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「準一さんはどうしたいの?」 「……、俺は」 「余計なこと考えないで素直に言って。死にたいの、死にたくないのか」  ただ二択。  藤也らしくシンプルでわかりやすい問い掛けだった。 「……死に……たくない……」 「……」 「死にたいわけないだろ……っ」  答えはすぐに出ていた。  死にたかったのなら元々こんなところにいるはずがないのだ。  喉奥、腹の底からずっと燻っていたその言葉を吐き出せば、藤也はうっすらと口元を緩めた。笑ってる、のか。俺には分からない。  それもほんの一瞬のことだった。  藤也は「じゃあ、我慢しないで」と短く続ける。 「あと、自分を追い詰めるような真似はしないこと」  藤也はそうなんでもないように言うが、我慢しないということは要するに自分の願望に忠実になり省みないということだ。 「……でも、仲吉が」 「でもも無し」  そう口を開けば、藤也に言葉を遮られる。 「準一さんはその仲吉とか言う人に会いたくないの?」 「……会いたい、会いたいけど」 「会いたいけど?」 「……っもし、俺のせいであいつにまでなにか遭ったらと思ったら無理だ。……連れて来たくない」  促されるがまま俺は藤也に本心を伝える。  誘導尋問みたいだと思った。こうして他者に自分の考えていることを言語化して伝えることは得意ではない。それでも不安定だからだかろうか。恥も躊躇も捨てて話した方が自分の負担が軽くなるのがわかった。  ――だからこそ俺は素直に答える。 「なにか遭ったらって、なに」 「……俺みたいに、あいつが殺されるのは嫌なんだ」  いつの間にかに身体の震えが止まっていた。  あれほど煩かった頭の中は静まり返り、唯一脳裏に浮かんだ言葉を口にすれば、藤也は俺の背中をさするのだ。 「準一さんが気にしなくても、誰も殺さないし死なない。余計な心配しなくてもいい」 「でも、そんな確証はないだろ。事故だって、起きるかもしれない」  そもそもここは生きてる人間が来るような場所ではないのだ。一度迷い込めば方向感覚を失ってしまうほどの深い樹海の奥、一度は運が良くて戻れたのかもしれないが、それは奇跡に近い。そんな場所にあいつを呼べというのか?  何度も自問を繰り返すが答えはでない。そんな俺を見て、藤也は口を開いた。 「……そんなに気になるんならあんたがそいつを守ればいい」  藤也から発せられた言葉は、藤也らしからぬ言葉だった。  てっきり「そのときはそのときだ」とか「死ぬやつが悪い」とか、そんな言葉を投げかけられるのかもしれない。そんな風に思っていただけに余計驚く。  思わず「俺が?」と聞き返せば、藤也は静かに頷いた。 「肉体がない俺たちは死なない。……もちろん、精神が死んだら意味はないけど」  ――俺が仲吉を守る。  まず、前提としてそんな状況になること自体を避けることばかり優先していた俺にとっては考えたこともないものだった。 「……とにかく、準一さんはそいつには会った方がいい。今あんたが考えるべきなのは、どうやったら自分が楽になれるかだけだ」 「……俺、が」 「したいことをする。そうそうすれば準一さんの精神も安定するはずだろうから」  今まで生きてきた中で、一度もそんな風に考えたことはなかった。  そりゃ好きなことはしたが、それでも他者を巻き込んでまでなにかを企てることもなかった。――他人の生死が関わってくるなら尚更だ。  唖然とする俺の前、藤也は俺からそっと手を離すのだ。さらりと落ちる長い前髪の下、藤也はただじっとこちらを見ていた。 「……わざわざ自分を削ってまで他人を気遣う必要はない」  そして一言。  藤也はそう低く囁き、優しく俺の頭を撫でてくれた。  死にそうになったとき、死にたくないともがくのは生理現象に等しい。  精神の死から逃れるため、自分自身の傷を癒すために自分の欲求の阻害になり得る理性そのものを排除すること自体が死への抵抗だと藤也はいった。  言葉にすればよく意味はわからなかったが、実際それを体感した俺はその恐怖を理解できてしまったのだ。  精神の死、自我の喪失。  それらを越えた先になにが残されているのかわからなかったが、できることなら知りたいとは思えなかった。  誰かを助けるためなら死んでもいい。  そう思っていたはずなのに、この体たらくだ。自分で自分が情けなくなる。  それと同時に、藤也に話したことによってあれほど鬱屈としていた気分が酷く軽くなっていた。肩の荷が降りた、とはこのことだろうか。  そして、あれからどれくらい経っただろうか。  俺が落ち着きを取り戻したときにはもう既に辺りは暗くなっていた。 「……藤也」 「なに」 「ありがとな。もう、大丈夫だから」  木陰でより一層暗く感じる中、そう小さくお礼を口にすれば「そう」と藤也の声が返ってきた。 「藤也は、強いな。……あのとき、お前が来てくれなかったと思うと……」 「別に。……たまたま通りかかっただけだから」 「あ、そうだ。さっきの地図……」 「奈都のところ。……もう崖の上に届けた」  それで屋敷に帰ろうとしてる途中に俺を見つけたということなのだろうか。それでも、本当に藤也がいてくれてよかったと思わずにはいられない。 「……アンタのことだから、すぐに来るかなって思ったけど。いつまで経ってもこないから」 「まさか、俺が瞬間移動する力すらないって思って探しに来てくれたのか?」 「……いちいち言わなくていいから」  そう、藤也は俺から顔を逸らす。  自惚れるなと一蹴されると思いきや、想像してなかった藤也の反応に思わず頬が緩む。 「そうか、ありがとな」 「なに。……怒ったり泣いたり笑ったり、本当忙しいね」 「な、泣いたりは……してないだろ」 「してたよ」  ……してたかもしれないな。  藤也には情けないところばかり見られてきたが、それでも助けてきてくれた藤也のことを知ってるだけになにも言えなかった。  藤也が完全なる善人とは思えないが、少なくとも俺の恩人ではあるのだ。ちらりと藤也の方を見れば、藤也は「なに」とこちらを見ようともしないまま応える。どうやら俺の視線にも気付いたようだ。 「……いや、なんでもない」  またありがとうと言い掛けてしまいそうだったので慌てて口を噤んだ。今度こそ本当に怒られてしまいそうだったからだ。藤也はふんと鼻を鳴らす。  そして。 「行くよ」 「……え?」 「奈都のところ――地図のこと気になるんだろ」  どうやら藤也にはなにもかもバレているようだ。  けれど、藤也の方からそうやって持ちかけてくるのは意外だった。  ――俺が楽になることだけをしろ、か。  なかなか難しいお題だが、それでもまたこんな思いをするのは避けたい。深く呼吸を繰り返し、そして俺は「頼む」と藤也に頭を下げた。  藤也はそれに対してなにを言うわけでもなく「着いてきて」とさっさと道なき道を歩き出したのだ。

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