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 どれくらい経った頃だろうか。遠くから幸喜の笑い声と何かが倒れるような音が聞こえてくる。 「また何か遊んでるみたいですね、幸喜たちは。……全く」 「大丈夫ですか?結構すごい音がしたんですけど」 「ああ、お気になさらず。ですが、念のため様子を見てきますね」  そう言って席を立つ花鶏。  毎度のことながら、こういう時ばかりは花鶏に同情せずにはいられない。  様子が気になったが、花鶏が来なくていいと言ってるのだから言葉に甘えておくことにする。  出ていく花鶏。扉が閉まるのを尻目に確認し、俺は奈都に目線を向けた。 「……本当に騒がしいですね」  扉の外から聞こえてくる物音に、眉根を寄せた奈都はうんざりした様子で呟く。  幸喜のことをよく思っていない奈都からしてみたら目障りで仕方ないのだろう。  言葉の端々でそれが伺え、俺は苦笑いすることしか出来なかった。  なんとなく空気が悪くなってしまい、それを変えるために俺は「そういや奈都」と徐ろに切り出す。 「ずっと気になってたんだけど、お前っていつも何してるんだ」 「……僕、ですか?」 「ええと、や、変な意図はないんだけど……こうも雨が降ってたらやることって限られてくるじゃん。他の皆は何して過ごしてんだろうなって思って……」  無難な話題を選んだつもりだったのだが、もしかしたら余計な詮索だったかもしれない。  少しだけ、奈都が返答に困っているのが分かり、「悪かったな、変なこと聞いて」と慌てて止めようとするが「いえ、大丈夫ですよ」と慌てて奈都は首を横に振る。 「そうですね……準一さんになら……」  少し迷っていた奈都は何かを決意したかのように一人頷いた。  そして、コートのポケットから革の手帳を取り出す。 「……?見ていいのか?」 「ええ、どうぞ。あまり、人に見せられるようなものではありませんが」  そう、どこか恥ずかしそうにする奈都からメモ帳を受け取る。よく使い込まれているようだ、手によく馴染むその手帳をパラパラと捲る。  既に全部のページに書き込まれているようで、空いたスペースもないくらいに走り書きされたページもあれば大きく何かの図が書かれたページもあった。  適当に目についたページの一文に目を向ければ、そこにはこの屋敷のことについて書かれている。 『電気は通っていないが、火はある。』『壊れていたはずの屋敷の一部が数時間後には元通りになっていた。誰もそのことに触れない。』等、見る限り、奈都がここに来てからのことを書いているらしい。  何かの図と思っていたそれも屋敷の間取りだったり森の中の地図だったりで、何がどこにあるのか細かく記されている。 「……これって……っ!」 「少しでも何かの手掛かりになるように、僕は出来る範囲で色々調べていました。……すみません、汚い字で。読みにくいですよね」 「い、いや、全然そんなことねーよ。つーか、寧ろよくここまで調べれたな……」  たまに姿が見えないと思っていたら、人目を忍んでこの屋敷や森を調べていたということか。それ程までにここから出たかったのだろうと思うと胸が痛んだが、それ以上に、奈都同様にここから出たい俺からしてみればその手帳は興味深いもので。 「褒めすぎですよ。全然手掛かりは掴めないしこの屋敷の実態も分かっていません。おまけに、記入する場所もインクも無くなってきて最近はあまり書くことも出来ませんでしたからね」 「そうか……紙とペンか……」  幸喜と藤也が持っていたような気がするが、藤也はともかく奈都が幸喜に借りれるとは思えない。  仲吉に頼めば、と思ったが、やすやすとあいつを利用する真似もしたくないとついさっき考えたばかりだ。  何か代用できるものがあればいいのだが、と自分の服の中を探ってみるが元々ここに来るときに仲吉の車の中に荷物置きっぱなしだったしズボンのポケットに入ってるものといえば飲み物買った時に突っ込んだお釣りの小銭とレシートくらいだ。  唸る俺に、奈都は微笑む。 「大丈夫ですよ。そんなに気を使わなくても。メモしなくても、一応記憶力には自信があるんで」 「……そうか」  奈都はそういうが、あったに越したことはないだろう。  