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08

 日が登って朝になり、日が沈んで夜になる。  なんて変哲もないことなのだが、あまりすることがない今、そんな時間の経過や天気が気になって仕方がない。  花鶏は「その内、夏に雪が降ろうと槍が降ろうと気にもならなくなりますよ」と笑っていたが、多分俺がそうなるくらいになは多大な時間が必要になるだろう。 「また、雨か……」  叩きつけるように降り注ぐ雨の下、屋敷の玄関口に立ち、どんよりと濁った空を見上げる。  仲吉も流石に、今日はこないだろう。  空を覆い隠す黒い雲のせいで日が見えず、正確な時間はわからないがもう夕暮れ時だろう。  風も出てきたし、そろそろゴロゴロと雷が鳴り始めても可笑しくはない悪天候だ。  ……そもそも、自分からくるなといっておいてこうして待っていること自体矛盾しているのだろうが、やはり、なにやらかすかわからないトラブルメーカー仲吉のことだ。気になって仕方ない。  それでももう、これ以上待つ必要はなしさそうたが。 「準一さん、そんなことろにいたら濡れますよ」  ふと、背後から声を掛けられる。  振り返ればそこには季節外れの厚着を纏った奈都が心配そうにこちらを見ていた。 「ああ、そうだな。……っていっても、風邪引かねえんだけどな」  生きている時とは違う、生身ではない体を思いだし、そう自嘲すればつられるように奈都は「そうでした」と微笑んだ。  その笑顔に、僅かに影がさす。 「やっぱり、そう簡単にこの体には慣れませんね」  自虐的な言葉だが、そこに以前のような悲壮感はない。  困ったように笑う奈都に俺は「だな」と頷いた。  ◆ ◆ ◆  屋敷内、応接室。  屋敷前の様子ならここからでも見ることはできると思い奈都と共に移動したのだが、肝心の窓の外は降り注ぐ雨で塗り潰され、なにも見えない。  わざわざ監視する必要もねえんだけど。  なんて言い訳のように呟きつつ、窓から離れたとき、ふと応接室の扉が開いた。  現れたのは藤也だった。 「準一さん、幸喜知らない?」 「は?幸喜?……んや、見てないけど」 「……」  渋面のまま押し黙る藤也から、ふと不穏なものを感じた俺は「あいつがどうかしたのか?」と尋ねる。俯いたまま、藤也は口を開いた。 「……実は……」  そう、ゆっくりと口を開いた藤也がなにかを言いかけたときだ。  雨音が広がっていた屋敷内に、ガシャン!となにか陶器類が割れるような音が響いた。 「今の……」 「食堂の方からみたいですね」  奈都が呟くと同時に、応接室を無言で飛び出す藤也。  それに続くように、俺と奈都も物音がする食堂へと向かった。 ◆ ◆ ◆  ――屋敷内、食堂前。  木製の重い扉を開いたとき、また、ガシャンとなにかが割れるような音が響いた。  そしてすぐに、「っひぃ!!」と聞き覚えのある悲鳴が聞こえてきた。  慌てて中を覗けば、そこではある程度想像ついた光景が広がっていた。 「あーっ、おっしい、あともうちょいで顔面いけたのにー!」  食堂の中央。  どんと佇む太い柱に縄でぐるぐる巻に縛り付けられた南波。  その足元には大量の白い破片が飛散している。  そして、その柱から離れた位置には食器類を乗せたカートに座って南波を的にして遊ぶなどという奇怪かつ悪趣味で理解しがたい嗜好の持ち主である幸喜がいて。 「おいっ、なにやってんだ!」  どうやらまた南波が理不尽にイジメられていたようだ。  食堂が腥くなる前に、慌てて止めようと仲裁に入ったときだ。  こちらを振り返った幸喜はにぃっと愉快そうに目を細め、そして、 「お、もっといい的が来た!」  カートの上、数本のフォークを手に取った幸喜はなんの躊躇いもなくその尖った先端を俺に向け、真っ直ぐと投げてくる。 「っぶねえ!」  間一髪、体ごとよければ、フォークは顔のすぐ横を走り抜けていった。  そのままビンっと壁に突き刺さるそれに、血の気が引く。 「あはははっ!準一のくせにすばしっこいなぁ!」 「おい、刺さったらどうすんだよ!危ないだろ!」  もとより刺すことを前提にしている幸喜にこんなことをいうのは無駄だとはわかっていたが、言わずにはいられなかった。  僅かに芽生えた恐怖心や動揺を悟られないように怒鳴れば、困ったように笑う幸喜は「わりーわりー」と髪を掻く。そして、手元のフォークを一本、手に取った。 「次はちゃんと目ん玉狙ってやっから」 「なに言って……ッ!」  言いかけた矢先、目の前を飛んでくるフォーク。  避けろと脳が命令を出したときにはもう遅く、すぐそこまで迫ってくる先端に目を細めたとき。  目の前に現れた影が、空中のフォークを手で掴んだ。 「やっぱり、あんたの仕業か。あれ」  音もなく現れた藤也は、フォークを握り締めたまま静かに幸喜に向き直る。  助かった、そう安堵する暇もなく辺りにはピリピリと張り詰めた空気が充満した。 「はぁ~?なにが?」 「人形、壊したの」 「ああ、あれな。手が滑ったんだよ!壊してねえから!俺の射的の腕が良すぎたんだろうなぁ!はははっ!」 「……」  ……人形?  二人の会話の意味が分からず、俺が藤也に視線を向けた時だ。  藤也が握り締めていたフォークがぐにゃりと曲がり、次の瞬間、その切っ先を幸喜に向けるようにして掴みかかっていた。 「おいっ!」  頭で状況を理解するよりも先に、体が動いていた。  幸喜に襲い掛かろうとする藤也の腕を掴み、慌てて止める。  そのまま羽交い締めにすれば、鬱陶しそうに目を細めた藤也がこちらを睨み付けた。 「……離して」 「いや、落ち着けって!なにやってんだよ!あぶねーだろ、そんなもの人に向けたら!」 「人じゃない」  そう言い切る藤也の声は芯から冷え切っている。  思わず躊躇いそうになったが、ここで藤也を離してはいけないような気がして、俺は藤也を捕まえる腕に力を込めた。 「死んでようが生きてようが人間だろ!」  腕の中で藻掻く藤也をきつく掴んだままそう怒鳴れば、僅かに腕の中の藤也の体が動きを止める。  そして、 「おー怖、殺されねえうちに退散退散っと」  タイミングを見計らったかのように、ヘラヘラと笑う幸喜は言うや否や姿を消した。  騒がしいトラブルメーカーが立ち去り、静まり返った食堂内には南波の泣き声だけが響き渡る。

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