83 / 107

19

「お前のって……」 「そ、俺の。それをあいつが勝手に持ってってさぁ、ホント、あいつうぜーよな」  言いながら、顔面を一突き。  せっかく直したぬいぐるみが目の前にズタズタに傷付けられるというのは来るものがあって、いや、そうじゃない。  確か、これは、あの子供が……。 「……っちょっと待てよ!」  居ても立ってもいられなくて、振り上げた幸喜の腕を掴む。 「あいつって……誰だよ、藤也か?」 「藤也……あいつも勝手に俺の獲って行くもんなぁ」 「も?『も』ってことは違うのか?」  もしかして、あの子供のことを知っているのだろうか。  すぐに消えたあの子供の霊。  脳にこびり付いたまま離れないその透き通った姿を思い浮かべながら俺は幸喜に尋ねる。  だけど。 「…………つか、なに?これ俺のだって言ってんじゃん」  ふと、幸喜の表情から笑みが消える。  高揚のないその冷めた声に、細められた目に、なんとなく嫌なものを感じ、俺は戸惑う。  笑っている以外の幸喜を見たのは初めてだったから、余計。 「でも、あのぬいぐるみ、確かに子供が持って行ったぞ。小学生くらいの男の子に……」  ここで退いては本当のことを聞くチャンスを逃してしまいそうで、幸喜の中、思い切って深く立ち入ってみる。  案の定俺の言葉は幸喜にとって不快なものだったようだ。思い切り顔を歪めた幸喜は俺を睨む。 「お前かよ、あいつに渡したの……。余計なことしてんじゃねえよ……ッ!」  見たことのない怒りを露わにした幸喜に、その全身から滲み出る嫌なものに、全身が緊張する。  今まで、幸喜と藤也をあまり似ていると思ったことがなかった。  だけど、怒った時、纏う殺気はよく似ていると思った。……そんなこと、暢気に考えている場合でもないのだけれど。 「ちょっと待てっ、あいつって……ッ!」  言い掛けて、思い切り胸倉を掴まられる。  強い力に引っ張られ、目の前に幸喜の顔が迫る。首筋に、冷たいものが押し付けられた。  砂利のついたそれは先程まで花壇を抉っていたスコップの尖端で。 「……ッ」 「これは俺のだ、藤也のものでもあいつのものでもないんだよっ!」 「っ、おい……ッ」  えぐるように押し付けられる尖端を掴み、なんとか引き離そうとするが、こんな状況で、こんな状況だからだろうか、トラウマが蘇ってしまたようだ。  息が苦しくなり、尖端が触れたそこはぐずぐずになっていくのが自分でもわかる。  嫌な汗がドッと溢れた。  そんな俺を見て、確かに幸喜は笑った。 「はは……ッ!んだよ、ビビってんのかよ、準一。……可愛いよな、ホント、お前」  見開かれた光のない目。  口が裂けそうなくらいの満面の笑みを浮かべてるくせに、ちっとも笑っていないその目に、死んでまだ間もないあの夜、覆い被さってきた幸喜と重なり息が詰まる。  でも、今は違う。ある程度はこの体をコントロール出来るようになった。……なったはずだ。 「……っ、離せ……」  必死に痛みとは無縁のものを思い浮かべながら、傷口から意識を逸らす。  そして、力の限りそのスコップを持つ手を押し返せば、僅かに幸喜は驚いたような顔をして、そして笑った。 「んだよ、準一のくせに生意気じゃねえの?」  「もう、それが誰かのなんて聞かない。……だけど、一つだけ聞かせてくれ」  愉しそうに喉を鳴らして笑う幸喜は、「言ってみろよ」と挑発的に促してくる。  ヘタしたら今度こそ首を引き千切られる、そんな心配もあったがどうしても引っ掛かるのだ。だから、俺は重い口を開いた。 「どうして自分のぬいぐるみを崩すんだよ」  可笑しいことを言っているつもりはなかった。  誰かに取られて怒り狂うほどには、幸喜はこのぬいぐるみに執着しているようだった。  それなのに、なんで。 「んだよ、もう少し色気のある質問かと思ったらやっぱり準一はガキだよなー」  ゲラゲラと笑う幸喜は俺からスコップを離す。  そして、それを地面に投げ捨てた。 「そんなの、いらないからに決まってんだろ?それ以外になにがあるんだよ」 「でも、大切なものなんじゃないのか。人から奪われたら取り返すくらいには……」 「そうだよ」 「なら……」 「だから、俺の手でこうして壊してやるんだよ。大切だからな、他の奴らに奪われる前にこうして!」  そう言うなり、どこで盗んだのかライターを取り出した幸喜。  まさかと目を見開いた矢先、地面に落ちていたぬいぐるみの頭部を摘み上げた幸喜はその頭に火を着けた。  瞬間、ぬいぐるみに一気に火が広がる。  じわじわと跡形もなく炭化するぬいぐるみ。それを花壇へと投げ捨てた幸喜は咲いていた花へと燃え移る火を眺め、笑っていた。 「……っお前……」  火を消さなければ。そう思うのに、体が動かなかった。動けなかった。あまりにも理解できない幸喜の行動に。  どこからか、消え入るような子供の泣き声が聞こえたような気がしたが、それもすぐに幸喜の笑い声でわからなくなった。  結局取り返すことが出来なかった。  火の中に手を突っ込んで取り上げることも出来たはずだ。だけど、あっという間に黒くなったそれを拾い上げたところで元には戻らないとわかっていたからそうしなかった。  そんな自分が歯痒くて、目の前の幸喜がただ腹立たしくて。 