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「じゃあ、俺も奈都のところまで行ってきます」
「あちらは奈都君に任せておいて大丈夫ですよ」
奈都の元へ向かおうとした矢先だった。そう、花鶏に止められる。
「でも、奈都に頼りっぱなしっていうのは……」
流石にちょっと、と言いかけたときだった。
花鶏の方を振り返ったとき、すぐ目の前に迫る花鶏の顔にぎょっとする。
薄く微笑みを携え、花鶏は俺を見据えるのだ。
「少々、貴方にお伺いしたいことがあったのですが」
「俺に?」
「準一さん。あなた、南波になにか良からぬものを呑ませたりされましたか?」
単刀直入。花鶏に尋ねられ、ぎくりと全身が硬直した。
触れられなければこのまま誤魔化し通せるのではないかと思っていたがやはり限界だったようだ。
ソファーの上、気を失ったように眠ったままになっていた南波と目の前の花鶏を交互に目を向ける。
「……すみません。まさか、効果があるなんて思ってなくて」
「おや、自分で試さなかったのですか。我々にも一応味覚はありますよ」
「え……そうなんですか?」
「まあ、味覚というより記憶と言った方が適切かもしれませんね。それを食べて味わうのではなく、食べるという行動によって生前に食べたそれの味を思い出すわけですから」
なるほど、そういうことか。
つまりもし食べたことないものでも、それに近しいものの味の記憶と挿げ替えで味を感じることができるのいうことか。
だからといってたかが甘酒ででろんでろんに酔っぱらった南波はなかなかだと思うが……。
「なんだかお得ですね」
「私たち亡霊には必要ないものですが、やはり好きなものを食べるという行動そのものに意味があるんでしょうね」
「……なるほど」
「準一さんもなにか口にしてみてはいかがでしょうか。少しは元気になりますよ」
哲学的な話は苦手だが、なんとなく言いたいことは分かる。
そんな俺に、花鶏はそう提案してくるのだ。
そもそもこの屋敷に食べ物があるということにも驚いた。ベッドが腐ってるような場所だ、まさか腐った食べ物を出されるのではないだろうな。
そう身構える俺を他所に、花鶏はソファーの物陰から見覚えのある紙袋を取り出した。
「あの、これって……」
この紙袋は仲吉が持ってきた俺宛のお供えものだ。
なんでこんなところにあるんだ。確かあの客人の男の荷物と一緒に渡しておいたはずなのに。
そう花鶏の顔を見れば、にこりと花鶏は微笑んでいた。
「賞味期限がわからなかったので、あの方にお渡しするのはやめておきました」
もしかして俺のことを気遣ってくれたのだろうか、なんて思ったが花鶏の言葉を聞いてまあそうかとそれを受け取る。
そしてそのまま中を覗けば、最後に俺が見たときと変わらない内容物が入ってるようだ。ガサガサと中を漁っていて、ふと違和感に気付いた。
――あるはずのものが、ない。
「あの……花鶏さん」
「はい、なんでしょうか」
「これって、俺が渡したときのままですか?」「ええ、そうですよ」
ポーカーフェイスの花鶏の真意は分かりづらいが、嘘をついているようにも見えない。
――ということは、どういうことだ。
焦燥感が込み上げてくる。俺はテーブルの上に紙袋の中身を広げた。俺の好物のつまみや落雁やお供え物代表各の乾物等がどさどさと落ちてくる中、それらを掻き分けて探る。
が、やはり目的のものは見つからない。
紙袋からは、仲吉への返事用の茶封筒が丸々消えていた。
なんで封筒が無くなってるんだ、確か紙袋に入れていたはずだ。
どこで茶封筒が消えたのか考える。紙袋から目を離したといえば確か双子から旅行者のことを聞いたときと、それから仲吉に会いに行ったときだ。あの時点で茶封筒はあっただろうか。
――元々あまり記憶力がいい方ではない。けれど、その時はあったような……気がする。だめだ、思い出せない。
しかし、花鶏の言うことを信じるならば茶封筒は既に消えていたということになる。
旅行者を探しに行って戻ってくるまでの間、瞬間移動を使ったから然程時間はかからなかったはずだ。
だとすると、あのとき俺の部屋に居たやつがなにか知っている可能性がある。
――南波と、双子か。
幸い、南波はいまこの場所にいる。こうなったら直接話を聞いてみた方が早いだろう。
仲吉に場所は教えないと決めていたはずなのに、いざ茶封筒がなくなって必死になっている自分には笑いすら出てこない。
俺はソファーの上に横になっている南波に声をかける。
「南波さん、南波さん」と、なるべく驚かせないようにそっと、なるべく優しく呼んでみるが肝心の反応はない。
「南波さん……だめだ、起きないですね」
