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06
なんとか南波の助け舟のお陰で助かったが……。
そのまま部屋を出ていこうとする奈都に、思わず俺は「奈都」と呼び止める。
「……どっか行くのか?」
もしかして今ので気を悪くしたのかもしれない。
席を外すまでしなくていいのに、と奈都に声をかければ、奈都は少し困ったように笑うのだ。
「南波さんにも言われてしまったので自分で探してみます」
「あ……」
「すみません、準一さん。……嫌なことを思い出させてしまって」
「い、いや……いいんだ」
もしかしたら怒ったのかもしれないと思ったが、奈都はいつもと変わらない。
幸喜と藤也が死体で遊んでる、と言っておいた方が良かったのだろうか。
藤也がいるから下手なことにはならないと思いたいが、やはり止めるべきか?と出ていこうとする奈都の背中に声を掛けようとしたときだった。
奈都が扉を開くよりも先に、その目の前の扉が開いた。
「……おや、二人ともここにいましたか」
開いた扉の向こう、応接室にやってきたのは花鶏だった。その腕には紙袋が抱えられている。
二人?三人の間違いではないのか?と部屋の中を見渡して気付く。どうやら俺と南波は一セットのようだ。
「花鶏さん……戻ってこられたんですね」
「ええ。丁度今。……おや奈都君、もしかして出掛けるところでしたか?」
「ええ、少し」
そんなやり取りを横目に、俺は花鶏が手にした荷物に目を向ける。
見覚えのある店名ロゴが入ったその袋に、どっからそんなもん持ってきたんだと目を細めた。
「そうでしたか。でしたら丁度いい。もしよろしければ少々お時間頂けませんか?」
「……僕、ですか……?」
「ええ。……それと、そこのお二方も」
そう、こちらに目配せする花鶏。
そのまま持っていた紙袋をテーブルの上に置く。中に色々入ってるらしい、ごとりとなかなか重そうな音を立て置かれる紙袋。その底の方は僅かに土で汚れている。
……そして、ほんの微かにだが懐かしい匂いがしたのだ。
「……なんですか、これ」
「どうぞ、好きに中を見ても構いませんよ」
「あの、変なものとか入ってないですよね」
「変なもの?」
「……首とか」
「まさか。そんなはしたない真似しませんよ」
まるで心外かとでも言うかのように呆れる花鶏にほっとする。嘘ではないらしい。
花鶏のはしたないの定義が謎だったが、また怒られたら嫌なので深く突っ込むのはやめておく。
「……お前、またあそこに行ったのか」
ふと、紙袋の周り集る俺と奈都を一瞥した南波はそう側に佇む花鶏に尋ねる。
……あそこ?
先ほどまで黙り込んでいたと思ったら気になることを口にする南波に思わず耳を傾ける。
「ええ、あなたも行きたかったですか?」
「んなわけねえだろ。服が臭くなる」
「そんなに匂いますかね。死臭が目立たなくなって丁度いいと思うんですが」
「年寄りくせーんだよ、お前」
「おや、泥臭い野犬のような匂いさせるあなたよりかはましだと思いますが」
「首輪、似合ってますよ」売り言葉に買い言葉、南波の罵倒に対して微笑む花鶏に「喧嘩売ってんのか、てめぇ」と噛み付く南波。
先程までの穏やかな空気がどこにいったのか、花鶏一人だけは楽しそうだ。
「……これ、中見てもいいんですか」
このまま喧嘩になる前に承諾を得ておこう。
そう花鶏に声をかければ、ニコニコと微笑んだまま花鶏は「どうぞ」と快諾するのだった。
そして俺は恐る恐る中を覗く。いつの間にか隣までやってきていた奈都と一緒に覗き込んだ俺は、そこに入っていたものを見て目を丸くした。
「あ……花鶏さん、これ……」
「……どっから盗ってきたんですか」
干菓子の落雁に小振りのスイカに野菜や甘酒、そして雑誌にぬいぐるみ。