「あーあ、つまんね。やっぱ爆発くらいしねーとこういうのは盛り上がんねえよなー」  なら、なんで燃やしたんだ。燃やす必要はなかったはずだ。  子供の笑顔が、藤也の顔が脳裏に浮かび上がる。  このぬいぐるみがなんなのかわからなかったが、幸喜よりかは遥かに大切にしていたのは明白で。  それを目の前で失わせてしまったと思うと、目の前が真っ白になった。 「こんな泥くせえところも飽きたし、南波さんと遊んでくるかなぁ」 「準一も一緒に遊ぼうよー」と笑い掛けてくる幸喜に、自分の中の何かがプツリと音を立ててキレるのが分かった。  正義感というほど熱い血を持ってるわけでもない、それでも許せなかった。  他人を踏み躙る幸喜が。それを止められなかった自分が。 「ッ、待てよ!」  気が付けば、幸喜の胸倉を掴んでいた。  驚くわけでもなく、いつもと変わらない笑顔の幸喜はこちらを見上げ、目を細める。 「なになに?どうしたの?そんなに怖い顔してさぁ」 「……っ」  屈託のない笑顔。茶化すようなその口振りがただ頭に来て、たくさん言いたいことはあったし幸喜に行動を改めさせたいとも思った。  けれど、いざ掴み掛かれば抵抗する様子もなければこいつは自分が悪いことをしてると思ってもいない。  それどころか、青筋立てる俺を見て不思議そうに笑うばかりで。 「……もしかして準一、俺のこと殺したいって思った?」  目を細め、笑う幸喜。からかうようなその目が、重みを感じさせない言葉が、余計神経を逆撫でしてくる。  殺したい、とは思わない。思いたくないし、けれど、こいつに苦しみを味わせたい。  人の痛みや苦しみを思い知らせたい。そう思うのは、間違っているのか。 「やってみたら?俺の首へし折ってみろよ、準一の握力なら余裕じゃねえの?」 「ほら」と、俺の手首に指を絡めてくる幸喜は笑う。  煽るようなその言葉に、行動に、余計幸喜がわからなかった。  けれど恐らく、こいつを殺そうと首を絞めたところで何も変わらない。ただ、自己嫌悪に苛まれるだけだというのは理解できた。  そう思うと、今まで脳味噌を支配していた怒りが急激に萎んでいく。次第に冷静になる頭の中、俺は目の前の青年が同じ人間だと思えなくなっていた。 「…………」  幸喜の手を振り払う。  相手にするだけ無駄なのだろう。何を言ったところで、こいつには伝わらない。  花壇の前に屈み込む。土の上、燃えカスを手にしてみるがやはり指から零れてしまいそれを拾い上げることは叶わなくて。  塗って継ぎ合わせることなど、尚更。 「おい、準一、なんだよやんねーのかよ」 「……」 「ははっ!せっかく俺がたまには準一にもやらせてあげようと思ったのにさぁ!本当、勿体無いよなぁ」 「……」  新しく人形を用意する。けれど、それでは意味がないように思えた。  藤也がファンシー趣味ではないのは明らかだし、固執していたあの人形になにかがあったということだ。  それがわかれば、少しは何かできることもあるのだろうが、あの人形を失くしてしまったと藤也に説明しなければならないことを考えると酷く億劫な気分になる。 「……おい、何無視してんだよ……っ」  仕方ない、一度屋敷に戻って藤也に話そう。  恐らく、というか間違いなく藤也は怒るだろうが、それも仕方ない。止められなかった俺にも非があるのだから。 「準一っ!」  瞬間、劈くような声が背後でした。  振り返らず、そのまま屋敷へ戻ろうと意識を集中させた矢先、腕を掴まれる。  逃走失敗。 「準一のくせに、俺を無視すんじゃねえよ……ッ!」  細い指が食い込む。目を見開いた幸喜。その顔色が僅かに青ざめていて。  怒っているというよりも、何かに怯えている。そう感じてしまった理由は自分でもわからない。  それでも、凄まじい力で腕を掴んでくる幸喜に自分の身を案じることを優先させることにした。  顔を見たらムカついて、何も話す気にすらならなくて。その代わり、思いっきり幸喜の手を振り払う。  以前は馬鹿力と思っていた幸喜の腕力を振り解けた自分に驚いたが、それほどこの体の使い方に慣れ始めたということか。喜んでる場合でもないのだけれど。 「じゅんいち……」 「触んじゃねえ!!」 「お前の顔なんて、見たくもない」無意識の内にそう言葉が出てしまう。  本心を隠す余裕も、気力もなく。  目を見開いたまま、硬直した幸喜。  何を言ってるのか理解できないのだろう、それでもどうでもいい。興味もなかった。  込み上げてくる不快感から目を逸らすように、その隙を狙って俺は幸喜の前から立ち去ろうとするが。 「ッ、待ってよ!待てってば!」  しつこく付き纏ってくる幸喜に腕を掴まれる。  その度に振り払い、やつから逃げるように足早に森の中へ向かうがそれでも幸喜は追い掛けてきて。 「準一ッ!おい!準一!準一!なんだよ、なんでマジになってんだよ。なあ、おかしいだろ?俺がムカつくんだろ?なんで何もしないんだよ?なあ、おい準一無視すんじゃねえよ!」  背後から聞こえてくる縋り付くような声を必死に無視し、脚を進める。  マジになってるのはどちらというのか。  だけど、構わず歩いているとその声も次第に遠くなり、気づいた時には幸喜の声は聞こえなくなっていた。

ともだちにシェアしよう!