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03
「すみません、捕まえたんですがカメラをどっかで置いてきていたみたいで……」
「ああ……それなら……」
藤也が、と言い掛けた時。
「これのこと?」
カメラを手にした藤也が、それを奈都に見せた。
まさか藤也が持っているとは思ってもいなかったようだ。俺にとってはあの幸喜を捕まえることが出来た奈都にびっくりだが。
案の定、状況が飲み込めず驚いた顔をする奈都。
「え?……あれ?」
「悪い奈都、実はさっき藤也が見つけてくれて……」
「あぁ……そうでしたか、それなら良かったです」
安心したかのように胸を撫で下ろし、奈都は笑う。
「それで、藤也君は何を撮ってるんですか?」
「蝶……だけど」
「蝶?」
目を丸くする奈都はひらひらと宙を舞うそれを一瞥し、形容し難い表情を浮かべた。
「えっと……それ、蛾じゃありませんか?」
その奈都の指摘につい噴き出しそうになる。
なるほど、先程からの違和感はこれだったのか。
奈都の言葉に、押し黙っていた藤也はカメラを握り締めたまま「蝶」と強く言った。
「蝶だから、これ」
「そ……そうですか……」
頑固な藤也の性格は奈都も把握しているようで、それ以上言わない奈都だがやはり奈都の言う通りどう見ても蛾にしか見えない。というか蛾だ。
「おい、あんま蛾に近付けんなよ」
「蛾じゃない」
「いや蛾だろそれ」
「蝶だから。……節穴」
「ふ……節穴……っ」
「ま、まあ、二人とも……」
俺が間違っているのか、いや、藤也の意地っぱりもなかなかだ。
なぜこうも罵倒されなければならないのかと考えた矢先だった。
「藤也の目で蝶に見えるなら蝶でしょうし、準一さんたちもまた蛾に見えるならそれは蛾なのでしょう」
どこからともなく聞こえてきた、柔らかい声。
音も立てずに現れる神出鬼没な連中にはまだ慣れることはないだろう。
「花鶏さん、居たんですか」
廊下の奥、振り返った奈都は言う。
釣られるように視線を向ければそこには花鶏が立っていて。
目が合えば、花鶏は嬉しそうに目を細めた。
「ええ、楽しそうな声が聞こえたのでつい来ちゃいました」
まるでアポ無しで家にやってきた恋人かなにかのようにお茶目なことを言う花鶏だが俺からしてみれば質が悪い以外の何者でもない。
それよりも、花鶏の言葉が気になった。
「それって……どういう意味ですか」
「どうもこうもそのままの意味ですよ。目に映るものは自分の見たいもの。時には同じものでも視点主によって大きく姿を変えたりもします」
見たいもの、と言われなんとなく幻覚を連想する。
どうも、花鶏の言葉は抽象的で分かりにくい。
疑問符を浮かべる俺に、花鶏はふっと笑った。
「貴方の存在も同じではありませんか。貴方のことをよく知る仲吉さんから見れば準一さんは気の置けるご友人かもしれませんが全くの赤の他人からしてみればただ目付きが悪く威圧的な御仁」
なるほど、と納得し掛けたが普通に馬鹿にされていることに気付きムッとする。
「誰が……」
目付きも態度も愛想も悪いやつだ。と反論しようとした矢先、伸びてきた花鶏の指先が顎に触れる。
「はたまた私から見てみればちょっとばかり凶暴な誂い甲斐のある仔犬かもしれません」
瞬間、微笑む花鶏に全身に鳥肌。脊髄反射で花鶏の手を振り払えば、「おや」と花鶏は笑いながら手を押さえる……フリをした。
「そんなに怒らずとも……冗談ですよ」
「花鶏さんの冗談は質が悪いんですよ」
「これは失敬」
全く反省の色を見せない花鶏に俺は何も言えなくなる。
どうも、ダメだ。花鶏にまでアレルギー反応が出ている。あんなことがあったのだから無理もないと言えばそうなのだが、南波もこういう感じなのだろうか。
やつが男嫌いになる気持ちが分かったような気がする。
もっとも、理由は違うのだろうが。
「でも、それじゃあこの蛾……蝶は僕達と同じってことですか?」
ギスギスし始める俺に気付いたようだ、咄嗟に奈都が話題を変えようとしてくれた。さり気なく蛾とか言ってっけど。
そして、奈都の質問に花鶏は満面の笑みを浮かべた。
「いえ、それはただの蛾でしょうね。そもそもこんな時間に彷徨いているのは蛾くらいですよ」
「…………」
「…………」
「…………」
そっと藤也がカメラを下ろしていたのを見て噴き出しそうになったが、我慢だ。
「なら最初からそれだけ言えばいいじゃないですか」
人を仔犬だとか目つき悪いだとかボロクソ言いやがってと案に責めれば、花鶏は悪びれた様子もなく「ふふ、失礼しました」と笑うばかりで。
そして蛾を追い掛けるのをやめた藤也の元へ歩み寄る花鶏。
「藤也、何かいいものは撮れましたか?」
「あんたには見せない」
「反抗期ですか貴方」
宛ら珍しい蝶でも見つけたと思っていたのだろう、蛾だという事実を突き付けられた藤也はいつも以上にぶっきらぼうになっていた。
それにしても、先程の花鶏の言葉が引っ掛かった。
視点主によって見るものが変わる。ただ人を誂うためだけにあの話をしたのだろうが、俺にとっては気になる話だった。
仲吉の言っていた花鶏たちを映したという心霊写真。
概念だけで存在する俺たち。
お互いに同じ気持ちを持っていることで可能になる以心伝心。
全く関係のない話のようには思えなかった。
「散歩……どころじゃなくなってしまいましたね」
考え込んでいると、申し訳なさそうに奈都は呟く。
どうやら俺のことを気にしてくれているようだ。
「……いや、そんなことないだろ」
楽しみにしてくれている奈都の気持ちを無碍にするわけにはいかない。
「藤也、ちょっとカメラ良いか。奈都と一緒に外回ってくるから」
「え?」
「……奈都と?」
「ああ、また後で返してやるから」
相変わらず表情の変化しない藤也だったが、少しだけつまらなさそうにして「ん」とカメラを手渡してくる。
どこかの誰かさんと違い、横取りしないやつなので有り難いがそれよりも奈都の方が狼狽えだして。
「準一さん、別に無理して僕に合わせなくてもいいんですよ」
「別に無理してねえよ。俺がちょっと外の空気吸いたいだけだから」
そう答えれば、少しだけ何か言いたそうにしていた奈都だったが納得してくれたようだ。
「わかりました」と静かに頷く奈都。
その横顔は心なしか嬉しそうに見えて、俺は「おう」とだけ頷き返した。
「おや、散策ですか。いいですね、では私もご一緒して……」
「俺は奈都と行ってくるので」
「着いてくるなと」
ここはハッキリいわないと絶対茶々を入れてくるのは目に見えている。
「はい」と即答すれば、笑顔のまま一時停止した花鶏だったがすぐに分かりやすい泣き真似を始める。
「あの素直でなんでも鵜呑みにしていた準一さんがここまで捻くれてしまうとは嘆かわしいことですね。……仕方ありません、藤也、フラれた者同士仲良くしましょうか」
「一緒にしないでくれる?」
そして藤也にまで振られていた。
ちょっと可哀想にも思えたが、ここ最近の花鶏の仕打ちを思い出せば相手をする気にもなれなくて。
「……それじゃ、いいか?」
そう、奈都に向き直る。
少しだけ驚いたような顔をして、奈都は微笑んだ。
「……はい、僕で良かったらどこまでも付き合わせていただきます」
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