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 気が付いたらその窓の外には日が登っており、遠くから蝉の鳴き声が聞こえ始めててくる。  南波はまだ気絶していた。 「もう朝ですか、早いですね」  窓の外を眺めていた俺が気になったようだ。  つられるように、ぼんやりと明るくなった窓の外に目を向けた花鶏は「今日は天気がいいので屋敷の空気の入れ換えしましょうか」と微笑む。 「ああ、それとついでに倉庫の雑巾掛けもしなければならないですね。ここは手始めに応接室の埃取りからして……」 「うわ、花鶏さんまじで大掃除するつもりじゃん」 「当たり前じゃないですか。来るのは準一さんのご友人ですよ。……私たちが平気だからと生きてる方をこの部屋に招き入れてみてください、瞬く間に体を悪くしてしまいます」  そう珍しく真剣な顔をする花鶏に、俺は少しだけ関心した。そして、応接室を見渡す。  今にも落ちてきそうなほどこんもりと埃を積もらせたシャンデリア。色褪せた壁紙は所々剥がれ、天井には蜘蛛の巣が張っていた。敷かれたカーペットはボロボロで、俺たちがこうして座っているソファーも所々布が腐れては中の綿が飛び出しているという酷い有り様だ。  ……寧ろ仲吉はこのままの方が雰囲気あって喜びそうなのだが、俺としては花鶏と同意見だった。 「あははっ本当花鶏さんって人間好きですよね。ま、やりたい人だけやるってことで俺はパス」 「おや幸喜、それでは私たちが人間ではないみたいではないですか。ああそれと、全員強制参加ですので」  確かにこの広い屋敷内を一人で掃除するのは大変だろう。俺はまあ最初からそのつもりではあるが、完全に巻き込まれる形となってしまった奈都と藤也は「え」と声を合わせていた。無理もない。そして 「まあまあまあ! そんなことはおいといて。それよりほら、掃除より先に南波さんの首輪増やしときましょうよ」 「おや幸喜、あなた本気だったんですか。本当にいい趣味をしていらっしゃいますね」  突然思い出したように提案する幸喜。話題転換のつもりだろうが、強引過ぎる。  花鶏も驚いたような顔をしていたが、なんなら言い出したのはあんただ。  そんな俺をよそに、花鶏は「まあ、いいでしょう」と着物の袖から南波が今つけてるものと同じタイプの首輪を取り出した。 「準一さん、これをどうぞ」  そして、そのままそれを俺の目の前に置く。 「俺……ですか」 「ええ、丁度気失ってますし大丈夫ですって」 「……」  そう言って花鶏は俺の隣に目を向ける。  相変わらず南波は伸びていたが、時間が経って大分精神が回復したようだ。今の南波に先刻までの不気味な青白さや口の泡や大量出血などは見当たらず、今では普通に眠っている。もしかしたらそろそろ目を覚ますのかもしれない。  三人の視線の中、俺は手にした首輪を見る。相変わらず誰一人止めようとする人間はいない。  首輪一本だけでも可哀想なのに二本だなんてと思ったが、経緯はどうであれ元々は南波も了承だったはずだ。まあ、リードはついてないしファッションと思えばなんとかなるだろう。  思いながら、首輪の留め具を外した俺は渋々眠っている南波の首に手をかけた。  南波さんごめん。そう謝りつつ、なるべく南波に触れないように手にしたそれを南波の首に巻きつけた。  軽く締めると僅かに南波の顔が苦しそうに歪む。  どうやら気絶してても反応はするようだ。まだ目覚ますなよ、なんて思いながら、俺は南波に首輪を嵌めた。  そして、それを確認した花鶏はそのまますっと立ち上がる。 「ではまずロビーの雑巾掛けからですね。行きますよ」  やる気満々だった。 「あの、僕たちもですか?」  応接室の扉の前まで歩いていく花鶏は、奈都の問いかけにこちらを振り返る。そしてゆっくりと微笑んだ。 「ええもちろん――全員分ご用意してお待ちしておりますね」  そして、そう嬉しくない言葉を残して花鶏は応接室を後にした。  静かに扉が閉まる。花鶏が離脱したことにより、応接室には解散ムードが漂っていた。 「藤也藤也、もちろんサボるよな」  お喋りな人が一人いなくなり妙に静かになる応接室の中、もう一人のお喋りもとい幸喜は向かい側の藤也にそう小声で話し掛ける。 「……それはそっちでしょ」  そして、そんな実の兄に声をかけられた弟はいかにも面倒くさそうにソファーから立ち上がった。  そのまま幸喜から逃げるように応接室の扉へ歩いていく藤也。 「あれ? なに? もしかしてまじでやっちゃうみたいな? うわっ優等生気取りかよ……って、待って待って俺も行くー!」  そして、藤也の後を追うように立ち上がった幸喜もそのまま応接室から出ていった。  