さん。おはようございます」  窓の外の林からミンミンとけたたましく鳴り響く蝉の鳴き声に掻き消されそうになるほどの静かな声。  ソファーに腰を下ろしていた奈都は、扉から入ってきた俺たちを見て微笑む。  こうして奈都と顔を合わせたのは先日の『お使い』依頼だったが、改めて見ると見てるこっちが倒れそうなほど今日も着込んでいる。  「おはよう、奈都」 「……おう」  愛想はよくないが無視するわけでもなく挨拶は返す南波。どうやら同性に対しての苦手意識はあるものの、見境がないわけではなさそうだ。  奈都のようないかにも無害そうな相手には結構普通に接することが出来るらしい。  とは言っても、精々相槌を打つくらいだろうが。  並んでソファーに腰を下ろす俺と南波に、奈都は少しだけ驚いたような顔をする。 「花鶏さんが言ってたの、本当だったんですね」 「……なにが?」 「準一さんが南波さんを飼い慣らしているって」  言われてはっとする。  そういえばこの状態で奈都と顔を合わせたのも初めてなのだった。それにしても動じなさすぎるのではないか。あまりにも普通に挨拶してくる奈都にうっかり俺まで勘違いしていた。  というか……あの人、そんなこと言っていたのか。  確かに意味は間違えてはないが他にももう少し言い方があっただろうに。  案の定その露骨な言葉は南波の神経を逆撫でしたらしく、先ほどまで大人しかった南波は「んなわけねーだろうが!」と噛み付いていく。 「すっすみません……! む……無神経でした、その、気を悪くしてしまったのならすみません……」  いきなり怒鳴られ、気の毒なまでに狼狽える奈都。  幸喜に対してはああなのにどうやら南波のようなタイプには弱いようだ。……謎である。俺からしたらよっぽど幸喜の方が怖いのに。 「と……ところで、他のやつらは? 一人なのか?」 「あ、そうですね……先ほどまで花鶏さんたちも一緒だったんですがなんか慌てて外へ出ていかれてましたよ」 「……外に?」  なにかあるのだろうかと思い、俺は窓の外に目を向ける。  掃除したばかりなのか、磨かれたガラス越しに雲一つない真っ青な空が映った。  なんか野生動物でも見付けたのだろうか。  しょうもないことでいちいちはしゃぐからな、あの人たちは。 「どうやらまた、外から誰かが来たようです」  そう続ける奈都に、僅かに隣の南波が反応する。  また、ということはあれか。この間みたいなやつのことか。  幸喜に脅かされ気絶していた男を思い出す。  なんでだろうか、小さく胸がざわついた。 「僕は見に行ってないのでよくわからないんですが、気になるんなら庭の方に行ってみたらどうですか? ……多分、そこにいると思いますよ」  俺の表情からなにか察したようだ。 「今日は陽射しが強いので僕は遠慮しましたが」 「……そうだな、ちょっと様子見に行ってみるか」  野次馬、というわけではないが『外から来た誰か』という言葉に心当たりがあっただけに確かめられずにはいられなかった。  ……なんだか胸騒ぎがするのだ。  数日前、死んでから初めて会った友人の顔を思い出す。ないとは思うがやはり自分の目で確かめなければ気が気でなかった。  そのままソファーから離れようとして、不意にリードを強く引っ張られる。南波だ。  ソファーから動こうとしない南波は逆に俺の持つリードを引っ張り、無理矢理足を止めさせられた。 「……南波さん?」 「い……行きたくない」  です、とまるで駄々っ子のようなことを言い出す南波に驚いた。  何故行きたくないのか、というのもだがそれよりも今まで大人しく後ろからついてきてばかりだった南波がこうして俺に意思表示をすることに、だ。 「南波さん、行きたくないんですか?」 「……どうせ、なんもないですよ。…………………………外、暑いし」  相変わらずこちらを見てくれないが、それでもこうして逃げ出したりもせずに会話をしてくれる南波にじーんときた。  客人というのも気になったが、この調子じゃ南波も動かなさそうだ。  嬉しい半面、まさかここで拒否されるとは思わなかったのでどうしたものかと困惑する。  そのときだ。 「あ……よかったら僕がリード持ってましょうか」  そう声をあげたのは奈都だった。 「え……いいのか?」 「どうせ僕はここに居ますし、花鶏さんたちにも秘密にしておきますよ。……それに準一さん、外の様子が気になるんですよね」  微笑んだまま尋ねてくる奈都。その語気はなんだか強く、確かめるように問い掛けられ俺は頷き返す。  確かに、いい案のように聞こえる。  まあ別に逃がすわけじゃないし、預けるだけだしな。花鶏はこのことについてはなにも言わなかったはずだ。  南波を一瞥するが相手が奈都だからだろうか。藤也のときのように怯えることもない。