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数十分後、崖上にて。
藤也に案内されるがままやってきた俺をまず出迎えてくれたのは、古い樹木の根本に腰を下ろしていた奈都だった。
「藤也君、準一さん」
死にそうになりながらも自力でよじ登ってきた俺と、対するは音もなく現れた涼しい顔の藤也。
そんな俺達に気付いた奈都は立ち上がり、こちらへと駆け寄ってくる。
「さっきの人の調子は?」
「今のところはなんとか、としか言いようがありませんね」
「一応止血はしましたがそれもどれくらい持つかは……」言いながら、奈都は視線を動かした。つられて奈都の視線の先を辿れば、比較的障害物の少ない木陰。そこにはあの旅行者が寝かされていた。
奈都のいう通り、顔色からしてあまり調子がよくなっているようには見えない。
こんなろくな応急処置もできないような場所だ、無理もない。
――なにやってるんだ、仲吉のやつは。
仲吉と会ってから既に結構な時間が経っているはずなのにそれらしき影は全くない。
過ぎていく時間にただ焦りを覚える。
「……準一さん、用は済んだだろ」
戻ろう、と藤也は俺の腕をくい、と引っ張ってくる。
もしかしたら藤也はわかっているのかもしれない、このままここにいることが俺の精神状態を悪化させるということを。
「……もう少しだけ、一緒に待ってちゃダメか?」
それを分かった上で、俺は藤也に問いかけた。
「それって義務感?」
藤也の冷たい視線が突き刺さる。
「違う、本心だ」
嘘ではない。
ただこのままの状態で旅行客から目を逸らせば胸糞悪さだけが残る。それだけはどうしても避けたくて、無事救急車に運ばれるところを見送りたかった。――ただの我が儘だ。
「……そう、じゃあ勝手にすれば」
そんな俺に対し、そう素っ気なく返す藤也は踵を返す。てっきりそのまま洋館に戻るのかと思いきや、藤也はそのまま側にあった大きな石の上に腰を下ろした。
意外なことに藤也は俺達と一緒に救急車を待ってくれるようだ、表情には出さないもののやはり藤也がただの冷たい奴だと恨み切れない自分がいた。
流れる沈黙の中、傍では虫の鳴き声が響く。
「花鶏さんたちは来てないのか?」
「はい、夕方別れてからまだ見てませんね」
ということは、件の地図は崖下ということか。
恐る恐る足元、その崖の下を覗き込んでみるが暗闇しか見えない。俺はまた落ちてしまわないように頭をひっこめた。
丁度そのときだ、遠くからサイレンのような音が聞こえてくる。
「準一さん、これって……」
「こっちに近づいてくる」
どうやら奈都と藤也もそれに気付いたようだ。立ち上がる藤也。
恐らく、というか間違いなく救急車だろう。
空気全体を震わせるようなサイレン音は確かに今この瞬間この樹海全体に響き渡っていた。
首を捻り音がする方を振り返ろうとしたときだ。
「やっと来た」
「のか」そう言いながら立ち上がろうとしたときだった。
崖っぷち、手元に力を加えてしまった結果、支えていたその手元の岩がぼろりと崩れる。
そんな馬鹿なと飛びのくことすらも間に合わなかった。ガラガラと音を立て俺がしゃがみこんでいたその崖ごと崩れ始めた。
足場の崩壊、浮遊感――デジャブ。
そして暗転。
「準一さん、よかったですね!来ましたよ!……あれ?準一さん……?」
「……馬鹿」
崖の上の二人がどんな顔をしているのか安易に想像出来たが、取り敢えず言えることはただ一つ。
――やばい。
「ぁぁぁあッあ゛っぐぁ!!」
気付いたときには口から悲鳴が漏れていて、それは頭から地面と同時に途切れた。というよりも、落下の衝撃により強制的に終えさせられる。
どしゃ、とそのまま地面の上に仰向けに倒れれば、すぐ近くから「うおっ」とおどけたような声が聞こえてきた。
「どうかしましたか?幸喜」
「花鶏さん花鶏さん、なんか落ちてきた!」
「なにかって……ああ、準一さんじゃないですか」
近付いてくる足音。頭元に座り込む青白い人影もとい花鶏は「お元気そうですね、準一さん」とゆるりと微笑んだ。
幸いひしゃげたのは後頭部までで、なんとか視界は無事だった。いや幸いも糞もないが。
こんな体では「う゛う」、とゾンビの如き呻き声しか上げることができない。俺は潰れた頭を再生させ、花鶏に体を起こしてもらう。
「あっはっはっは!何回目だよ落ちんの!」
三回目だよ、悪いかよ。
「大丈夫ですか?首が大変なことになってますよ」
「ぁ、あ゛……り゛がとうございます……」
「ええ、どういたしまして」
傷口に集まる肉片が蠢く感覚は未だ慣れそうもない。慣れたくもないが。
暫くもしないうちにエンジン音が近付いてくる。崖上を見上げれば、距離があるにもかかわらず空気全体が騒がしくなるのがわかった。
「どうやら到着したようですね」
「きゅーきゅーしゃ!」
「救急車、ですよ」
薄ぼんやりと見える車のライト。ハッキリとまで状況を把握出来なかったが、どうやら無事辿り着くことが出来たようだ。
まともな街灯がないにも関わらず無事ここまで来てくれた。最悪の事態を考えていただけに、ただただ安堵する。
「しかし、随分到着に遅れましたね。上の様子はどうでしたか?」
「……今のところは、大丈夫だそうです」
「そうですか、なら後は奈都に任せましょう」
「えー、もう帰るんですかー」
「我々は用済みですしね」
「じゃあ俺上行ってきてもいいですよね!」
「ダメですよ、あなたが行くと上の方々の仕事が増えてしまうじゃないですか」
「ほら、行きますよ幸喜。準一さんも」はしゃぐ幸喜の首根っこを掴んだ花鶏はそう、こちらを振り返る。
まさか俺もか。
自分の不注意という形でここまでやってきてしまったわけだが、まさか強制的に帰らされる羽目になるとは思ってもなかった。
「いや、あの俺は……」
「貴方にはまだ話がありますからね。あやふやになってしまいましたが……まさか南波のことをお忘れではないでしょう」
……忘れていた。
「つまり、あなたに拒否権はないということです。行きますよ」
反論の余地すらなかった。
一先ず、俺にできることはした。あとは外部の人間に委ねることしかできない。
俺は花鶏に服の裾を掴まれ強制的に屋敷まで連行された。
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