食物から始まって様々なものが入り交じったその紙袋に、俺と奈都は呆れたように顔を見合わせる。
「貴方達は本当に素直というか……まあそこが美徳なのでしょうが、流石の私も傷付きそうですね」
そう妙に演技がかった仕草で落ち込んで見せる花鶏。
……とはいえ、物が物だ。この結界から出て花鶏自ら調達したとは考えにくい。
だったら誰から、と考えていたとき花鶏はこちらを振り向いた。
「それでは、どうぞ準一さん」
「え? ……俺?」
「はい、準一さんが落ちたところに供えられていたので悪くなる前に持ち帰って来ました」
予想していなかった花鶏の言葉に思わず思考停止する。
なんで、と考える先に再び俺は中身に目を向けた。
確かに一部覗いてどれも見覚えがある。俺が好きだと言ったことのあるものばかりが入っていた。
まさか、と汗が滲んだ。
まさか、まさか。俺は中を確認する。そして食べ物の中に混じって一枚の封筒が入っていることに気付いた。
そして、そこに書かれた『準一へ』という見慣れた文字。
「っ……花鶏さん、これ……」
「続きは自室でゆっくり見てはどうでしょうか」
茶封筒の封を開けようとする俺の手首を掴んだ花鶏は、そう柔らかく制するのだ。
それから、封筒のことが気になった俺は花鶏たちに断りを入れ、南波とともに応接室を後にした。
溢れそうなほどお供え物の入った紙袋は重い。
――屋敷内、自室。
自室に入るなり、紙袋を床の上に置いた俺は中から茶封筒を取り出した。
そして、ボールペンかなにかで書かれた宛名に目を向ける。
お世辞にもあまり上手いとは言えないような特徴的な字。間違いない、仲吉の字だ。
何故こんなものがあり、そしてそれを花鶏が盛っているのか。答えはただ一つしかないと自分でも理解していたが、だからこそなにかの間違いかと思いたかった。
仲吉……あいつが直接持ってきたとしか考えられない。中の酒に触れれば、結露で濡れたそれはややぬるくなっているくらいだ。恐らくこれを供えられて時間もあまり経っていないように思えた。
客人はあの女性だけではなかったということか。
茶封筒の中にはボールペン一本と白紙の用紙、それと小さなメモ用紙が入っていた。
メモ用紙には仲吉の汚い字で『幽霊屋敷の場所書いといて 仲吉』とだけ書かれていて、それを見たとき俺の口からは深い溜め息が漏れる。
……間違いない、仲吉がこの封筒を用意したのはこの間以心伝心したときよりも後だ。
数日前の夜、仲吉と話した内容を思い出す。確かにあいつはここへ来るようなことを言っていた。しかしまさか、こんな堂々と手紙を寄越すとは思わなかった。
俺の死体が見つかってから大分経つ、流石に警察の立ち入りは落ち着いたがそれでもこんなことをしてくるなんて。
何度目かの溜息が漏れた。
昔からだ、あいつのフットワークが恐ろしいまでに軽いのは。俺は地図を描くために用意されたらしい白紙をそのまま茶封筒に戻した。
嬉しくない、わけではない。けど本当は喜んではいけないことなのだという自覚もあった。
幸喜たちがあの死体に夢中になっているからこそ何事も済んだのかもしれないが、次はどうかわからない。……そして、あいつは間違いなく次もまた来る気でいるのだ。
考えただけで頭が痛くなる。
不意に、側に座り込んだ南波が床に置いたままになっていた紙袋の中に興味を示しているのに気付いた。
「……何か気になるものありましたか?」
俺にバレていないと思っていたのか、そーっと紙袋を覗き込んでいた南波に声をかければ南波はぎくりと固まった。……そして沈黙。
南波の挙動が怪しいのは特に珍しいことでもない。無理に追求して怯えさせるのは本意ではない。
俺は南波に見えるように紙袋の中を床の上に並べていくことにした。
『食べれるのだろうか』とか『賞味期限は大丈夫なのだろうか』とか『なんでぬいぐるみが入ってるんだ』とか心の中で思わず突っ込みつつも、一旦紙袋を空にした俺はお供えものたちを見渡す。本当に色々なものが入っていた。
