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   歯を噛み、目の前で笑うやつを睨む。 「おい、それ返せよ」 「しかしまー準一たちってば俺に秘密でこんな面白そうなことするなんてずるくね?つーかハブ?仲間外れすんなよ、悲しいじゃん!」 「いいから返せって!」  相変わらず茶化してくる幸喜に苛ついて怒鳴れば、幸喜は口に手をあて「うわ、準一が怒ったー!」と驚いた真似をする。  それも一瞬。 「準一がぁそんな風に言うんならもういいや、奈都に見せてこよーっと」 「おい待てって!幸喜!」 「っ、準一さん!」  拗ねたように唇を尖らせ、姿を消そうとする幸喜を追い掛けようとしたとき慌てたような南波の声が聞こえた。  それでも構わず幸喜の薄い肩を掴もうと手を伸ばしたときだ。 「仲吉ガード!」  いきなり立ち止まったと思った矢先、いいながら幸喜は突っ立っていた仲吉を引っ張る。  勝手に動く体に「へ?」と目を丸くした仲吉。  いきなり目の前に現れた仲吉にぎょっとした俺は慌てて止まろうとしたが、あまりにも近すぎた。  そして次の瞬間、ごちんと骨同士がぶつかり合う。唇には、柔らかい感触。 「~~っ!」 「あはははっ!ちゅーだ、ちゅー!」  暗闇の中に響く笑い声。咄嗟に仲吉の肩を掴み、引き離した俺は舌打ちをし声の聞こえる方を見たが一歩遅かった。  幸喜の姿は闇に消える。  幸喜がいなくなり、辺りに静寂が戻る。小さく舌打ちをした俺は仲吉を掴んでいることに気付き「わり」と慌てて手を放した。  しかし、返事はない。 「おい、大丈夫か?」 「……」 「仲吉?」  まさか、痛かったのだろうか。痛覚が存在しない自分ならともかく仲吉は生身の人間だ。  心配になって仲吉の顔を覗き込めば、びくっと目を見開いた仲吉は慌てて俺から離れる。 「ゃ、大丈夫……です……」  そして、口を押さえたまま仲吉は目を逸らした。  なんで敬語だ。 「準一さん!大丈夫すか!」  あまりにも様子が可笑しい仲吉に戸惑っていると、リードを手にした南波が駆け寄ってくる。 「ん、まあ」と頷き返し、改めて仲吉に向き直った。 「おい仲吉。とにかく幸喜を追い掛けるぞ」 「へ?幸喜?」 「化けたあいつが新聞持っていったんだよ、ぜってえ奈都に見せるつもりだ……っ」  そう吐き捨てれば、ようやく事態が飲み込めたようだ。 「まじで?」と目を丸くする仲吉に俺は頷き返す。 「まじだよ。だからほら、取り敢えず行こうぜ」 「わ、わかった……」  このままじゃ、せっかく奈都を心配する仲吉の気遣いが台無しだ。  なんとしてでも取り返さなければ。  そう決意した俺は早速幸喜を捕まえるためにまず奈都がいそうな場所を当たることにした。  そして奈都を探すため、俺たちは屋敷まで戻ってきた。  瞬間移動出来ればすぐなのだが、拘束する首輪が邪魔で諦める。  幽霊屋敷、奈都の部屋の前。  どこか様子が可笑しい仲吉の代わりに扉を軽く叩けば、乾いた音が響く。 「奈都、俺だ。入ってもいいか」  返事は返ってこない。  このままじゃ仕方ないので俺は「入るぞ」と小さく呟き、そのまま扉を開いた。  その先には、薄暗い闇が広がっていた。  簡易ベッドがひとつ。  それと、その側には一人用のテーブルがあり、花瓶には花が生けられていた。  質素だが、混沌した幸喜たちの部屋やなにもない俺の部屋よりかは幾分ましだろう。  一歩足を踏み入れ、部屋を見渡したとき。  不意に、廊下の外から物音が聞こえてきた。 「準一さん、奈都がいました」  そう声をかけてきた南波。  慌てて部屋を出た俺は、南波が指差す方へと向かう。  長い長い廊下の突き当たり。  月明かりが射し込む窓の前、奈都はいた。 「奈都、丁度よかった」 「どうしたんですか、皆さん揃って」  俺の声に反応し、こちらを振り返る奈都は少し驚いたような顔をする。  よかった、まだ幸喜に会っていないらしい。安堵した俺は奈都に歩み寄った。 