しかし、藤也に言われた通り俺はお節介が過ぎるのかもしれない。何か手助けは出来ないのだろうか。と、考えたとき。  扉の外からバタバタという足音が聞こえ、俺は慌てて奈都に手帳を返す。しかし、その足音は応接室の前で止まることなく、そのまま通り過ぎていった。それから間もなく『待ちなさい幸喜!藤也!』という花鶏の声が聞こえてきた。 「……全く、落ち着いて話もできねーな。ここじゃ……」 「……そうですね」 「しかし、ここに書いてあった『屋敷が壊れてても直ってる』っていうのは本当なのか?花鶏さんが修理してるとかじゃなくて?」 「はい。少なくとも僕はその修理してる姿を見ることはありませんでした。……そうですね、前に幸喜が壁に穴開けた時があったんですがその時も、数時間後にはその跡形も無く元通りになってたときがあったんです」 「……それって……普通じゃないよな……」 「この前の夜、準一さんと見た消えた屋敷。……あれを見て思ったんですが、もしかしたらこの屋敷には形状記憶効果が働いてるんじゃないかと」 「け、形状記憶効果……って、あの」  奈都の口から出た言葉に、頭が痛くなる。  何らかの物事により変形した物質が、変形する以前の姿に戻るという。それが形状記憶効果と把握していたつもりだが、それがこの俺たちのいる屋敷に働いているとなると俄信じがたいものがあった。 「でも、そんなのって有り得るのか。細胞とかそんなものならともかく、こんなでかい建物が物理的に壊されても元に戻るなんて……」  そこまで言いかけて、俺は、自分のことを思い出す。  それを言ってしまえば、精神即ち記憶で出来ている俺の存在もそうだ。どんだけもがれて壊されても、精神力さえたれば記憶された姿に戻ることが出来る。  けれどだ、そうなると。 「まさか、この屋敷も……幽霊みたいなものっていうことか……?」  恐る恐る尋ねれば、奈都は静かに頷いた。 「あくまで推測に過ぎませんが、もしかするとこの屋敷は誰かの意識……それにより形成された所謂幻影ではないのかと僕は考えてます」 「け、けどさ……扉とか、前、花鶏さんが直してたときもあっただろ。それに、もしそうだとしても倉庫とか埃が積もってるし、カビだって生えてるんだぞ。そこまでなんのかよ、普通……」 「……確かに、そこなんですよね」  顎に手を当て、深く考え込む奈都。  確かに奈都の言いたいことも分かる、理解し難い場所だというのもだ。でも、こうして自分が足を踏み込んでいるここが実際に存在しない幻だと考えるとゾッとしない話だった。  けれど、俺は仲吉との話を思い出していた。見るものによって姿を変える屋敷。それが、元から実態のないものだとすれば。 「ぜ……全然わっかんねぇ……」 「仕方ないですよ……僕達にはあまりにも情報が少なすぎますから」 「でも、一応ここの管理者って花鶏さんなんだろ?……なら、花鶏さんに聞いてみたら何か分かるんじゃないのか?」 「……一応、何度かそれとなく聞いたことはあるんですよ。けど、毎回『貴方がそう思うならそれが事実なのかもしれませんねぇ』とか言ってはぐらかされてまともに返してくれたことはないんです」  ……すごく言いそうだ。  それらしいこと言って有耶無耶にするのは花鶏の十八番と言っても過言ではない。  そもそも、俺からしてみれば花鶏自身が胡散臭いのだ。  もし奈都の憶測が正しいとすれば、花鶏が本当にここの管理者だとすれば、この屋敷の意志は花鶏とともにあると考えても可笑しくないはずだ。  と、うーんと俺たちが黙り込んだときだった。  扉が開き、藤也が入ってくる。 「……何してるの、二人して変な顔して」 「藤也君。……君、花鶏さんに追い掛けられてたんじゃなかったんですか?」 「撒いた。……あれくらい朝飯前だから」  そうボソリと呟き、ずかずかと入ってきた藤也はそのまま隣のソファーに腰を掛けてくる。  いきなり現れた藤也に内心ドキドキしていたが、藤也の様子からして俺達の会話を聞かれていたわけではなさそうだ。  別に藤也に隠すつもりはないけれど、必然的に幸喜にまで伝わってしまう可能性を考えると情報漏洩に警戒せずにはいられないのだ。悲しきかな人の性。

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