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08

   ――屋敷内、廊下。  古びた床板は仲吉の体重に合わせて軋む。普段は足音などしないからか、こういうところも新鮮に感じてしまう。そして、改めて自分が人間ではなくなったのだと思い知らされるのだ。  そんな気も知らずか、仲吉は再び観光客モードに戻っていた、 「へえ、外から見て思ったけどやっぱ広いな」 「お前絶対迷うから俺から離れるなよ」 「準一のが方向音痴じゃん」 「お前よりましだ」  そんなやり取りを交わしながら薄暗い通路を歩いていると、前方に見覚えのある扉が見えてきた。  ドアノブがあるべき場所にないその扉は間違いない、俺の部屋である。  以前南波のお陰で壊れてからそのままになっていたが、未だ迷子になる俺にとっては丁度いい目印となっていた。 「着いたぞ」 「へえ、ここが準一の部屋か~……ってなんでドア壊れてんの?」 「まあ……色々あってな」 「てか、自分の部屋まで貸してくれるってまじでいいじゃん。俺も、あとりんさんに頼んだら部屋用意してくれるかな」 「……あのな、言っとくけど水も電気もないぞ。あと虫と同棲状態だしコンビニもねえからな」 「分かってる分かってるって、ほら、早く開けろよ」  こいつ、本当に分かってるのか。  冗談のつもりなのか肝が冷えるようなことを言い出す仲吉に気が気でなかったが、やつは相変わらずヘラヘラしてる。文句の一つや二つ言ってやりたかったが、仲吉の言う事なすこと全てに口を出し始めたらキリがない。  俺は急かされるまま「はいはい」と扉を開いた。  瞬間、換気したままの部屋の奥から生暖かな空気が溢れる。  そして、中を覗いた仲吉は「うっわ」と声を上げた。 「お前……ここが準一の部屋なのか?」 「やめろ、引くなよ」 「いや、なんつーか……部屋というか、個室じゃん」 「言うなって言ってるだろ。……いいんだよ別に、プライバシー確保できたら」 「ふーん、そんなもんなのか? 応接室はあんなに心地よさそうなのにな」  言いながら、そのまま土足で人の部屋に上がる仲吉。靴くらい脱げ、と思ったが汚れを気にするほどのものでもないので何も言わなかった。 「本当は花鶏さんがソファー用意してくれるって言ってたんだけどな、腐ってた」 「あーそういうことな。……ってことはこれ、床で寝るのか?」 「つか、まず寝ない」 「あ、そうか」  何もない部屋の中をぐるぐると回ったあと、取り付けられた窓の方へと近付く仲吉。 「立て付け悪いかもだから気をつけろよ」と声を掛ければ、「了解」と仲吉は笑った。本当に分かってるのだろうか。窓を開け、窓の外の景色を眺める仲吉。  まだ日が昇っている時間帯のはずだが、窓の外はいつだって薄暗い。屋敷全体を覆い隠すように伸びた樹海のお陰だろう。 「まじでここ涼しいよな、ひんやりしてるし」 「……幽霊屋敷にきて言うことがそれかよ」 「はは、確かにな。つか準一、お前いつもなにやってんの?」  相変わらず話題があっちこっち飛ぶやつだ。 「なにって、なにもしてねえよ」とだけ答えておく。明らかに自分よりも年上の男をリード付き首輪で散歩させたり殺されかけたりしてる、など言えるわけがない。 「なんもってことはないだろ?」 「……まあ、花鶏さんたちと話したり散歩したり、掃除したり……ぼーっとしたり、とかか?」 「無趣味のじいさんみたいだな」 「ほっとけ」  というか本当に失礼なやつだな。  否定できないだけに悔しい。 「そんなんじゃ毎日暇だろ? 時間有り余ってんだからさ。他にねーの、やること」 「あのな、あったら苦労しないし」 「ないのか? 幽霊なら色んなことできそうだけどな、ほら、他の建物の中侵入したり……」   そう言いかけて、仲吉は何かを思い出したようだ。 「あ、そうか。この辺から出られないんだっけ?」  仲吉には予め、以前の以心伝心時に事情を話していた。  謎の結界があるせいでこの樹海から自由に出ることは出来ない。  