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ep.5 I will guide you one person
「準一さんは?」
「そう言われてみれば最近見掛けませんね」
「この間南波さん引っ張ってどっか行ってたの見たけど」
「どっか?」
「ああ、でしたらあそこではないでしょうか。彼へのお供え物があった」
「なるほど、仲吉な」
「ずっと楽しみにしてましたからね、準一さんのことですから健気に待ってるのではないでしょうか」
「……」
「あれだ、なんかあれじゃん。忠犬ポチ公? っつーか寧ろ……」
「「恋する乙女」」
◆ ◆ ◆
八月某日、曇り。
雲行きは怪しく、曇天の空は今すぐにでも雨が降りそうだった。じっとりと肌に纏わりつく湿気はなかなか気持ちいいものではない。
仲吉宛の地図を用意してからどれくらい経っただろうか。
あの日から俺は南波とともに事故現場、もとい件の崖の下で仲吉が来るのをじっと待っていた。
「すみません、何日も付き合わせてしまって」
首輪があるからとはいえ、こんな私情に南波を付き合わせるのはやはり申し訳ない。
木陰の下、ごろごろと転がった手軽な岩を椅子代わりにしていた俺の足元、服が汚れることも構わず地べたに座り込んで胡坐を掻いていた南波だったが、俺が話しかけてくるとは思っていなかったようだ。一瞬驚いたように肩を跳ねさせ、そして露骨にこちらから顔を逸らす。
「……い、いや、俺は全然大丈夫っす。それに、予め話を聞いたときから覚悟は決めてました。長丁場になるだろうってことは」
準一さんが満足するまでお付き合いします、と続ける南波。相変わらず目は合わないが、それでも少なからず心を開いてくれている、はず。きっと。おそらく。
仲吉のことだ、落ち着いたらまた改めてこの場所を訪れるはずだ。だから、俺は南波のリード片手にここで暫く仲吉を待っていたのだが。
「……それにしても、遅いっすね」
「そうですね」
てっきり仲吉のことだから直ぐにここへ来ると思っていただけに、やはり時間が経てば不安になってくる。こうもしている間に数年経ってしまうんではないだろうかという不安だ。
……いや、ないな、仲吉は絶対ここへ来るだろう。なんたってあの仲吉だ。
ここ最近、自分の情緒が不安定になっている。どうしても悪い方に悪い方にと思考が傾いてしまうのだ。
先日花鶏や藤也の言っていた精神的な死が関係しているのだろう。
しかし、それも仲吉と会えば全て解決するはずだ。
その肝心の仲吉にこうして不安な気持ちにさせられるのは予想していなかったが、あと少しの辛抱だ。以心伝心を使いこちらから「さっさと来い待ちわびたぞ」と話し掛けることも考えたが、もし仲吉が運転中だと考えたら安易に使用することは出来なかった。
「準一さんを待たせるなんてどんなやつなんすか」
「高校のときの同級生ですよ。……ちょっとばかしルーズで、だらしないやつっすけど」
南波は俺の一言に「ああ」となにか察したらしい。そしてそれ以上深くは追及してこなかった。
今さらになってちゃんとした約束をしていないと言ったら南波は怒るだろうか。怒るだろうな。
丁度その時だった。ふと、頭上にさらに濃い影が落ちてくる。雲だろうか、そう思いながら顔を上げればそこには歪な骨組みの傘が翳されていた。
「いつ来るかわからない相手を何日も何日も待ち続けるのは精神上よろしいとは言い難い。期待すればする程後が辛くなりますからね、気楽に行きましょう」
あらゆる箇所がバキバキに折れた傘を手にした花鶏は、俺達を見下ろしにこりと微笑んだ。
「花鶏さん……って、なんですか。傘?」
「雨が近いようです、これ以上ここにいるのならこの傘をお持ちください」
言いながら、花鶏は骨折れまくりの錆びまくりのそのビニール傘を俺に手渡してくる。
肝心の雨を凌ぐ部分は修復されているようだがそれ以外は今大破しても驚かないぐらいだ。
「どっからこんなもの……」
「先日の大掃除で物置に入っているのを見付けたんです。この季節には必要不可欠でしょう」
「ただのボロ傘じゃねーか。使えねえ、お前みたいだな」
「ですってよ準一さん」
「え……あ、すみません」
「ち、違います! 準一さんのことなわけないじゃないっすか! ……おい花鶏テメェ余計なこといってんじゃねえぞ狐野郎!」
「煩いですよ南波、あまり喚かないでください」
慌てふためく南波。そんな南波を受け流す花鶏だったが、ふと浮かべていた笑みを消す。そして耳を澄ませ、そのまま崖の上を見上げた。
「準一さん、どうやら来たようですよ」
「え?」
「車の音です」
そして、一笑。
こちらに向かって花鶏はいつものように柔らかく微笑んだ。
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