「もう暫くはこの調子でしょうね。急ぎの用ならばバケツに水を汲んで来ますよ、頭から一杯被せれば意識も覚醒するでしょう」
「……いえ、流石にそこまでするのは」
茶封筒の行方が気にならない、といえば嘘になる。けれどそのお陰で南波を水浸しにするのは可哀想に思えた。
すっとこの調子だったということか。ならば、南波は茶封筒のことすら知らない可能性が高いだろう。
だとすれば、残された可能性は一つだ。
「花鶏さん、藤也たちが今どこにいるかわかりますか」
「二人なら恐らくまだ部屋にいると思いますよ」
「……部屋ですか」
「ええ。場所、わかりますか? よろしければ案内させていただきますが」
俺がなにを企んでるのか、何故突然双子の部屋の位置を聞き出すのか花鶏は聞いてこない。
しかし敏い花鶏のことだ、俺の焦りも伝わっているのだろう。
「それじゃあ、お願いします」と頭を下げれば、花鶏はゆっくりと立ち上がる。
ええ、わかりました。ではいきましょう。そう笑顔を浮かべて。
そして、俺は花鶏とともに応接室を後にした。
もし双子が茶封筒を見付けて持ち去ったとすれば、それがちゃんと形を残しているかどうかすら怪しい。
幸喜はともかく、藤也が破って捨てたりするようなやつとは思いたくないが……あくまでも希望的観測になってしまう。
今の俺には、藤也のことがまるでわからなかった。
屋敷内、応接室を後にした俺達は客室等へと繋がる薄暗く長い廊下を歩いていく。
方向音痴の俺からしてみればどこの廊下を歩いていても全て同じ通路に見えてしまい、現在地すら見失ってしまいそうになる。だからこうして花鶏が隣にいてくれるのは正直心強かった。
湿気を孕んだ重たい空気の中、俺たちは足音なく進む。そしていくつかの扉の前を通り過ぎたときだった。ふと、花鶏は立ち止まった。
そして後方の俺を振り返る。
「こちらです」
そう、花鶏が指し示した目の前の扉を見上げる。造りは他の部屋に取り付けられている木彫りの扉だが、その丁度目線よりもやや下の辺りに一本の太い錆びた釘が刺さっていた。そしてそこを中心に黒い染みが広がっている。
藁人形でも打ったのか、なんて冗談めいたことを考えてみたが正直笑えないありそうなので.。そのまま視線を下げれば、扉の下の僅かな隙間からはから謎の虫が這い出てきてきた。
「う……っ!」
「……おや、先客がいたようですね」
咄嗟に飛のく俺の横、特に顔色を変えることなく花鶏はその虫をそっと指の腹に乗せるとそのまま窓の外へと放る。
「あ、花鶏さん……虫平気なんすね」
「この山奥で住んでいたら日常のようなものですからね。そういう貴方は苦手そうですね」
「……触るのは、ちょっと」
「おや、でしたらこの先に進むのは難しいかもしれませんね」
「え」と言いかけたとき、俺が反応するよりも先に花鶏は扉をノックする。
「幸喜、藤也、いるんでしょう。入りますよ」
そう扉に向かって声を掛ける花鶏。
が、しかし。扉から反応は帰ってこない。そっと聞き耳を立てれば、扉の向こう側からはなにやら話し声が聞こえた。……揉めてるような声だ。間違いなく二人はこの先にいる。
「花鶏さん……」
どうしましょうか、とアイコンタクトを送るよりも先に花鶏が扉を開く方が早かった。
まず、視界に入ったのは薄暗い部屋の中だった。
部屋の広さは俺の部屋とそう変わらない。
もっとひどいものを想像していただけに、あまり物がないなと思っていた。
そして次に目に入ったのは壁に積まれた虫かご……だったものだ。それを見て思わず悲鳴を上げてしまいそうになる。
いつから育てているのか、一面真っ黒な汚れだと思っていたらよく見るとたくさんの虫で俺は悲鳴をあげそうになった。
「言ったでしょう」という目を向けてくる花鶏だったが、そのまま部屋の奥を「いましたよ」と指差した。
「だーっ、だから違う違う! もう、俺がやるから貸せってば!」
薄暗い部屋のその奥、窓際に置かれた唯一の家具――テーブルと椅子。そこには藤也が腰を掛け、横から覗き込むように幸喜がなにやら口を挟んでいるようだった。
「幸喜、お前は字が下手だからだめだ」
「なんだよー藤也だって絵下手じゃん。見ろよこれ、ちんこ書いてんじゃねーよ」
「……違うし、木だし」
どうやらなにか揉めているようだ。俺たちに気付いていないのか、背中を向けるような形で言い争う瓜二つの青年が二人。
「いいからペン貸せって」
「……ねえ、返して」
ペンを幸喜に取り上げられたようだ。それにつられるようにして幸喜に腕を伸ばす藤也の脇からテーブルの上が覗く。
そして、そのテーブルの上に見覚えのある茶封筒を見つけた。
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