そして、俺が日頃散歩してる限り、この結界内にこの屋敷のような建物は見当たらなかった。  あるのは自然のみだ。  どうやらちゃんと仲吉はそのときのことを覚えてたらしい。 「結界って、まじで漫画の世界だよな。あ、ってことはさっき俺普通に結界突破してきちゃったってこと?」 「そうなるな。俺も、初めてここ来たときは特に分からなかったし、多分生きてるやつには関係ないんじゃないか?」 「選ばれし者だな」 「生きてるやつはって言ってるだろ」  目を輝かせ、またなんか言い出す仲吉に頭が痛くなってくる。  ……いやでも、こうして死人とコミニュケーション取れるようなやつだ。選ばれし者としては間違いないのだろうが、これ以上やつを調子に乗らせたくない。  なんて思って矢先のことだった。 「あ、そうだ! いいこと思い付いた!」 「うおっ! な、なんだよ……急にでけー声出すなって」 「準一の私物、俺がここに持ってこようか」  そして、俺の元までやってきた仲吉はそうずいっと迫ってくる。  その近さに思わず後退った。そして、「俺の?」とじとりと仲吉を見れば、やつは満面の笑顔で頷くのだ。 「遺品とか大体準一んちの実家に送られてたからさ、それ貰ってこっち置けばいいじゃん」 「出来るのか?」 「おばちゃんたちに説明したらわかってくれるだろ」  説明って、まさか。 「……一応聞いとくけど、なんて言うつもりだ?」 「んーそうだな~。幽霊になった準一が結界に閉じ込められて山から出られないし、めちゃくちゃ暇だって言うからこの荷物渡ししてきますね! とかか?」  案の定ろくでもなかった。  正直者なんてレベルではない。家族たちの反応を考えるとただひたすら背筋が冷たくなる。 「……絶っっ対やめとけ」 「ええ、なんで!」 「お前が電波扱いされるだけだ。最悪通報されるぞ」 「まじで?」 「まじで」  脳裏に家族たちの顔が思い浮かぶ。  頑固な父親に気が弱い母親、堅物な兄に思春期真っ盛りな妹。  妹なら仲吉の話を信じてくれるかもしれないが、正直、多感な時期に兄が死んで兄の友人が来て死んだ兄が幽霊になってなんちゃらとか言われてみろ。確実に道を踏み間違えてしまう。  ……あとの三人は論外だ。全員頭がガチガチすぎる。  俺が死んで家族がどんな生活を送っているかわからないが、元々家を出て一人暮らしをしていた身なのでそう変化はないはずだ。すぐに今までと変わらない生活を取り戻せるだろうが、今はまだ時期が時期だ、冗談じゃ済まなくなるかもしれない。  けれど、この屋敷に俺の私物を運ぶという仲吉の提案は名案だと思った。 「こう、なるべく穏便に……もっとオブラートに包めないのか? お前は」 「オブラート、オブラートなー。『これ、俺欲しいっす』とか?」 「もっとだ」 「『準一との思い出がほしいのでなにかください』?」 「……まあ、お前ならそのラインだな」  とはいえ、仲吉は高校のときよく実家の方にもちょくちょく遊びに来ていたし、母親や妹から何故か気に入られてたし大丈夫だろう。 「ま、駄目だったらそれまでだしな。お前に任せるよ」 「おう、見とけって。……じゃ、いつ頃がいい? 俺は今からでも準一んち行ってもいいけど」 「それはまあ早い方が嬉しいけど、お前も大変だろ?」 「別に構わねえよ。今更気にすんなって、つうかやならやんねーし」 「……そうか、そうだよな」 「じゃ、頼んだぞ」と言えば、仲吉はにっと笑う。フットワークの軽さは健在のようだ。  普段はそこまでしなくていいと断っていたのだが、確かに退屈していた俺にとって今は仲吉のフットワークの軽さはありがたかった。 「帰るとなると、一旦あとりんさんたちにも声かけといた方がいいよな」 「……ああ、そうだな」  というわけで、一旦俺達は空き部屋もとい自室を出て、花鶏たちが待つ応接室へと向かうことにした。

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