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「ってことで、一旦帰らせていただきます」
――屋敷内、応接室。
そこにはソファーで寛ぐ花鶏と、そんな花鶏にリードを掴まれたまま不機嫌顔の南波がいた。
一通りの事情を説明すれば、花鶏は「そういうことでしたか」と微笑む。
「そろそろ日が落ちる頃なので夜道には気を付けて下さいね」
「ありがとうございます、あとりんさん」
すっかりあとりんさんで定着してるな、と仲吉を横目に見てたとき。「あ、そうだ」と仲吉は思い出したように声を上げた。
「あとりんさん、またここに来るときなんかちゃんとした土産持ってきたいんすけど。幽霊って食べ物とかどうなんですか? なんか欲しいもんとかあったら持ってきますけど」
「いえ、我々死者に気遣いなど無用です。その気持ちだけで有り難いものです」
「酒! 焼酎! 日本酒!」
「……おや、なにやら雑音が聞こえてきますね」
南波の酒コールは仲吉には届いていないようだ。「雑音?」と小首傾げる仲吉に、「南波さんはお酒がいいってよ」と耳打ちすれば「ああ、そういうこと」と笑った。
「全く……申し訳ございません、仲吉さん。ですが本当にお気遣いなど結構ですからね。私は、貴方のような方が遊びに来てくださるだけでも喜ばしいことだと思っておりますので」
「いえ、あとりんさんもありがとうございます。……それじゃ、そろそろ俺も帰ります」
「ええ、またお待ちしております」
花鶏たちと別れ、俺は仲吉を見送るために一緒に応接室を出た。
――応接室前廊下。
「あれ、お二人とも……どこか行かれるんですか?」
そこには奈都がぼうっと立っていた。どうやら応接室へと向かう途中だったようだ。
陰に紛れて現れた奈都にぎょっとする俺の横、仲吉は驚くことなく「いや、帰るとこなんだ」と笑った。
「もう帰ってしまうんですか?」
「ああ、用事できてな。……あ、でもまたすぐ戻ってくるから」
「……そうですか」
そう答える奈都はどこかほっとした様子だった。
なんとなくその表情が引っ掛かった。そんなに喜ばしいことなのだろうか、そんな小骨のような違和感だったが、ただでさえ退屈な樹海だ。幽霊が見れる客人という刺激を求めてしまうのも無理はないかと自分を納得させることにした。
奈都とも軽い別れの挨拶を済ませ、そのままの足取りで俺達は玄関ロビーへと続くY字の階段を下っていく。いつの日か落とされていたシャンデリアのトラウマが過り、なるべく壁際を歩きながらそのまま俺達は屋敷の外へと出た。
――屋敷外、樹海。
「じゃあ持ってくるのは電気を使わないやつだけでいいんだな?」
「ああ」
「他にいるもんとかねーの?」
「……いや、それだけでいい。あんまでかい荷物だったら怪しまれるかもしんねえから気を付けろよ」
「おーけー、了解」
車を停めてあるという崖へと歩く途中。
念押しする俺に仲吉はヘラヘラと笑いながら頷く。
本当にわかっているのか心配だ。
あまりにも緊張感がない仲吉を横目に見れば、目が合う。
またなにか口煩く言われると思ったのだろうか、俺が口を開くより先に仲吉は「でも」と声を上げた。
「本当におばさんたちに言わなくていいのか?」
「言うって、なにが」
「準一のこと。通夜で久し振りに会ったけど、すっげー元気なかったぞ」
そりゃ通夜でハイテンションになる身内はそうそういないだろう。
突っ込みかけて、やめた。そのときの家族の様子を想像すると胸の奥がちくりと傷んだからだ。
――確かに、家族のことは気掛かりだった。
が、だからといってこの山から出られることが出来ない今なにをすることも出来ない。
「こう、安心させるため手紙とか書いたら? 僕は元気です~みたいな」
なんのホラーだよ。気を遣ってくれているのか、また妙な提案をしてくる仲吉に突っ込まずにはいられない。
死んだはずの家族から手紙って普通に怖いぞ。
「……あの人たちの中じゃもう俺は死んだことになってるんだよ。無理して掘り返す必要もないだろ」
「えー、準一がまだいるってわかったら喜んで会いに来ると思うけどなあ」
俺の言葉が納得いかないのか、そう不思議そうな顔をする仲吉。
楽観的で脳みそお花畑な仲吉らしい意見だと思ったが、相手は仲吉ではなくうちの家族だ。
まず俺がまだいるという話を信じてくれるかどうかすらわからないし、もし万が一信じてくれたとしても問題はある。
……例えば、相性だ。
「仲吉、お前なにか勘違いしてるようだけどな、相手がお前だから俺はこうして話せるんだよ」
「会いに来た全員が全員、仲吉みたいに俺の声が聞こえるかわからないだろ」そうだ、幽霊はいると信じている仲吉だからこそこうして話すことが出来るんだ。
残念ながら、俺の頭が堅いのは血筋らしくうちの家族は夢の欠片もないやつばっかだ。
そうきっぱりと言い切れば、仲吉は少し意外そうな顔をする。
「それって、俺が特別ってこと?」
「……まあ、そうなるんじゃないのか? ……って、なんだよその顔」
「や、なんか、そういうの……すっげーこう嬉しいなーって」
耳を赤くした仲吉は目があえば気恥ずかしそうにはにかみ、慌てて顔を逸らした。
そこまで大したことを言ってないつもりだが、仲吉の中での特別という言葉が意味あるものだったということだろう。
今更こっちまで恥ずかしくなってきたが、否定出来ないのも事実だ。
俺は「そうだな」とだけ答え、顔を逸らした。
そんなやり取りをしてる間に、あっという間に例の崖下まで辿り着く。
「お前これ登んのか」
足を止め、見上げる。
手摺に手頃な樹や蔦が生えたその斜面は緩やかだが、それでも安全とは言い難い。
「うん、何度かやってるし」
そんな俺の横、同じように崖上を見上げる仲吉。
……そういやこいつ廃病院の門よじ登るようなやつだった。
「でも、油断するなよ」
「わかったわかった。……本当、心配し過ぎなんだよ準一は。こんくらい余裕だって」
「けど……」
「ま、そんときは準一が受け止めてくれるだろ」
冗談のつもりだろうが、全く笑えなかった。
「おい」と睨めば、仲吉は笑った。そして、やつが「んじゃ、また後でな」と近くにあった木の幹に手を置いたときだった。
「あーーっ!」
聞こえてきたのは鼓膜をぶち破るほどの大きな声だった。辺りに木霊するその声に驚き、発生源である後方を振り返る。
そして、木々の間。そこに立っていたやつらの姿を見て血の気が引いた。
「仲吉じゃん、仲吉みっけー!! おい藤也、ほらあいつだ! 仲吉だ!! 仲吉来てんじゃん!!」
「……見ればわかる」
「なんだよもー準一のいけず~! 仲吉来てんなら教えてくれりゃあいいじゃん! せっかく飛び降りドッキリさせてやろうと思ったのにさ~!」
顔形は瓜二つ、しかし纏う空気は対照的な双子の青年――もとい幸喜と藤也がそこに立っていた。
このタイミングで現れるか。
このまま会わなければそれが一番いい、そう願っていたがどうやらそれは無理な願いだったようだ。
「あ、なに? あれも幽霊?」
どうやら仲吉にも見えているようだ。仲吉の視線の先には確かに幸喜がいた。
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