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「……人形って、なんだ?それがどうかしたのか?」  幸喜がいなくなったのを確かめ、俺は藤也から手を離した。  二人の会話から察するに、藤也の人形を幸喜が壊したようだが、憶測だけではどうにもならない。  思い切って聞いてみるが、藤也の返事は冷たかった。 「……あんたには関係ない」  相変わらず、体温を感じさせない平坦な声。  突き放すような物言いをする藤也に、それを言われてしまえば俺はなにも言えなくなってしまうわけで。 「あんたがどんな馬鹿でも構わないけど、俺の邪魔はするな」  追い打ちを掛けるように吐き捨てる藤也の言葉は心臓のど真ん中を貫く。  余計な、お世話か。何度も言われてきた言葉だが、それでも誰かが誰かを傷付けるのを見たくなかったのだ。藤也からしてみれば、いい迷惑だったのだろう。  わかってはいたが、こうも面と面を向かって突き放されるとくるものがあるわけで。 「……」  踵を返した藤也は、そのまま空気に溶け入るように姿を消した。  呼び止めることも出来ずにただ呆然と、藤也がいなくなった空間を見つめるが、藤也が戻ってくることはなかった。 「……」 「気にしない方がいいですよ。あの二人はいつもああですから」 「雨の日は、特に」ふと、背後から柔らかい声が掛けられる。  一部始終を見ていた奈都に励まされるように軽く肩を叩かれるが、一度沈んだ気持ちは中々浮上しない。  ざあざあと吹き荒れる雨風が自分の心境を現しているようだった。  ◆ ◆ ◆ 「っ、ああぁ……っ!すみません、お手を煩わせてしまい!本当、俺なんかを助けて下さるなんて……あぁっ、もう、ほんとごめんなさい、産まれてきてごめんなさい!ありがとうございます!」 「いや、あの、わかったんで落ち着いてください」 「すっ、すみません……!この御恩は一生忘れません!」  そうどこぞの町娘のようなセリフを残し、拘束を解くなり逃げるように食堂を立ち去った南波の背中を視線で見送り、小さく息を吐く。 「……」  相変わらず屋敷の外では土砂降り模様のようで、四方から聞こえてくる叩きつけるような雨音を聞きながら俺は食堂の壁に掛かっていた時計に目を向けた。  埃被ったアンティーク時計の針はあべこべで、とっくに壊れたそれは本来の役割を果たしていない。  ただ、今がもう遅い時間というのはわかった。  ……仲吉、今日はもう来ないだろうな。  思いながら、誰もいなくなった食堂を後にした俺は素直に部屋へと戻ることにした。  ――屋敷内、通路。  自室へと向かう途中、ふと視線の先に黒い影を見付けた。その後ろ姿は見知ったもので。 「藤也」  壊れた扉の前、佇む藤也に声を掛ければ暫くの沈黙の末、藤也はこちらを振り返る。 「……なに」 「いや、別になにってわけじゃねえけど……それ」 「……」  言い掛けて、藤也の持っていたものに目がいった。  赤ん坊くらいの大きさのそれは、人の形をした縫いぐるみだと気付くのに時間は掛からなかった。  切り裂かれ、あちこち破れたそれは中身の綿がぼろぼろと溢れ、酷く痛々しい。 「さっき言ってた人形って、それのことか?」  何気なく、痛めつけられた縫いぐるみに手を伸ばした時、僅かに藤也の顔が引き攣る。  そして、俺の手を振り払うように縫いぐるみから手を放した藤也。 「準一さんには関係ない」  ぼとりと落ちる縫いぐるみ。 「あっ」と声を漏らした俺は慌てて腰を曲げ、床に落ちたそれを拾い上げる。 「そうだけど……って、おい、藤也?」  そして、それを藤也に返そうと顔を上げるが既にそこに藤也の姿はなかった。  また、逃げられた。ぽつん取り残された俺は、ぼろぼろの縫いぐるみを手にしたままどうすることも出来ず、暫くその場から動くことが出来なかった。  藤也の機嫌が悪い。  その原因がこのボロボロの縫いぐるみにあることは間違いまいだろう。  この縫いぐるみがなんなのかとか、藤也にとってどのようなものなのかもわからないが、とにかく、大切なものなのだろう。あんなに幸喜に、怒るくらいなのだから。  というわけで、俺はとある重大な決意をした。  その名も、藤也の縫いぐるみを補修しよう大作戦。  仲吉や花鶏に感化されまくっているような気がしてならないが、問題は縫いぐるみを直せるかどうかだ。  部屋へ戻り、考えをまとめた俺は再び部屋を出て、ある人の元へ向かう。  ◆ ◆ ◆ 「針と糸と布?……さて、どうでしょうね。探せば出てくるかもしれませんが、使い物になるかは期待できませんよ」 「それでもいいんで」 「わかりました。少し探して見ましょう」 「……ありがとう、ございます」  花鶏の部屋である和室にて。  のっそりと立ち上がる花鶏に、慌てて俺は頭を下げる。  本当はあまり関わりたくない相手なのだが、こういうとき一番頼りになるのはこの屋敷の持ち主と自称するくらいには屋敷に詳しい花鶏しか思い浮かばなくて、結果ここに来ることになったわけだが……。 「そんなにびくびくと震えないでください。……期待されてるのかと思うでしょう」  いくら隠したところで、この人にはなにもかも悟られてしまうらしい。  その言葉に、緊張した全身がぎくりと強張る。  なんとなく嫌なものを感じ、咄嗟に花鶏から視線を逸らす俺。 「……っ、見つけたら教えて下さい。俺も、他探してみるんで」  そして、それだけを言い残した俺は和室を飛び出した。  抱えていた縫いぐるみを振り落とさないよう、しっかりと抱きかかえたまま。 「おや。あの人形は、もしかして……」

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