「いや、別にどうしたってわけじゃないんだけど」  どう続ければいいかわからず、そう口ごもったときだった。 「……どうしたわけじゃない?」  獣が唸るような低い声。  先ほどまで柔和だった奈都の表情が一瞬にして険しくなる。 「準一さんにとってどうしたってわけじゃないんですか、これは」  なにか不味いことでも言ってしまったのだろうか。  ずいっと詰め寄ってくる奈都は上着からとある用紙を取り出し、それを俺に叩き付ける。  慌てて受け取り、その用紙に目を向けた俺は青ざめた。 「奈都、これ……」 「そうですよね、準一さんからしてみたら所詮他人事ですもんね。僕の大切な人が死んでも、それは準一さんにとって痛くも痒くもないですしね。そうですよね、それが普通の反応ですよね。僕だけが一人勝手に舞い上がってたみたいですね、お見苦しい姿を見せてしまい申し訳ないです」 「無駄な手間を掛けさせてしまいすみません」あくまでも丁寧な口調で続ける奈都だがその言葉には触れたら切れてしまいそうなくらいの棘が含まれていて、こちらを睨む薄暗い瞳に俺は言葉を無くした。  一歩、遅かった。  グシャグシャになった新聞記事のコピーを握り締め、俺は奈都の背後に目を向ける。  奈都の影に佇む幸喜は俺と目をあわせるなりくすくす笑いながら手を振ってきた。  ――本当、間が悪い。 「悪い、今のは俺が悪かった」  アクシデントに慣れていない自分が面白いくらいあたふたしているのがわかった。それ以上、言葉が出ないのだ。  奈都に隠そうとしたのは事実だし、奈都に手渡ったコピーも事実だ。  今、なにを言ったところですべて墓穴に繋がりそうな気がして。それ以上に、奈都の態度がショックで。 「謝らなくていいですよ。準一さんはなにも悪くないんですから。わかってますよ、そのくらい。……わかってます」  口ごもる俺に、奈都は眉を寄せる。切羽詰まった声。奈都も奈都で動揺しているのだろう。  幸喜が奈都になにを吹き込んだかはわからなかった。  しかし、事実を膨張させあることないこと口にしたのは大体想像つく。 「ごめんなさい、迷惑かけて」  苦虫を噛んだみたいに顔を歪める奈都はそう頭を下げ、そのまま俺たちの脇を通り抜けようとする。 「奈都」  そう、慌てて奈都を呼び止めようとしたとき、伸ばした手を振り払われた。 「……すみません、一人にさせて下さい」  じゃなきゃ、準一さんたちに八つ当たりをしてしまいそうで怖いんです。  奈都はそう泣きそうな声で呟いた。  そんなことを言われれば無理に呼び止めることができるはずがなく、奈都から手を引いた俺の前を奈都は颯爽と立ち去る。 「……あーあ、泣いちゃった。カワイソ」 「幸喜、てめえ」  奈都がいなくなったのを確認するかのようにぐるりと視線を巡らせた幸喜は俺を見るなりくすくすと笑い出す。  あまりの不快さに幸喜を睨めば、「そんなに見詰めないで」と肩を竦めた。 「なに言ったんだよ、あいつに」 「なにも、『準一たちがこれを持ってた』って言っただけだよ?」 「本当かよ」  それだけであんなに奈都が不機嫌になるはずがない。  そう勘繰るように目を細めればとぼけたように上目遣いをする幸喜は「ああ、あと」と思い出したように口を開く。 「彼女は散々苦しんで死んじゃったのにお前だけ即死ってずるいよな、って」  頭に血が昇るのが自分でもわかった。  全身の血が煮えたぎり、気付いたときには体が勝手に動いていた。華奢な幸喜の胸ぐらに手を伸ばせば呆気なく捕まった幸喜をそのまま強引に引き寄せる。  至近距離。鼻と鼻がぶつかりそうなくらい顔を近付け、やつの胸ぐらを掴み上げれば幸喜は楽しそうに笑いながら俺の首に繋がったリードを掴んだ。  そのときだった。 「おい、落ち着けって、準一っ」  背後から伸びてきた手に腕を掴まれ、そのまま幸喜から引き離すように羽交い締めにされる。  ――仲吉だ。

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