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「……な、なんだったんだ」  いつもの流れならば、また殺されるかもしれない。  そんな覚悟をしていただけに、あっさりと俺から手を引いて狸を優先させる幸喜になんだか出鼻を挫かれたような気持ちになる。 「……幸喜は狸がお気に入りだから」  そんな俺に、藤也はぽつりと呟く。そして俺に向き直った。相変わらず何を考えているのか読みにくい黒黒とした二つの目がこちらをじっと見る。  そしてその視線はそのままゆっくりと落ちていき、俺の手へと向けられるのだ。 「準一さん、手」  藤也に指摘され、つられて視線を落とし、ぎょっとした。気付かない内に出血していただけだった拳は鬱血したかのうに紫色に変色していた。  幸喜に触れられていたせいだろうか、「うわっ!」と思わず声をあげれば、藤也は「気付くの遅すぎ」と小さく呟くのだ。 「それ、大丈夫なの」 「あ……ああ、多分……」 「……それならいいけど」  無意識というものは恐ろしい。  これ以上藤也に余計な心配をかけたくなくて、俺は精神を安定させることに務めることにした。  幸喜がいなくなり、静まり返った崖の下。  暫くもしないうちに鬱血は解消され、ようやく指先まで元の血の通った手が蘇る。  あのまま放置してたら腐り落ちてたのではないのだろうか。そうぞっとしてると、隣までやってきた藤也は崖の上を見上げながら「あの人」と小さく呟いた。 「ん?」 「あの人、もう帰ったの?」 「……仲吉のことか? 仲吉なら、ちょっと色々頼んでてな。また後で来ることになってるんだ」 「ふーん、良かったじゃん」 「……良かった、のか?」  なんとなく疑問系になってしまう俺に、藤也はじとりとこちらを見上げた。 「嫌なの?」 「いや、嫌じゃねーけど……」  正直、さっきみたいなことがまたあるとなると肝が冷えるようだった。 「嫌じゃないけど、なに?」 「……正直、自分でも分からない」 「分からない? ……会いたかったのに?」 「……ああ、会いたかったけど。いざ会ってみると……」 「嫌だった?」 「……その逆だよ」  会えて嬉しかった。というか、あいつがいつも通り過ぎて逆に時折自分が死んだことを忘れかけるくらいだ。 「……逆? 嬉しかった?」 「……まあ、多少は」 「ふうん、なにが不満なわけ?」 「不満っていうか……怖いんだ」 「怖い?」と藤也は小首を傾げる。  弱味を見せ、そして受け入れてくれた藤也が相手だからだろう。こんな風に本音を吐露することができるのは。 「あいつ、また来るって言ってたんだ。……それも毎日。それって、どうなんだ?」 「どうって?」 「だって、あいつにはあいつの生活があるのに……」  そこまで言いかけて、自分の本音に気付く。  本来ならば既に死人である俺が干渉すべき存在ではないのだ、あいつだ。けれど俺があいつの日常を壊してしまったのではないかと今になって怖くなっている。  はっとする俺に、藤也はただじっとこちらを見ていた。 「……別にいいんじゃない?」 「い、良いって……そんな簡単に……」 「向こうが来たいって言ってるんだし、それにあんただって会いたかったんでしょ?」  静かに尋ねられ、つらりとこくりと頷き返せば「ならそれでいいじゃん」とそっぽ向くのだ。 「……あんたは今、自分のことだけを考えた方がいい」  そして、藤也は繰り返す。  藤也は人の生死に興味がないからこそそう簡単に言えるのだろう。確かに藤也からしてみれば仲吉は赤の他人だ。それでも、俺のためを思ってそう言ってくれるのだから余計麻痺してしまいそうになるのだ。 「ああ、分かってる。分かってるけど……」 「本当、人間って面倒臭いね」 「め……ッ」  というか、お前だって元人間だろ。とツッコミそうになり、やめた。 「……面倒で悪かったな」 「別に、苦しむのはアンタ自身だけだから」 「う゛……」  本当に歯に絹着せぬ物言いをするやつだ。  ……けれど、その通りなのだから返す言葉もない。  それ以上会話は続かなかった。そのまま立ち去ろうとする藤也にはっとし、「そうだ」と声をあけまた。 「……お前なんで仲吉から隠れてたんだよ」  すると、藤也は立ち止まりこちらを振り返る。 「別に、わざわざ出る必要なかったし」  本当に、正直なやつだ。  今更呆れはしないけども。 「せっかく紹介しようと思ったのに」 「俺をあの人に? ……なんで?」 「なんでっていうか……ほら、色々お世話になったし」 「やっぱ、そういうのってちゃんと言っておきたいだろ」嘘ではない、ドライなところもあるがなんだかんだ藤也は優しいし面倒見もいい。  仲吉と仲良くしてほしいとまで我が儘は言わない。なにかあったとき仲吉を守ると考えたものの、やはり一人手は不安要素が多くなるべく藤也の力を借りたかったというのも本音だ。  そういうことを含めて二人には仲良くしてもらいたいと思ったのだが、やはりこんなことを言えば藤也にキレられそうだ。  一人百面相をする俺に対し、藤也は「変なの」と呟き小さく笑う。 「まあ、様子見て考えるよ」 「様子見って」  笑う藤也にも驚いたが、その言葉に戸惑わずにはいられない。  保留ということだろうか。突っぱねられるよりは遥かにましなのだろうが、素直に喜べばいいのかわからないが、そんな藤也の笑顔に少しだけほっとした。  ……やはり俺って単純なやつなのだろうか。

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