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「……これは」
「……なあ、言ったろ?」
「ええ、まさか本当にこんなに綺麗になくなってるなんて……」
屋敷跡地前。
呆然と、目の前に広がる夜空を見上げる俺と奈都。そこにはいつもなら不気味なくらい古ぼけた洋館が聳え立っていたはずなのに。ない。
もしかしたら俺の見間違いかと思ったが、どうやら奈都も同じようで。
「と……とにかく、花鶏さんに……」
「おや、私のことをお呼びですか?」
「っ!!」
「あ、花鶏さん……」
音もなく目の前に現れた和装の美青年の姿にド肝抜かれそうになる。
目を見開く俺に、花鶏はにっこりと笑いかけてきて。
「昼間ぶりですね、準一さん」
「……ええ、まあ……っじゃなくて!どういうことなんすか、これ……っ!」
「ああ、屋敷のことですか?」
どこから取り出したのか、扇子を拡げた花鶏はそのままパタパタと自分を仰ぎ始める。
そして、一笑。
「……あれなら今、めんてなんす中、というやつです」
いつもと同じ調子で微笑む花鶏に、今度こそ俺たちはぐうの音も出なくて。
「め……メンテナンス……?」
「ちょ……あの、俺は屋敷がなくなっていることについて聞いてんすけど……」
「この屋敷も長いこと生きてますが大人数の若い男女は今でも苦手のようでしてね、恥ずかしがり屋なんですよ……彼は」
花鶏が何を言っているのか全く理解できない。というか意味が分からない。彼って誰だ。……まさか、屋敷だとは言わないだろうな。
「御二方にも経験あるのではないでしょうか、苦手なものが目の前が現れたとき、目を背けたくなるのが」
「だ……だから、消えたっていうんですか」
「彼らが帰った今、もう隠れる必要はありません。心配しなくてもすぐに帰ってきますよ」
「……ッ……ッ!」
納得がいかない。そんなのありなのか。いや、でもそれなら俺が今ここで存在してることすら現実的ではないわけであって……。
「準一さん」
そのとき、肩にポンと花鶏の手が乗せられる。
「人生、そういうこともあるんですよ」
「まあ、そうかもしれないですね……」
ってそう簡単に建物が消えてしまって納得行くか!
ツッコむのも疲れてしまい、脱力のあまり俺はその場にへたり込んでしまう。
「準一さん」と心配そうな奈都の声が聞こえたが、悪い、奈都。暫く立ち上がれそうにない。
俺が間違っているのだろうか、俺の硬い脳味噌が。
「……花鶏さん」
「どうしましたか、準一さん」
「……アンタはなんでいなくなったんですか」
あんなに人間が来ることを楽しみにしていたくせに、花鶏は仲吉の前に現れようともしなかった。
花鶏を見上げれば、細められた目がこちらを見下ろしていた。
「かく言う私にもあるのですよ」
「なにが」
「嫌いなものから目を逸らしたくなる、そんな経験が、です」
花鶏の言う嫌いなものがなんなのか、俺には見当つかなかった。
花鶏も、そのことについて詳しく話すわけでもなく、気が付けば音もなく消えていて。
そして、立ち竦む俺と奈都の目の前。瞬きを数回したとき、何事もなかったかのように洋館はあるべきところに佇んでいて。
「……」
「……」
俺と奈都が呆気にとられていると、不意に、洋館の扉が開き、そいつは現れる。というよりも、転がり出る、と言ったほうが適切かもしれない。
夜の闇の中でも目立つ明るい金髪頭。地面の上、金髪頭もとい南波は勢い良く起き上がる。
そして。
「っ、あ、あれ……?準一さん?」
「南波さん」と俺と奈都は声を揃えた。
何故だかボロボロになった南波は俺たちの姿を見るなり恐縮する。
「すっ、すみません!お恥ずかしいところを……」
「いや、それはいいんすけど……」
今、屋敷の中から出てきたよな?
姿が見えない南波と跡形もなく消えていた屋敷。
そんな屋敷の中から南波が出てきたということは、屋敷と一緒に消えていたということだろうか。
……どこに?