……つまりOKということなのだろう。 「……じゃあ、少しの間頼んでもいいか」  言いながら、俺は南波のリードを奈都に手渡す。  それを受け取った奈都は「任せてください」と微笑んだ。  奈都と南波と分かれ、俺は屋敷の外へと向かった。  常に握っていたリードがないのはなんだか違和感があるが、ここまで身軽になるとは思わなかった。  ……とにかく奈都のためにもさっさと確認だけして帰るか。  あいつじゃないと確認できるだけでよかった。  ――屋敷外、外庭。  客人というのはどこにいるのだろうか。  ただひたすらそれらしき人影を探す。  屋敷の周りには建物を覆うように聳える木々に囲まれ、どこからともなく謎の鳥の鳴き声が聞こえてきた。  せめて花鶏たちの姿を見つけることができれば、そう思いながら歩いていたときだ。 「んー久し振りだなあ、こんなに大量収穫なんて!お盆万歳!」 「……汚い」 「なんだよー汚いとか言うなよ、お前だけには言われたくねーって……ああ、これのことな!」  ふと、前方から聞き覚えのある声が聞こえてくる。  弾むような楽しげな声と、物静かな落ち着いた声。どちらも俺にとって聞き覚えのあるものだった――幸喜と藤也だ。  声のする方へ、なるべく足音を立てずに近付いたとき。  ぐちゃり、と何かが潰れたような濡れた音が響く。粘り気を孕んだその音は近付くにつれ次第に大きくなる、  木陰の下、草むらの上に座り込んで何かを覗き込んでいた二人の背中を見つけた。 「お……」  おい、とか、何してるんだ?とか。そんな感じのことを聞こうとしていた俺は目の前の光景に息を飲む。  まず視界に入ったのは二本の足だ。幸喜でも藤也でもない、投げ出されたその足は女の足のように見えた。  そして、近付くに連れ濃くなる血の匂い。 「ん?」  俺の声に反応して振り返った幸喜に息が止まる。  赤黒くべっとりと汚れたシャツ。真っ赤に染まった指で横たわる女の腹を弄っていた幸喜に血の気が引いた。 「っ、お、まえら……ッ!!」  咄嗟に叫んでいた。  女の腹を裂き臓物を引き摺り出して遊んでいる双子を見てただ血の気が引いた。  幸喜は俺の姿を見ると嬉しそうに腕に纏わりつかせていたピンク色の腸かなにかを腹の中へと押し戻す。そして、「準一〜」と駆け寄ってくるのだ。吐き気よりも、恐怖よりも、勝ったのは怒りだった。 「な、にしてんだお前……ッ!!」  咄嗟に幸喜に掴みかかれば、一瞬何を言われたのか理解できなかったようだ。きょとんとしていたやつだったが、すぐに足元に転がる死体を見て「ああ」と笑う。 「見てわかんねえの? 自殺してたから俺たちで葬ってやろうとしてたんだよ」 「……っ、は……?」 「なあ藤也。酷いよなぁ準一ってば、まるで人を人殺しみたいに言うんだから」 「……と、うや……」  お前まで、と恐る恐る名前を呼べば、藤也は面倒臭そうに深く息を吐いた。 「……そいつの言う通り。さっき見つけた」 「首吊りは別に珍しいことじゃない」と、あくまで淡々と続ける藤也に俺は恐る恐る足元の仏さんに目を向ける。  直視し続けることはできなかった。首に縄のような跡があったが、それよりも乱れた衣服と大きく切り裂かれた腹に目がいってしまい吐き気を堪えるのが精一杯だった。 「葬るだけなら、こんな真似する必要ないだろ……っ、こんな……!」 「馬鹿だなぁ、準一。この気温じゃ死体はすぐ腐っちゃうし、駄目になる前に有効活用してやろうってわけ」 「これってエコだろ? エコ」そう大きく口を釣り上げて笑う幸喜に言葉は出なかった。 「……あんたさぁ、前々から思ってたけど感情移入しすぎ。この死体の持ち主は死んで満足してもうここにはいないし、誰も悲しまない」 「それでイーブンでしょ」と静かに続ける藤也に俺は何も言えなかった。ただ、吐き気が収まらない。吐くものもないというのに。 「そ、ういうことじゃないだろ……可哀想だとか……っ、もっと他に……」  倫理観をこいつらに求めても無駄だというのか、口にしながらも語尾が消え入る。こいつらに何言っても無駄だ、その頭があったからだ。  実際に突き落とされ、殴り殺されながら犯されたから余計。  そんな中、幸喜の胸倉を掴んでいた手を握られぎょっとする。 「準一さぁ……普通に俺に触れれるようになったんだね」  するりと絡みつく指先に息が止まりそうになった。 顔を上げれば、幸喜の満面の笑顔。 「じゃあさ、この可哀想な可哀想なお姉さんの代わり、準一がしてくれんの?」 「……ぉ、まえ……ッ」  全身の毛がよだつようだった。  こいつが、幸喜の目が本気だったからだ。  幸喜の言う代わりが何を意味するのかはすぐに分かった。俺は言葉を発するよりも先に汚れたやつの手を振り払う。 「はは、何?