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 部屋の配置は以前と変わりない。  部屋の奥、壁にくっつくようにして配置された子供用のベッドと、その隣においてある小さな机。  その机にはいくつか引き出しも取り付けられている。  どちらも薄汚れてはいるが、アンティークと呼べるほどのものでもない。  リサイクルショップで特価で並んでいても違和感のないくらいのそれに、ここの部屋の持ち主を想像してみる。恐らく俺が生まれる前くらいの子供だろう。  性別はわからない。  けれど、と机の前にやってきた俺は引き出しを開けた。  入っていたのは端切れだった。  黒、茶色、赤、肌色、オレンジ。フェルト生地のそれには見覚えがあった。藤也の持っていた人形だ。  全て、あの人形を形成していた端切れと一致する。  ということは。  あの時の少年の姿が脳裏を過る。  俺は他の引き出しも開いた。 『初めてのフェルト人形』という手芸に関する本が出てきた。何度も読んだのだろう。ヨレヨレになったその本はとあるページにのみ折り目が付けられていて、ページを開いた俺は確信する。  そのページはあの人形と同じぬいぐるみの作り方が書かれていた。  完成図の写真には、色は違えど同じ型の男の子の人形が写っていた。 「……」  ということは、やはりここはあの少年の部屋だということか。  でも、それがわかったところでどうしようもない。  他に、なにかないだろうか。俺はその下の引き出しに手を伸ばした。  今思えば、この時点で止めておけばよかったと思う。  ここから先は誰のことも関係ない、俺の好奇心による行動だ。  あの少年のことが知りたい。  藤也たちがあの人形に固執する訳を、知りたい。  そう掻き立てられてしまった俺のエゴだ。  頭では理解できていても、自分を止めることが出来なかった。 「……これ、は」  一番大きな最下部の引き出しには、教科書や色々なものが詰め込まれていた。  それ全てを取り出し、机の上に広げる。  教科書やノート、その名前欄にはどれも同じ名前が記入されていた。 『嘉村義人』……カムラヨシト。  詰め込まれた教科書から推測するに学年は中学二年生。  だけど、待てよ。俺の現れたあの少年が嘉村義人だとすれば、おかしい。あいつはどうみても小学生、それも低学年だ。到底中学生には見えなかった。  俺の考え方が間違っているのか、それとも他に何かを見落としているのか。もう一度引き出しの中身を探る。  修学旅行の栞、小学校の頃の卒業アルバム、そして教科書。  特にひっ掛かるものはなかった、けれどこれを見れば一番早い。俺は卒業アルバムを手に取る。  あまり開いていないようだ、小綺麗なそれの表紙に目を向ける。約二十年前のもののようだ。  となると、卒業した時点で十二歳だから今は……。  そこまで考えて思考停止する。ここにこれがあるということからして今の年齢は考えるだけ無駄だ。  俺は嘉村義人の写真を探す。  結論から言えば、嘉村義人の写真はすぐに見つかった。  けれど、肝心の顔の部分の色が薄くなっていて見えない。  辛うじて輪郭がわかるが、顔の造形などは全くわからなくて。  それよりも、気になるものを見付けた。  嘉村義人と同じクラスメートたちの顔写真がずらりと並ぶ中、二人の男子生徒に目を向ける。 『伊塚幸喜』と『北条藤也』。  顔写真は昔のものとは言えパーツから全て違うし、恐らく他人だろう。それにあいつらは双子だ、苗字が違うのも不自然だ。  けれど、それをただの偶然と片付けることが出来なかった。  どういうことなのだろうか、これは。  胸がざわつく。まるで自分が見てはいけないものを見てしまったかのような、そんな不安感が足元から襲ってきて。  笑顔で取っ付きやすそうな伊塚幸喜とは対照的に、北条藤也は冷たそうな雰囲気のする少年だった。顔そのものは違えど、雰囲気は二人によく似ていて。  余計、嘉村義人と二人の関係性がわからない。それ以上に、どうして嘉村義人の写真だけこんなに消えかけているのか。  顔写真、古くなったからとだけでは片付けようのない不自然なそれに指を伸ばした時。 「……やっぱり、手遅れだったな」  すぐ耳元で聞こえてきたその声に全身が跳ね上がる。咄嗟に振り返ろうとしたが、岩のように体が動かない。  掴まれているわけではない。けれど、自分の体の上に重く何かがのしかかってきているのだけはわかった。 「と、うや……?」 「準一さん、わざわざ見つけ出してくれたみたいだね。……ありかとう」  そう藤也に机の上に広げた卒業アルバムを取り上げられる。  咄嗟に取り返そうとするが、指先一本一本が鉛のように重くなり、動けなくなる。  