ぬいぐるみの横に置いてある雑誌を手に取る。
どこか既視感のあるその雑誌は仲吉が定期購読していた胡散臭いオカルト雑誌だ。
つい最近発売されたらしいそれは、旅行した前日に見せられた雑誌の続刊のようだ。
……こんなもの俺に送り付けてどうするつもりなんだよ。
相変わらずなにを考えているかわからない仲吉の行動に思わず苦笑を漏らしつつ、俺はそれをパラ見する。
まさか死んでからこういったものを見る日が来るとは思わなかった。
心霊写真特集ページのぼんやりと白いもやのようなものが写る画像を眺め、俺もこんな感じで見えているのだろうかと考える。
そう言えば、この屋敷が写された心霊写真のあれは誰だったのだろうか。
幸喜とかその辺だとは思うが、撮られた時期によっては俺の知らないやつというのもあるかもしれない。気にはなったがわざわざ確かめるようなことでもないと悟った俺は、雑誌のページを閉じた。
そして、丁度甘酒が入った瓶に手を伸ばそうとしていた南波と目が合う。
「…………」
「…………」
瓶に手を伸ばした状態のまま硬直する南波。
さっきからやけに紙袋が気になっていると思ったら……なるほど、酒か。しかもちゃっかり俺の見えないところで拝借しようとしていたらしい。
暫く見詰め合う形になる。そして、ようやく事を理解した南波の顔がみるみるうちに青く変色していく。
「あ……あの、それ、よかったら飲みます?」
「………………え」
「……さっき、助けてもらった御礼……というのもなんですが、俺はあまり強くないので」
それに、こんなクソ暑い中ぬるい甘酒を飲む気にもならない。南波はというと目を見開いたまま固まっていた。しかもよく見ると震えている。
……この反応はどっちだ?正解か?
「いっ……いいんすか」
……よかった、正解だ。
相変わらず怯えられてるが、それでもこうして見詰め合っても謎の出血がないのは酒のお陰か。
内心ほっとしながらも「はい」と頷けば、南波は「……あざっす」とこわごわとそれを手に取るのだ。
……そもそも亡霊が酔うことはできるのか。
あるとしたら場酔いということになるのか?思いながら、俺は例のオカルト雑誌を読むフリしてちらりと南波の様子を伺う。
そして南波が開けた瓶に口をつけようとしたそのとき、ふと隣の部屋から物音が聞こえた。
もしかしたら奈都が部屋に戻ってきたのかもしれない。
乾いた唇を舌で濡らした南波は瓶の縁に口をつけ、ゴクゴクと喉を鳴らし瓶の中に入った甘酒を一気に飲み干す。……あんなにドロドロしたものを良くもそんな風に飲めるものだ。内心関心しつつ、俺は二本目の甘酒を南波の前に置いた、
「もう一杯ありますよ」
「……いいんすか?」
「俺、酒飲めないんで」
正確にはあまりいい思い出がないから飲みたくないだけなのだが、変に南波に気を遣わせないようにするにはこれが一番いいだろう。
生憎、まだ甘酒は残っている。なんでこんなに甘酒が入っているのかわからなかったが、どうせ仲吉のことだ。家に余っていた酒を詰め込んできたのだろう。
俺は南波に残りの甘酒を全て飲ませることにした。
なんだか餌付けしてるみたいだ……。
ぐびぐびと飲み干していく南波を眺めながら、それでも大分緊張が解れたのかアルコールに頬を緩ませる南波を見てるとつられて嬉しくなる。
なんというか、恐る恐るだが野良犬が擦り寄ってきてくれた感じだ。
薄々感じてきてはいたが首輪のお陰か、大分俺の思考も飼い主よりになってきているようだ。
そして数分後。床の上でふにゃふにゃになった南波を見下ろし、やりすぎた、と冷や汗を滲ませた。
結論、幽霊にもアルコールは効く。
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