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 花鶏に捕まったお陰で紆余曲折あったもののなんとか食堂を出ることが出来た、が。 「は……っ、糞……ッ」  慣れない力を使ったせいで精神力は低迷、おまけに時間まで盛大なロスだ。全部花鶏のせいだ。恨んでやる。  上の階へと瞬間移動する気力すら残っていない俺はなんかもうそれこそゾンビのように廊下を歩いていた。  そして、ようやくやってきた二階。  薄暗く静まり返ったそこには藤也たちの声どころか気配すらなくて。  さっきの物音は俺の部屋がある方だよな……。  嫌な予感を覚えながらも、体を引き摺るように廊下を進む。  壁に飾られた絵画は根こそぎ額縁ごとぶち破られ、捨てられていた。  やけに生暖かい風が吹いていると思えば窓も割られ突き抜けになっているでないか。  先程の嫌な予感は着々と俺の中で肥大していく。  足音は聞こえない。  やはり、人の気配も――。 「……準一さん」 「うおっ!!」  いきなり背後から藤也の声が聞こえてきた。  飛び上がるように振り返れば、そこには先程まで歩いてきた薄暗い廊下が続いてるばかりで。  藤也の姿はない。  けれど、確かに今名前を呼ばれたはずだ。  ……傍で。 「藤也……?藤也?」  手探りで探す。けれど、宙を掠めるばかりで藤也らしき感触はなくて。  胸の奥がざわつく。  聞き間違いか?いや、そんなはずはない。  そんなはず……ないはずだ。 「藤也!」  もう一度、声を上げて藤也の名前を呼んだ時。  ずるりと、空気の一部が動くのを身で感じた。  そして、足元。爪先になにかがぶつかった。  咄嗟に視線を落とした俺は、そこに転がっていたものを見て目を見開いた。 「…………藤也……?」  半透明、寧ろ透明に近いそれは目で見ただけでは見落としてしまいそうなほど存在感がなくて。  それでも、ちゃんと今、俺に触れた。  それだけでこれが藤也だというのはすぐにわかった。単純な話、ただの直感だ。 「藤也?おい、どうした、お前藤也だよな?」  最早自分で何を言っているのかわからないまま、しゃがみ込んだ俺は藤也らしいそれに触れる。  確かに、感触はあった。  それに、差し出した手を握り返してくれたんだ。だから、間違いない。藤也だ。 「……準一さん」 「っ!藤也、お前どうしてこんな……」 「悪いけど、説明してる余裕ないから」  油断していたら聞き逃してしまいそうなほどの細い声。  それでも「貸して」と藤也が俺の手を握り締めてきたのがわかった。  そして、何を、と言い掛けた時だった。 「……ッ!!」  どくん、と全身脈打つ。  触れ合った手に引っ張られそうになって、咄嗟に藤也の手を握り返した。  けれど、引っ張ってくる力は変わらなくて。 「……ぅ、ぐ……っ」 「……あんたも、死にかけじゃん」  どういう意味だ。  言葉にしがたい息苦しさに堪らず顔を顰めた時、藤也の手が離れる。  顔を上げればそこには藤也がいて。  今度は透き通ってはいない、けれど、いつもよりも顔色が悪い藤也はいつの日かの奈都を彷彿させる。  藤也の手が離れた瞬間、今までの息苦しさは消え失せた。  その代わり、先程よりも疲労感が増していて。 「藤也、何があったんだよ……」 「…………」 「藤也」 「……精神体は影響されやすく、それを自分へ取り込み自分の生命力へとすることができる」  ぽつりと妙なことを口走る藤也に「は?」と聞き返せば、藤也は「前に花鶏さんが言っていた」と呟いた。 「……だから、俺たちは今みたいにして、食べてきたよ。色々。……じゃないと、俺たちはあんたたちみたいな生存本能はないから産み出すことは出来ない」 「ちょっ……ちょっと待て、話が見えないんだけど。取り敢えず、幸喜にやられたのか?大丈夫なのか?」 「……俺は、どうでもいい。けれど、あいつは、義人も食うつもりだ」 「食うって……」 「隙を見せたら取り込まれる」  今みたいに、という藤也の言葉に今の謎の感覚を思い出す。  何かに強く引っ張られるような、そして解放された後どっと襲いかかってくる疲労感。  藤也は俺の精神力を食ったということか?  握られた掌を見詰める。見た目は変わらないが、それでも腕を引き千切られたかのような感覚がまだ拭い切れなくて。 「っ……って、義人が狙われてるってことは、あいつあの部屋に……?」 「今のあいつには……近寄らない方がいい。あんたも食われる」  そう言って、ゆっくりと立ち上がる藤也は肩を鳴らす。  そのまま体を引き摺るように歩き出す藤也に、堪らず「待てよ」と呼び止めた。 「お前、その、食われたってことは相当危ないんじゃないのか?そんなんで行ったら……」 「俺は別にいい、けど、義人まで食われるのは……まずい」  義人を親だと藤也は言った。  ということは、幸喜の親でもあるということだ。  何故幸喜がそんなことを、いや、そもそも精神力を産み出すことが出来ないというのはどういうことだ。  疑問は尽きない。けれど、今このまま藤也を幸喜の元へ向かわせるのが得策ではないというのはわかった。 「藤也、待てよ」 「……退いて」 「俺が行く」  そう、口にした時、鬱陶しそうに細められた目が俺を捉えた。  呆れたような、冷たい目。 「……準一さん」 「その、幸喜に見つかる前に義人を助ければいいんだろ?それなら俺にも出来る!」 「…………あんた、馬鹿だろ」  何度目だろうか、こうして藤也に呆れられるのは。  段々慣れてきた。  それでもやっぱり、辛うじて姿を現している藤也よりも体力が残っている自信はある。  それなら、俺が行くべきだ。 「馬鹿でもいいから、お前は座ってろ。やばいんだろ?……相当」 「……これは、俺達の問題だ」 「俺の問題でもあるんだよ」  幸喜を無視した。伸ばされた手を振り払った。  それほど頭に来ていたのも事実だし、義人に同情して憑かれたのも自己責任だ。  既に無関係を貫くには俺はこの件に関して足を突っ込みすぎていたのだ。  しかし、何を言ったところで藤也が認めるとは思わなかった。  だから、俺は先手を打つ。 「とにかく、ここで待ってろ。すぐに義人を連れてくるから……いいな?」 「準一さ……」  藤也が何かを言いかける前に、俺は藤也を残して廊下を歩いていく。  今の藤也ならどこかで補給でもしない限り歩くのがやっとなはずだ。俺に追いつくことは勿論転移も出来ない。  だから、俺は藤也の罵倒冷笑が飛んでくる前にあの子供部屋に向かって駆け出していた。  俺達は精神力を産み出すことができる、と藤也は言っていた。  それは本当なのだろう。先程虫の息そのものだったが、今では走ることも苦ではない。  恐らく、いち早く義人を見つけ出すという目標があるからか。  いつもに比べ、自分が生き生きとしているのがわかった。……生きてはいないが。

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