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花鶏と別れた俺は、単独で縫いぐるみの補修に役立ちそうなものがないか物置部屋を漁っていた。
なにか、布か釦か裁縫道具のようなものがあればいいのだが、物置部屋にあるものは壺や花瓶などの埃被った骨董品ばかりで、目当ての物は一向に現れない。
「ふぅ……」
精神的疲労感に耐え切れず、少しだけ休憩を取ることにした俺は近くの箱の上に腰を下ろし、小さく息を吐いた。丁度、そのときだ。
「準一さん、なにか探しものですか?」
いきなり背後から掛けられた声に素で驚いた俺は「うわっ!」と飛び退いた。
そして、反射的に振り返れば、薄暗い部屋の中、薄ぼんやりと生白い奈都の姿が浮かび上がる。
「……なんだ、奈都か」
幽霊かと思った、とあほなこと言い掛けて、慌てて言葉を飲み込む俺。
現れた同居人にほっと胸を撫で下ろせば、にこりと奈都は微笑んだ。
「僕でよければお手伝いしますよ」
「いいのか?」
「はい。……僕にはこれくらいのことしか出来ませんので」
照れ臭そうに自虐的な言葉を吐き出すやつに、俺は首を横に振った。
「いや、十分嬉しいぞ」と素直に感謝すれば、奈都は安心したように破顔する。
そして、ひと通りの事情を説明した俺は奈都とともに改めて材料を探すことにした。
やはり、一人でするのと二人で探すのは違う。それともただ単に奈都の要領がいいのか。
「準一さん、こういうのでいいんですか?」
「ああ、十分だ。じゃあ、あとは……」
そう、奈都に目的のものを告げ、それを奈都が探しだしてくる。
そんなやり取りを数回繰り返していると、あっという間に使えそうな布切れが集まった。
「準一さん、針、ありましたよ」
「ありがとうございます、花鶏さん」
「いえ、お構いなく。あと、こちらが糸になります」
どれくらい時間が経っただろうか。相変わらず応接室の窓の外は黒く塗りつぶされたような雨空だが、先ほどよりかは幾分雨は小さくなっているようだ。それでも風は強いが。
テーブルの上。
奈都とともに集めた布切れの上に、花鶏は着物の袖から取り出した玉になった糸をぽんと置いた。くすんだその糸玉は僅かに赤黒い染みが滲んでいる。
まさか、と俺は顔を引き攣らせた。
「……あの、なんか血のようなもので汚れてるんですが」
「実はどの糸も使い物にならなかったので南波の筋肉いじって使えそうな繊維をちょいちょいと……」
「いっ、今すぐ返してきてください!」
さらりと悍ましいことを口にする花鶏にそう青褪めたとき、花鶏は愉快そうに喉で笑う。
「ふふ、冗談ですよ。普通の糸です」
じゃないと困る。
花鶏の場合、冗談に聞こえないから恐ろしい。
それでも南波の筋ではないとわかり、ほっと安堵しながら「ありがとうございます」とその糸玉を受け取った。
結局なんの染みかはわからないが、これだけ揃えば上等だろう。改めて、テーブルの上に揃った材料を見渡した俺はうんうんと頷く。
「じゃあ、それで全部揃ったんですね」
隣で嬉しそうに微笑む奈都にも「ああ」と頷き返した。
奈都にはいろいろ助けてもらった。というか大体の材料を見付けてきてくれたのが奈都だ。奈都の器用さに頼りっぱなしになってしまったのが癪だが、それでもまあ、これで用意は整ったわけだ。
「準一さん、貴方それを補修するつもりですか?」
不意に、そんな俺達の様子を眺めていた花鶏は、テーブルの上に置いてあるあのぬいぐるみに視線を向ける。
「そうですけど」
「なるほど。……貴方の勇気と行動力の逞しさは称賛すべきところでしょうが、準一さん、裁縫の方の腕前は如何なんですか?」
ぎくり、と痛いところを疲れた全身に緊張が走る。
鋭い問い掛けに、俺は押し黙った。
「……もしかして、準一さん、裁縫出来ないんですか?」
なにか答えなければと思うが何も言えず、そのまま無言を貫く俺に、恐る恐る奈都は尋ねてくる。