色々な意味で賑やかな双子がいなくなり、再び応接室に更なる静けさが走った。  意識ある者は俺と奈都だけだ。相変わらず辛気臭い空気を全身に纏わせた奈都は、そろりと視線をこちらへと向けた。 「……準一さんも参加するんですよね」 「ああ、南波さんが起きたら行くよ」  南波は俺が残ることなんか望んでいないだろうが、首輪がある今このまま置いていくわけにはいかない。だからといって気を失っているところを引き摺るような真似もしたくない。  そう最もらしい理由を奈都に伝えれば、奈都は小さく苦笑を漏らした。 「……わかりました、花鶏さんには僕から伝えておきますね」  そしてそう奈都が口にした次の瞬間、奈都の姿は消えていた。  とうとう意識がある人間がただ俺一人になり、それからの時間が進むのがやけに早く感じた。  南波が目を覚ますのを待ってからどれくらい時間が経ったのだろう。うっすらと明るくなっていた窓の外にはすっかり日が登り、煤汚れた窓ガラスからは燦々とした日差しが射し込んでいた。  そうぼんやり手元のリードを弄びながら窓の外を眺めていたときだ。 「ん……ぅ……」  不意に、隣から小さな呻き声が聞こえてくる。  咄嗟に目を向ければ、眩しげに眉を寄せた南波が猫のように大きく伸びをしていた。  どうやら、ようやくお目覚めのようだ。 「南波さん、起きましたか?」 「っひ」  なるべく驚かせないよう小声で話し掛けたがそれがまずかったらしい。目を見開いた南波は脊髄反射でソファーから飛び降りる。  ……「ひっ」って言われた。  凄まじい早さで床に突っ伏して避難した南波だったが、誰とまでは認識していなかったようだ。 「……準一、さん?」 「すみません、俺です」  すると、その一言に寝起きの南波の脳は覚醒したようだ。その顔が先程とはまた違う顔色に変化する。どちらにしろ今にも死にそうな顔だ。 「あ……っす、すすすすみません、俺! さっきはっその、あの、き、ききっ……きき、き」  青い顔をした南波は、そう弾けたように声を上げる。が、言えてない。  早速土下座の体勢を取る南波。「いや、あの俺は大丈夫なんで」と止め、取り敢えず落ち着かせることにした。 「こちらこそすみません、もう少し俺がちゃんと抵抗していれば」 「いえっ、いえいえ! 滅相もございません……! 準一さんが謝ることはないです!」  が、火に油だったようだ。 「寧ろ俺の方こそ!!」とガンガン床に頭をぶつけるような土下座をしてくる南波を止めるのに数分かかった。  それから一先ず南波をソファーに座らせ、土下座を回避させることに成功する。 「それで、あの、結局どうなって……」  ようやく落ち着いたようだ。というかやはり、気絶中の記憶はないらしい。  そして、言いながら何気なく自分の首に手を伸ばした南波はようやく増えてる首輪に気付いたようだ。 「いっ!!」と顔面引き吊らせる南波に、ああ、と俺は憐れむことしかできなかった。 「あの……まあなんつーか、幸喜たちが数えてなかったらしくて無効ということに……」 「無効ぅ?!」  絶対キレるだろうなあとか思いながら口にすれば、案の定キレていた。カッと目を見開き眉を寄せるその様はどう見てもチンピラだ。  思わずびっくりしてしまう。 「クソッ、あいつら舐めた真似しやがって……っ準一さんっ、他のやつらはどこに」 「……え、あーっと、確かロビー辺りにいると」  南波の圧に負けてしまい、ついあやふやに応えてしまうと言うや否や「わかりました」と南波は走り出そうとする。  踏み出された長い足。俺の手に握られたリード。それは前回同様南波の首に繋がっていて、そのリーチはあまりない。  これだけ言えば、次の瞬間南波がどうなったかあらかた想像つくだろう。 「あっちょっ、南波さんっ! あぶな……」  慌てて距離を近付け、リードを弛めようとしたが――間に合わなかった。  ピンと張ったリードは南波の首を絞め、南波の動きを強制的に停止させる代わりに南波から「ぐえっ」と潰れたような声が漏れる。  そして、急ブレーキが掛からなかったようだ。首を絞められるにも関わらず進もうとしていた足は結果更に自分の首を絞めることになり、大きく足を滑らせた南波は上手く受け身が取れずそのままテーブルの角に頭をぶつけ悶絶していた。  大惨事である。 「だ……大丈夫ですか」  慌てて南波に駆け寄る。  笑ってはいけないと分かってても、あまりにもダイナミックなドジに噴き出しそうになる。  それを必死に堪えながら、俺はゆっくりと起き上がる南波に声をかけた。 「あー、時間ならたくさんあるので、その……ゆっくりいきましょう」  亡霊たちの一日は長い。

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