思い出して照れたわけ?準一って案外ピュアだよねえ?」 「……ッ」  こいつ、と睨み返したときだった。「準一さん」と藤也に止められる。 「……アンタに俺たちの相手する気ないんだったらさっさとあっち行きなよ。……邪魔だし気が散る」 「それに、こいつがテンション上がってウザいから」そう吐き捨てるような藤也の言葉、冷たい目に思わず耳を疑った。 「……っ、藤也……」  お前はそんなことするようなやつと思わなかった。  優しいやつだと思っていたのに。まるで裏切られたようなショックを覚えたが、分かっていたはずだ。こいつらの根底にある残虐性を。そして俺まで手に掛けたことを。 「……ッ」  俺は返す言葉もなかった。藤也に追い払われ、結局俺は身代わりになることもできずにその場を離れた。  背後から聞こえてくる幸喜の笑い声が鼓膜にこびりつくようだった。濃厚な血の匂いも、鼻から離れない。  双子たちと分かれ一人屋敷まで逃げ帰ってきた俺はただ後悔の念に苛まれる。  落ち着いて考えてみれば藤也は俺を幸喜から逃してくれたのだろうかとも考えたが、あそこに幸喜と一緒になってる時点で俺には理解の範疇を越えていた。 「ぅ……ぉ゛え……ッ」  腹を裂かれた遺体を思い出し、込み上げてくる吐き気を抑えきれずにその場に蹲る。  亡霊となった今、胃液なのか定かではないどろりとした唾液のような吐瀉物しか吐き出せない。  吐いたところで気が晴れるわけでもなく、ただ俺は助け出すこともできなかった自分自身を強く嫌悪するばかりだった。  ――屋敷内、応接室。 「お帰りなさい。早かったですね」  情けないことに、俺は無収穫のまま応接室へと逃げ帰っていた。  客人である彼女は今や双子の玩具だ。  仲吉じゃないということはわかっただけでも収穫、なんてとてもじゃないが言える気分ではない。  無言で現れた俺を、笑顔で迎えてくれた奈都だったがすぐにその表情が陰る。 「……なにかあったんですか?」 「……大丈夫だ」 「大丈夫、という顔には見えませんが……」  大丈夫ですか、と南波のリードを手にしたまま駆け寄ってきた奈都は再度声を掛けてくる。  今はただその気遣いが、優しい声が染みた。 「……準一さん?」 「……ここでは、自殺者は珍しくないのか?」  恐る恐る問いかければ、「え?」と奈都は目を丸くする。そしてすぐあまりにも唐突な問い掛けだと後悔する。 「……っ、悪い、変なこと聞いて……」 「ここは、自殺の名所だからな。……別に死体が転がっててもそう珍しくない」  そう応えたのは意外なことに南波だった。  そして慌てて「です」と付け足す南波は相変わらず壁の方を見てこちらを見ようとはしない。 「見つけたんですか? ……死体」 「……ッ」  双子のことを言うべきか迷った。  藤也はともかく、奈都は幸喜のことを嫌っている。俺の軽率な発言がきっかけで二人がまた喧嘩を始めるのは見たくない。 「……もしかしてさっき話してた客人って……」 「……っ、し、んでた……」  そう、声を振り絞るように答えたとき、奈都の目の色が変わった。 「……準一さん、その死体って……本当に自殺体だったんですか?」 「っ、わからない、よくは見てないけど……俺が見たときはもう手遅れだった」 「首吊りですか? それともどこかを切ってたんですか? 出血は?」 「っ、な……奈都?」  矢継ぎ早に質問を投げかけてくる奈都は見るからに興奮している状態だった。  普段はおっとりしてて寧ろゆったりとマイペースな奈都に迫られ、思わずその圧に引いてしまう。思い出したくないことまで思い出してしまい、収まったと思っていた吐き気がこみ上げてくるのだ。 「……っ、準一さん、ああ、すみません……答えにくいなら結構です。自分で確認しに行きますので」 「っ、ほ、本気か……?」 「それで、死体の場所は」 「おい」  奈都の気迫に圧倒されていたときだ。  そう、飛んできた声にヒートアップしていた奈都が動きを止める。 「……さっきから事情聴取みてーでこっちまで気分悪くなんだよ」  まさか、助けてくれたのか。ソファーに座ったままだった南波は相変わらずそっぽ向いたままそう苛立ったように吐き捨てた。  その一言に奈都も落ち着いたようだ。 「……すみません、熱くなりすぎたみたいです」 「いや、だ、大丈夫だ……」  先程まで火が着いたように饒舌になったかと思いきや、今度は勢いを失いしゅんとする奈都に俺はどう反応したらいいのか迷っていた。  けど、今のってやっぱり……助けてくれたんだよな?  相変わらず南波はこちらを見ようともしないが、仲裁に入ってくれた南波に俺は心の中で御礼を言う。

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