な、なんだその不信感が滲む目は。いやだって作業着とか破れた時自分で縫ってたし、ぬいぐるみだってこう、なんか適当にしてればどうにかなりそうじゃないか。
「い、いや、大丈夫だ。俺は出来る」
「なんか暗示みたいになってますけど」
「大丈夫だって、俺に任せろ!」
やると決めた今、何を言われようが引き下がるわけにはいかない。
取り上げられる前に花鶏が用意した針を手に取れば、「準一さん、針を持つ手震えてるじゃないですか」と奈都同様呆れたような顔をした花鶏は指摘する。
手が震えようが、肝心なのはぬいぐるみだ。
「いいから見ててくださいって」
そう、不安そうな二人を強引に言い包めた俺は、また二人に止められる前にぬいぐるみ補修に取り掛かる。
◆ ◆ ◆
間違えて指と布を縫い付けたりと試行錯誤すること約一時間。
ようやく、ようやくそれの破れなどを塞ぎ、取れ掛けていた腕などをつけ直すことができたのだが……。
「これは……」
「なんか、さっきよりも怨念が込められてるような悍ましさが増したような……」
「……」
テーブルの上、ちょんと座るその縫いぐるみを前にした俺たちは宛らお通夜の空気だった。
なぜだ、なぜ可愛くしてやろうとしたはずなのにこうも呪いの人形みたいな顔になっているんだ。わけがわからない。
縫いぐるみを手に取り、もしかしたら別の角度から見れば可愛いかもしれないとひっくり返したりしてみるがどの角度から見ても立派に呪いの人形していた。
……それにしても、この人形、男の子をモチーフにしてあるようだ。
てっきり女の子かと思い込んでいたが、履いている服はズボンだし、茶色い布で出来た髪も短めだし、おそらく男の子だろう。
もともとが手作りの縫いぐるみなのか、俺が補修した荒い縫い目とは別に、明らかに機械ではない縫い目がちらほらと見える。
とはいえ、素人目から見たものなので実際はどうかはわからないが。
しかし、なんで藤也がこんなものを持っているのだろうか。浮かび上がる藤也の顔が目の前の歪な縫いぐるみと重なった。
「……やっぱ、もう一回、バラしてやり直しま……」
す。
そう、覚悟を決め、顔を上げた時だった。
テーブルの前。小学生くらいの男の子がそこにいた。
向こう側の景色が見えるくらい透けた体は明らかに生きた人間のものではない。
じっと、俺を見上げているその子供の輪郭もぼやけ、そこだけノイズがかった映像のように酷く不明瞭だが、それでも辛うじてそれが人間の形をしていたからだろう。
「……おい」
全身から冷や汗が滲む。
じっと、俺の手にしていたぬいぐるみを見上げるその子供は僅かに口を動かし、拙い動きでこちらに向かって手を伸ばした。
なんで子供が。それも、俺達と同じ幽霊の子供が。……いつから?
そんな疑問が頭の中に一斉に溢れ返る。それでも、子供が求めているのが俺の手にしたぬいぐるみだと分かると、ついそれを手渡してしまう。
それを受け取った子供は、パクパクと口を動かした。
『ありがとう』
確かにそう、子供が喋った。
「……お前」
一体何者なんだ。
そう声を掛けようとした矢先、人形を抱えた子供の姿が霧のように霧散し、消えた。
「あっ、ちょ、おいっ!」
慌てて立ち上がり、呼び止めようとするが既に先ほどの子供の影はなくなっていた。
「おやおや、準一さん」
「花鶏さん、今の子供……」
笑う花鶏に恐る恐る問いかければ、不思議そうにした奈都は「子供?」と小首を傾げた。
「今人形もって行った子供だよ、小学生低学年くらいの……」
「何言ってるんですか、準一さん。人形なら準一さんが持ってるじゃないですか」
「あ?」
「疲れてるみたいですね」と苦笑する奈都に、手元に目を向ければ確かにそこには不恰好なぬいぐるみがちょんと置いてあって。
どういうことだ。今のは幻覚か?確かに今、子供がいたはずなのに。
その形跡すらない今、段々自分の記憶に自信がなくなってきた。ぬいぐるみのことばかりを考えていたせいで幻覚でも見てしまったというのか。
「……とにかく、もう一回頑張ってみましょうか。微力ながら私めも手伝わせていただきますので」