「あの、南波さん、今までどこにいたんすか」
「あっ、す、すみません!俺、準一さんの指示もなく動いてしまい……っ!」
「いや、あの、責めてるわけではなく……」
「あのバカ人間の気配を感じたので慌てて準一さんに知らせようと思ったんですが、このクソ屋敷、俺を閉じ込めやがったんすよ!」
「クソッ、手間取らせやがって!」と屋敷の扉を思い切り蹴りつける南波。
それを奈都は「壊れますよ」と慌てて止めている。
閉じ込める。確かにそう南波は言った。
なら、今まで南波は屋敷とともに亜空間に消えていたということか?……いやちょっと待て、亜空間ってなんだ。俺は何を言ってるんだ。そんなSFチックなことが当たり前のように起きてたまるか。
だけど、南波の言葉を信じればそういうことだ。
……もう少し、聞いてみるか。少なくとも、俺が納得出来るように。
「あの、こういうことってよくあるんすか」
思い切って尋ねてみれば、「えっ?!」と悲鳴に似た声を上げる南波。
「や、あの、確かに俺、よく勝手な行動が多いと兄貴に怒られてましたが準一さんには、俺、なるべくちゃんとしようかと……」
「い……いえ、あの、屋敷の方なんすけど」
「すっ!すみません!俺としたことが準一さんの言葉にまともに返事をすることすら出来ないド低能糞虫野郎ですみません!」
ダメだ、南波と話していると進まない。俺が何を言ったところで謝罪で返されかねない。
俺は奈都に視線で合図をすれば、奈都も理解したようだ。小さく頷き返し、南波に向き直る。
「今、南波さんが屋敷に閉じ込められている間、僕達からはこの屋敷が目に映らなかったんです。花鶏さんは意思を持った屋敷が敢えて姿を消していたと言っていたんですが……」
流石奈都、俺にもわかりやすい説明口調だ。
それでもその内容が甚だ理解出来るようなものではないが。
「それなら別に珍しいことでもねえよ。……つかいちいち俺に聞くなっての、あのカマ野郎に聞け!」
「珍しくないってことは南波さんも俺達のような目に遭ったことがあるってことですか?」
嫌がる南波には悪いが、聞けば聞くほど疑問は止まらない。思い切って尋ねてみれば、「そうなんすよ!」と打って変わって背筋を伸ばした南波は大きく頷いた。
「あの、準一さん、この屋敷だけじゃないんすよ、形が変わるのは。あのカマ野郎はあらゆる万物は本人の主観によって左右されるだとかなんたら抜かしてましたけど俺が思うにあのカマ野郎にもわかってねーんすよ、絶対!何でもかんでも小難しいこと言っとけば誤魔化せると思ってるんでしょうねえ」
ということは、南波もなにもわからないということなのだろう。それどころかいつの間にかに花鶏への文句に切り替わっている。
それよりもあまりの態度の違いに奈都の不機嫌オーラが心なしか増したような気がしないでもないが、これ以上は聞き出せそうにない。
「そうですか、すみません」と適当に話を切り上げ、俺達は南波と別れた。この後南波が花鶏に報復されないことを祈るばかりだ。
「すみません、お役に立てなくて」
「いや、こっちこそ付き合わせて悪かったな。……お前がいてくれたお陰で助かったよ」
本当、いろいろ。
ぺこりと会釈をする奈都はそのまま姿を消す。無事屋敷も戻ってきたことだし、俺も部屋に戻ろうかとした矢先だった。
早朝、屋敷前。
暗い森の中に朝日が差し込み始めた頃。
「……ん?」
花畑の前、しゃがみ込んで何かしている人影を見付けた。
陽気な鼻歌交じり、スコップを手にしたそいつの後ろ姿には見覚えがあった。幸喜だ。
「ふーん、ふん、ふ~ん」
音階が外れまくったそれは鼻歌というよりも奇妙な呻き声と称したいくらい酷い。
それよりも、なるべく幸喜と関わりたくない。
見つかる前に屋敷へ戻ろうかと思ったのだが、ざくりと大きく振り上げた幸喜のスコップが花壇に突き刺さった時。
そのスコップの先、土に埋もれたそれを見て俺は目を見開いた。
「っおい、何してんだよっ!」
泥で汚れ、スコップでズタズタに突き刺されたそれは確かに藤也が持っていたぬいぐるみで。
――ついこの間、自分が補修したものだった。
「ほあ?」
ピタリと動きを止めて幸喜はきょとんとした顔で俺を見上げる。
「どうしたんだよ、準一。そんな怖い顔しちゃってさ」
「いいから、それを退けろっ!そもそも、藤也のものだろうがそれっ!」
「は?なにが?何言ってんの準一。面白」
笑う幸喜は俺の制止も聞かずまた一突き。
かろうじて頭部と体を繋げていた布は呆気もなく分裂する。
「これは俺のだよ」
「だから、俺がどうしたって俺の勝手だろ?」そう笑う幸喜は当たり前のように、寧ろそんな俺の言葉が愚問であるかのような目で、俺を見た。
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