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「おや、皆様いかがなされましたか? そんな鉛玉食らった鳩のような顔をして」
神出鬼没とはまさにこの男のことだろう。
固まる俺達を前に、花鶏はそうなんでもないように微笑んで見せる。
というか、例えが物騒すぎることについてはさておきだ。
――何故、花鶏がここにいる。
一瞬にして凍りつく空気の中、乾いた風が頬を撫でていく。そんな沈黙の中、口を開いたのは仲吉だった。
「すっげ、あとりんさん幽霊みたい。なんでここが分かったんですか?」
夏にも関わらず冷たい空気の中、場違いなほど明るい仲吉の声が響き渡る。
目をキラキラと輝かせ、花鶏の元へと駆け寄る仲吉に思わず「あっ」と思ったのも束の間。犬のように駆け寄る仲吉に花鶏はふふっと微笑むのだ。
「そうでしょう。……この樹海で私に分からないことなどないに等しいですからね」
どこまでが本気でどこまでが冗談なのか、俺にはその真意が分からなかった。そんな花鶏の言葉を額面通りに受け取っては「すげー!」と目を輝かせるのは仲吉だけだ。
俺も奈都も、一ミリ足りとも笑うことなどできなかった。
「それにしても、こんな物騒なものを持ち出して……もし仲吉さんの身に何かがあったらどうするおつもりですか?」
そして、いつの間にかに仲吉から斧を奪った花鶏はそれを片手に悲しげに眉尻を下げる。そのままゆっくりと俺の隣にいた奈都に目を向けるのだ。
「花鶏さん……」
「奈都、また貴方でしたか」
「……ッ、」
「何やらまたこそこそしているとは思っていましたが、まだ諦めていなかったのですね」
「そ、それは……」
「おまけに仲吉さんまで巻き込むとは……。貴方はもう少し賢い方だと思っていたので悲しいです。ええ、……貴方のためにも結界に近付くなと何度も注意したはずですがお忘れですか?」
花鶏の言葉はまるで子供を叱りつけるような優しいものだったが、それでもなんだろうか。有無を言わせぬ圧のようなものを花鶏から感じずにはいられなかった。
ですが、と奈都は何かを言いかけるが、その先を口にすることはなかった。
「――奈都君、あなたも聞き分けのない方ですね」
「……っ」
奈都が言葉を飲む。
この空気はまずいのではないか、けれど俺に何が言えるのか。そんなときだった、奈都の影が動いた。
そのまま奈都はその場から駆け出したのだ。
「あっ、おい! 奈都……ッ!」
大丈夫だろうかと思った矢先、仲吉はそのまま立ち去った奈都を追い掛ける。
――追い掛ける?
「ちょっ、待っ……勝手に行くなって!」
草むらを掻き分け、奈都を追い掛けようとする仲吉を慌てて止めようするが一歩遅かった。
仲吉の後ろ姿が樹木に埋もれ、やがてその声すら聞こえなくなる。
慌てて追い掛けようと一歩踏み出せば、リードがピンと張り、背後からは「ぐえっ!」と気管が潰れたような声が聞こえた。どうやら南波の首を絞めてしまったようだ。
「あ、す、すみません……っ!」
慌てて立ち止まり、振り返ればそこには花鶏が立っていた。静かに俺――ではなく、咽せ返る南波を見下ろしていた。
「南波、貴方もなぜ注意しなかったんですか」
「げほッ! ……うっせーな、お前だって見てたんなら最初の時点で自分で注意すればいいだろ」
「おや他力本願ですか。感心しませんね」
「お前にだけは言われたくねえ」
「まったく……相変わらずの減らず口ですね」
「お前もな」
花鶏と南波の間に見えないはずの火花がバチバチと飛び散っているように見えたのは気のせいではないだろう。
花鶏も怒っているというよりは、なんだか奈都のことを心配しているように見えた。
気付けば奈都も仲吉も見失ったあとで、どうしたものかと右往左往していた俺に気づいたようだ。花鶏はゆっくりとこちらを振り返る。
「準一さん、申し訳ございません。貴方も仲吉さんも巻き込んでしまって」
「いえ、俺はいいんですけど……その、さっきの話、どうしてここに近付いてはいけないんですか?」
結界のことは知っていたが、だからとはいえ基本放任主義な花鶏がこうしてここまで追いかけてくる理由が気になったのだ。
そして花鶏もそんなことを聞かれると思っていなかったのだろう。少しだけきょとんと、それからいつもの柔和な笑顔を浮かべる。
「おや、貴方にはまだきちんと伝えていませんでしたか……なに、簡単なことですよ。ここの結界は私たちの体にとって決していいものではありません。そして、それは近付くだけでも同じです」
「こんな下らないもので身を滅ぼすのも馬鹿らしいでしょう?」と花鶏は手を重ねる。
“下らないもの”という言い方には引っかかった。あの花鶏がそんな棘のある言い方をする理由がわからなかったから尚更。
「昔、なにかあって結界が張られたって聞いたんですが」
「ああ、幸喜に聞いたのですか」
「……はい」
「そうですよ。百年前この山には伝説の化け物が住んでおり町に住む人々を食い荒らしてましてね、村人たちが一致団結して化け物をこの一体に封印したとかでその封印の結界がこれなんです」
「ば、化け物?」
突然ファンタジーな話をされ狼狽える俺を一瞥し、花鶏はふっと表情を緩めた。
そして、「と、まあ冗談はここまでにしておいて」と手を叩くのだ。
「そろそろ私達も場所を変えましょうか。なにせここは空気が悪いですからね、なにが起こるかわかりません」
「なにか起こるって……」
「私が起こします」
もう俺にはこの男の真意がなにも分からない。そこまでしてなにかを煙に巻こうとしてるようにしか思えなくて、それでも悪意があるようには感じないのだ。
ただの茶目っ気だと信じたい気持ちがそう思わせるのか。
「奈都君と仲吉さんには私の方から話しておきます。なので、準一さんは“それ”を連れて先に戻っておいてください」
「てめえ、それってなんのこと言ってんだよ! ああ?!」
「……それに」
吠える南波を無視し、花鶏は軽く顎を持ち上げて空を見上げる。ただでさえ木々に覆われ、影を濃くした空は更に濁ったような色になっていた。
「それに、雨が降りそうですしね」
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