残されたぬいぐるみを見詰めたまま押し黙る俺に、そう花鶏は軽く肩を叩いてきた。
もやもやが残ったままだが、今となっては何も言えない。気を取り直した俺は、促されるがまま頷いた。
――更に数時間後。
「よし、出来た!どうだ!」
再び悪化した空の下。
ざあざあと叩きつける雨の音をBGMに、俺はようやくそれらしくなった継ぎ接ぎのぬいぐるみを掲げ、二人に見せつけた。
しかし、やはり二人の反応はあまりよくない。
「……うーん」
「まあ、先程に比べたらましですね。……顔の造形が不安定ですが」
「目と鼻と口がついてたら皆同じっすよ、こういうのは」
「はいはい、準一さんがそういうのならそうなんでしょうね」
まるで一々突っ込むのも面倒臭いというような花鶏の態度にむっとしたが、こればかりはなにも言えなくなってしまう。
それにしもなんだったんだろうか、、さっきの子供。作業中も、ずっとさっきの子供のことが頭から離れなかった。
握りしめたぬいぐるみをひっくり返したりして、他に縫うようなところがないか確認していると、ふと、胸に蟠りを感じる。
……それにしてもこのぬいぐるみ、なにかに似てるな。
明るい色のパーカーを着たそのぬいぐるみは俺の手によって魔改造され、どこぞの世紀末のような袖無しになってしまったがそれでも、明るい茶髪といい見覚えがある。
なんだったのだろうか、と考え込んでいるときだ。
「なにしてんの」
不意に、背後から聞こえてきた冷え切ったその声にぞくりと背筋が震えた。
慌てて振り返れば、そこには無表情のまま佇む藤也がそこにいた。
「藤也、あのな、これ、傷とか塞いだだけだから。変なことしてねえし。……ちょっと顔は不細工になったけど……だから、ほら……」
なぜこうも自分が動揺しなければならないのか。仏頂面の藤也を前にすれば、なんとなく調子が狂ってしまう。
きっと、藤也が何ていうか大体想像ついてしまったからだろう。
俺が手にしていたそのぬいぐるみを見つけた藤也は一瞬、驚いたように目を丸くし、そして。
「勝手なことしないでって言ったじゃん」
ほら、みろ。
眉を寄せ、不愉快そうに吐き捨てる藤也にぬいぐるみを取り上げられる。
元より藤也に返すつもりだったので、わざわざ取り返そうとはしないが、それでも、やはり、少しは喜んでくれるかもしれない。そう甘い期待を抱いていた俺は、乾いた笑いしか出てこない。
「……悪かった」
そう、謝罪を口にする俺を見兼ねた奈都は、「藤也君、そんな言い方しなくても」と悲しそうな顔をする。
奈都に咎められた藤也は何も言わない。その代わり、引っ込めた俺の手を掴んだ。
「準一さん」
責めるような強い口調で名前を呼ばれる。
目の前に曝された、傷だらけの自分の手に藤也は呆れ果てたような顔をした。
「……こんなのの傷塞ぐために、あんたが傷作ってどうすんの?馬鹿じゃないの?」
怒ったような顔をして詰ってくる藤也。
もしかして、心配してくれているのだろうか。そう思ってしまうのは俺の自惚れだけではないと思いたいが、
「……別に、これくらい大したことない」
ありがとうと感謝してもらいたいわけではない。少しでも藤也が喜んでくれたらそれでよかった。
しかし現実の藤也の反応は俺にとって痛いもので、掴まれた指先に、ずきりと鈍い刺激が走る。
それが痛みだとはわからなかったが、傷口は開き、そこから血が滲んだのを見て藤也は僅かに目を細めた。
そして、
「……お節介」
いきなり手を握られ、ぎょっと目を見開いた時。
小さく藤也の唇が動いた。
『ありがとう。』
「っ!」
先程、現れた子供の幽霊と目の前の藤也が一瞬重なり、驚いて俺は藤也を見た。
しかし、すでに手に触れていた藤也の感触はなく、藤也はぬいぐるみとともにその場から消えていた。
血が滲んでいた指の傷は、いつの間にかに塞がっていた。
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