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02
花鶏の言葉通り、屋敷の中へと移動した途端、外は土砂降りになる。
叩き付けるような雨音は耳障りだったが、窓から眺める外の景色はどこか心落ち着くものがあった。
ゴロゴロと唸るような雷鳴、真っ黒に淀んだ空、強い風に煽られ揺れる木々。
この雨で少しは涼しくなるかと思ったが、寧ろ湿気が増し、じめったような気がしないでもない。
逃げるようにいなくなった奈都に取り残された俺はやることもなく、二階の渡り廊下の窓から外を眺めていた。
もうそろそろ夜だろうか。こんな天気だし、もう仲吉は来ないだろうな。
なんて物思いに耽ていると、不意に背後で陰が動くのがわかった。
気配がして、振り向けばそこには薄く微笑む花鶏がいた。
「酷い天気ですね。……長引かないといいのですが」
「……」
「おや、無視ですか」
つれない方ですね、と肩を竦める花鶏はそのまま当たり前のように俺の隣に並ぶ。
ここで逃げたら意識していると思われ兼ねない。
敢えて何でもない風を装いながら、俺は窓の外を見つめ続けた。
そんな俺を、花鶏は喉を鳴らし笑う。
「この間のこと、気にしてるんですか」
「……なんのことですか?」
「おや、しらばっくれる必要はないでしょう。仲吉さんのことです」
この間のことと言われ、首輪を付けられたときのことを思い出した俺だったざ思いっきり宛が外れ、顔が熱くなる。
それを狙ってはぐらかすような物言いをしたのだろう。腹が立つ。
「霊気というのは人に悪い影響を与えますからね」
「別に、気にしてないですけど」
「そんなに嫌わなくてもいいじゃないですか」
「悲しいですね」と伸びてきた手に肩を掴まれ、顔を強張らせた俺は「触らないでください」とそれを振り払う。
苦笑を浮かべ、手を引っ込めたと思えば今度は強く手首を掴まれた。
目を丸くする俺に、花鶏はぐいっと顔を寄せる。
「お忘れですか、準一さん。こうして私が貴方に触れることが出来るのは私が貴方に触れたいと思い、貴方が私に触れることを望んでいるからこうして触れることが出来るんですよ」
「っ、なにが、言いたいんですか」
「この間のことは申し訳ございません。私も年甲斐なくはしゃいでしまったことを反省してますので」
「……ので?」
「……そろそろ、目を見て話してくださってもいい頃ではないですか?」
花鶏から目を逸らし、俯く俺に花鶏は困り果てた様子で尋ねてきた。
「普通、反省している人間がそんなこと言いますか」
「言わないと、貴方はいつまで経っても臍曲げてるでしょう」
「臍曲げるとか、そういう問題じゃないでしょう。っ、あんな……」
「あんな?」
それ以上の言葉が出ず、言葉に詰まる俺に花鶏は食い付いてきた。
「あんな?なんですか?」
惚けたような笑み。完全に馬鹿にされている。
怒りが、羞恥か。頭に血が上り、カッと顔が熱くなる。
咄嗟に花鶏の腕を掴み、無理矢理自分から引き剥がせば、あっさりと花鶏は離れた。
「おお、怖いですねえ」
「もう俺に関わらないで下さい」
「無理だとわかっているくせに、愚問ですね」
「花鶏さん……」
「なんですか?」
「あんた、本当……っ」
食えないどころではない。
真面目に相手をすればするほど、相手の思う壺に嵌り込んでいくのがわかった。
顔を顰め、唸る俺は花鶏を睨む。そんな俺の視線を真っ直ぐ受け止める花鶏は、一層笑みを深くした。
嫌な空気が走り、神経が逆立つのを感じた時だった。
「チワゲンカ?」
「っ!!」
不意にかけられた無邪気な声に全身が固まった。慌てて振り返れば、空き部屋の扉の前。
不思議そうな顔をして、揉める俺たちを眺めていた幸喜がいた。
いつからいたんだ、というか。
「だっ、誰が痴話……っ!」
「痴話喧嘩というより、これは準一さんの欲求不満による副作用というものでしょうか」
「欲求不満はどっちだよ!」
あんまりな花鶏の言い草に耐え切れず、俺は声を荒げる。
全身で拒絶する俺に、花鶏は不思議そうに小首を傾げた。
「おや、違うのですか?ここ最近貴方が物足りなさそうな顔をしているので私は少しでも貴方の心の隙間を埋めることが出来たら、と思っていたのですが」
「ふざけんじゃねえ……っ」
「おお、準一やれやれー!」とヤジを飛ばしてくる幸喜を無視し、俺は目の前の花鶏に手を伸ばした。
そのまま着物の襟を掴もうとした瞬間、目の前にいたはずの花鶏は消え、手は宙を掠る。
「あまり年寄りを虐めないで下さい。……激しい運動は不得意なんですよ」
唖然と掌を見つめる俺の背後、袖口で口元を抑える花鶏は困惑の表情を浮かべた。そして、すぐにいつもと変わらない笑顔を作る。
「時には怒ることも大切ですよ。心の動きというのは豊かになればなるほど動力になるのですから、貴方には死人のような姿は似合いません」
「ですが、すぐに手を出すのはよくないですよ。まあ、貴方の気が長くないことは予想ついてましたけどね」言いたいことばかりを一方的に言い放てば満足したのだろう。
そのまま、花鶏の姿は空気中に四散するように消えた。
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