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 先程の凄まじい物音の正体はすぐにわかった。  ロビー。天井に吊り下げられていた豪奢なシャンデリアはワイヤーごとぶった切られて落下している。しかし、前回のようにその下に血まみれの幸喜はいない。  その代わりに……。 「な……南波さん、大丈夫ですかっ!」  佇む藤也の正面、全身ガラスの破片突き刺さってだらだら出血している南波に普通にビックリした。  それはやつも同じのようで。 「うっ、す、すみません!すみません!こんなお見苦しい姿を準一さんに……!」 「いっ、いや、そうじゃなくて……めっちゃなんか血が……」 「俺は全然大丈夫っすから!俺の心配までして下さりありがとうございます!すみません!ごめんなさい!シャンデリアも避けられない恥さらしですみません!」  どうやら今回シャンデリアの餌食になったのは南波のようだ。  それにしても出血しながらも痛くないという南波の精神力というかタフさには驚くが……今はそんなことに感心している場合ではないのだろう。 「おい藤也!てめえあの糞ガキどうにかしろ!いきなり俺の通行邪魔するとはどういう教育してんだよ!ぁあ?!」 「……幸喜はどこに行った?」 「あ?知らねえよ!この先の通路走ってたけど食堂にでもいるんじゃねえのか?」  藤也に凄まれ答える南波。  礼も言わずにそのまま通路へと向かう藤也。 「おいっ!てめえお礼ぐらい……」 「南波さん、お大事に」 「ああぁ、ありがとうございます準一さん!!これくらいの傷一秒で治してみせますので!!」 「お、おう……」  相変わらずコロコロ表情が変わる南波に戸惑わずにはいられないが、目を合わせただけでガタガタ震えていた頃に比べれば進歩だろう。それでも未だろくに目を合わせて一定の距離を空けなければ会話にならないのだから素直に喜ぶべきか謎だが。  というわけで、南波が回復してる隙を狙って俺も藤也の後を追い掛けたのだけれど。  食堂へと向かう途中、何かが陶器のようなものが砕けるような音が聞こえてくる。  嫌な予感がしながらも足を止めない藤也の後に続き、食堂までやってきた俺を迎えたのは砕け散った陶器の破片の上、座り込む花鶏だった。 「ああ……これはこの世に十二枚しかないスープ皿でしたのに……ああ……また尊い命が犠牲に……」  食堂には一人しくしくとわざとらしく泣き真似をする花鶏の姿しかなかった。  どうやらここも既に幸喜が去った後のようで。  恐らくこの砕け散った食器たちも幸喜の仕業なのだろう。食堂内は目の当てられない有り様になっていた。 「花鶏さん、幸喜は」 「この状況で皿のことに突っ込もうともしない藤也のこと、私は嫌いではないですよ」 「……」 「幸喜なら階段を上がっていきましたよ。あの方向には確か客室があるはずですが……」  そう花鶏が言い終わる前に、藤也は食堂を後にした。凄まじい速さだった。  続けて俺も出ていこうとした矢先だ、音もなく目の前に現れた花鶏に行く手を塞がれてしまう。 「あの、花鶏さん、今急いでんすけど」 「私はともかく皿の心配もしてくれないのですか、準一さんは……。悲しいですね、南波はあんなに心配していたというのに……」 「なんで知って……」 「藤也と一緒にいるお陰で感化されたのですか?ああ、これだから影響受けやすい若者は」  どうやら何も突っ込まない俺の態度が気に入らないらしい。  そんなことしてる場合ではないのだが、このままでは本当に出遅れてしまう。  というかまじでなんで知っているんだ。天井や壁に耳でも付いているのか。あながち有り得なくもないので余計怖いんだが。 「だ……大丈夫ですか」 「おや、皿よりも私のことを気にかけてくれるのですね。私はご覧と通り」  そう笑顔を浮かべる花鶏になんだか脱力してしまいそうになるが、これで文句はないはずだ。 「そうですか」とだけ言い残し、さっさと食堂を出ていこうとするが伸ばされた花鶏の腕にまた遮られて。 「ですが、あまり幸喜の状態がよろしくないようです。……準一さん、貴方何かしましたか?」  変わらない笑みを浮かべたままそう尋ねてくる花鶏。  その細められた目が、視線が、絡み付いてくる。  心当たりが動揺となって現れてしまったのだろう、押し黙る俺に花鶏は距離を詰めてきて。 「よろしければ教えて下さい」 「あの子と貴方の間に何があったのか」真正面、至近距離、後ずさる俺に鼻先を近づけてきた花鶏は静かにそう口にする。  こんなところで時間潰している場合ではないのだが、花鶏の細く長い指に肩を掴まれ、とうとう逃げられなくなる。 「なに、ほんの好奇心ですよ。あんなに狼狽える幸喜は初めて見たので今後の参考にしたいんです」  なので、そんなに怯えないで下さい。  そう耳元で笑う花鶏の声がやけにうるさく鼓膜に響いた。 「参考にって……あんた……っ」  数十分前、最後に見た幸喜の顔を思い出す。  幸喜の奇行が俺のせいだと言われているようで、実際そうなのだろうが面白半分で指摘されて愉快なわけがない。  咄嗟に、花鶏の腕を振り払おうとする。けれど、下手したら幸喜の手よりもか細いその手は絡み付いて離れない。  それどころか、 「それとも、お二人だけの秘密にするつもりですか?……つれない方ですね」  何をそんなに知りたがっているのかわからない。  それよりも。 「これは……俺とあいつの問題だ、あんたには関係ない」  花鶏の目が笑っていない。得体の知れないなにかが目の奥で揺らいだのが見え、寒気が走る。  だからか、絶対に花鶏には話したくない。その一心が、俺を意固地にさせた。 「おや……もしや、この間のことまだ根に持ってるんですか」 「あっ……あれは関係ない!」 「そんなこと言って、先程から私が動く度に筋が緊張しているの気づいてますか?」  これは誘導だ。関係のない話で狼狽させて付け込む気なのだ。花鶏の汚いやり口にはそろそろ慣れてきた。……と思う。  上の階からなにかが叩き割られるような音が聞こえてくる。  そうだ、こんなところで花鶏に足取られている場合ではない。 「……花鶏さん、放して下さい」 「ようやく話す気になりましたか?」  あまり、実力行使に出たくはなかった。  けれど、今は一分一秒すら惜しくて。  念じる。具体的なことは念じなかったけれど、それでも花鶏を止めるために俺は強く念じる。 「話しません」  そう言い切ったと同時に、ピシリと音を立て足元に散らばった白い破片たちが小さく動くのを俺は見た。  その音に花鶏も気付いたようだ、その視線が俺から離れた瞬間だった。  ざあ、と。一斉に浮かび上がった破片たちはその鋭い先端を花鶏に向けた。 「これは……また面妖な。準一さん、こんなことも出来るようになったのですか」  正直、俺も自分で驚いてる。  こんな化物染みた能力を使えるようになったことと、想像以上の疲労感に。 「……花鶏さん、早く退いて下さい」  でなければ、これ以上この破片を空中に止めていられる自信がない。  苛つきと疲労で青褪める俺に花鶏は笑う。 「これは貴方に対して考え改めなければなりませんね」と、静かに。

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