なにかが異常だ。こびりついて離れない、この身に付き纏ううざったい感覚は恐怖によく似ている。  息が苦しい。 「だけど、気安く同調しすぎるのはよくない。……習わなかった?」  同調。確かに藤也はそういった。誰が、なにに。  声を上げ、聞き返そうとするが酸素を吸う度に穴という穴から水が流れ込んでくるようなそんな錯覚を覚える。溺れる。 「間抜け面」  こちらを見下ろしていた藤也はそう小さく吐き捨てる。  伸びてきた手に首根っこを掴まれ、無理矢理床へ放られる。  ろくに受け身もとることが出来ず、けれど、痛みも衝撃もなかった。  その代わり、体が軽くなる。否、全身に付き纏っていたなにかが引き剥がれたようなそんな感覚が襲ってきて。  その時だ、 『うわあああん!痛いよおお!』  すぐ傍で聞こえてきた泣き声に驚いて飛び上がる。  俺が振り返るよりも早く、藤也が動くのが早かった。俺のすぐ背後、いつの間にかに移動していた藤也は思いっきり床の上のなにかを踏みつける。それはこの間見た子供、いや、幼い嘉村義人で。 「おい、藤也、お前何して……ッ」 「同情するなよ、準一さん。優しくするな。依代が無くなったんだろ?……アンタが食われるぞ」 「な、なに……言って……」  意味がわからない。けれど、目の前で行われる幼児虐待を見過ごすことなんて出来なくて。 『嫌だ、助けて、助けてお母さんっ』 「藤也、止めろッ」 「うるさい!アンタには関係ないだろ!」  藤也が怒鳴ったことにも驚いたが、それ以上に、藤也の口からその言葉が聞けたことにより俺は確信する。 「……お前、そいつのこと知ってるのか?」  嘉村義人との関係を、藤也は認めた。  恐る恐る尋ねれば、押し黙る藤也は服の中から何かを取り出す。  それはカエルの死骸のようで。 「……すぐに取り戻すから、少しそれで我慢しろ」  その言葉が俺ではなく、嘉村義人に吐き出されたものだとすぐに気付く。  瞬間、藤也の下にあった嘉村義人の体は消え、その代わり、ひっくり返ったままぐったりとしていたカエルが動き出したときは目を疑った。 「藤也……今のって……っ」 「義人はあんたらでいうとこの死にかけ。……だから、他人から生気を奪うことで辛うじて姿を現す事が出来る」 「それって」 「悪霊。……コイツ自身それほどの力はないからどうでもいいんだけど。俺も、最近知ったばかりだったから」 「コイツがまだ生きてるって」そう呟く藤也はカエルを手に取る。  緊張していたカエルだったが、藤也に撫でられると心地よさそうに寛いでいた。  正直俺は虫や爬虫類が駄目なのだが、今はそんなことで驚いている場合ではない。 「ちょっと待てよ、依代って、まさか……あのぬいぐるみか?」 「そうだな。……だけど、あいつが壊したんだろう?」 「……っ、悪い」 「別にいい。あいつが考えることはわかるから。でも、あんたも一緒にいたお陰で一緒に燃え尽きずには済んだ」 「は?」 「……そう、義人が言ってる。ありがとうって」 「お人好し」と小さく唇が動く。  それは恐らく、嘉村義人の言葉ではないのだろうが。  燃え尽きずにってことは、あの時点で既に嘉村義人は俺に憑いていたというこだろうか。  そう考えると余計頭が混乱したけど、それでも、助けることが出来たのなら。 「……そうか」  よかった。  そう言っていいものかはわからない。けれど、多分、よかったのだろう。  ありがとうと言われるほどのことはしてないが、素直に受け取ることにする。 「なあ……藤也、お前とその、義人って……なんだ?」   他に言いようがなかったのかと自分でも思ったが、ないのだ。  単刀直入に尋ねてみれば、藤也は押し黙る。  なにかまずいことでも聞いてしまったのだろうか。  そう思った時だ。 「義人は、俺の……俺達の親だよ」 「…………はっ?!」 「………………」 「お、親……?」  ゲコ、と喉を鳴らす嘉村義人と目の前の藤也を見比べれば、藤也は面倒臭そうに「文句ある」と吐き捨てる。  いや、文句はないが、随分とお若いお父さんで……。  と口ごもっていた矢先だ。  何かが砕け散るような、凄まじい破壊音が屋敷内に響き渡る。  それは下の階の方からだった。 「今のって……」 「…………あの馬鹿が」 「は?……って、おい!藤也!」  肝心なことも聞き出せていないというのに、物音に反応した藤也はカエルもとい義人を机に乗せるなりそのまま部屋を飛び出す。  追い掛けようか迷ったとき、曇った眼でこちらを見詰めてくる義人と目があった。  ちなみに俺は爬虫類が嫌いだ。  半ば義人から逃げるように藤也の後を追い掛けることにする。

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