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04

 ――今晩はここにいろ。日が登ってから出ていくなり残るなり好きにすりゃあいい。  そう言うビルの言葉に甘え、僕達は一晩客室で休むことになった。  横になれば沈む自室の柔らかいマットとは違う、硬いベッドの上。僕は天井を見上げていた。  体は疲弊しきってるはずなのに神経が昂ぶっているようだ、一向に眠りはやってこない。エースは隣に用意された部屋で眠ってるはずだ。  休まなければ、朝に備えて。そう思うが、自分の心臓の音が煩くて眠れない。微かな物音が聞こえる度に飛び上がりそうになる。……この調子では明日に差し支える。  居間の方にはまだビルとディムが残っていたはずだ。  ……飲み物をもらえるだろうか。そう体を起こし、なるべく物音を立てないようにビルたちの残る居間へと向かう。  静まり返った廊下を歩いていけば、薄ぼんやりとした照明の灯りが見えた。そして、話し声が聞こえてくる。  そっと部屋の中を覗けば、そこには先程一緒に部屋へと戻ったはずのエースがいた。そして、覗き込む僕に気付いたようだ。ソファーに腰をかけ、ダムとディムと話し込んでいたエースは「王子」と立ち上がるのだ。それからディムがこちらを振り返り、「やあ」と手を上げる。ダムは無反応、ちらりとこちらを見るだけだ。 「君も眠れないくちかい?」 「……ああ、喉が渇いたからなにか飲み物を貰えるだろうか」  そう声を掛ければ、「何が飲みたい?」とダムが反応する。「温まるものなら、なんでもいい」と答えれば、ダムは何も言わずに立ち上がるのだ。そしてそのまま部屋の奥、キッチンへと向かう。僕はエースの隣に腰を降ろした。 「王子……」 「……一人になると、余計なことを考えてしまってな。……眠るどころかこのザマだ」 「お前もか? エース」と覗き込めば、エースは少しだけばつが悪そうにはい、と頷いた。  空気を読んだつもりか、ディムは立ち上がってダムが去ったキッチンへと向かうのだ。二人だけになった部屋の中、時計の秒針が刻む音が聞こえた。 「……サイスのことが気になるんだろ」  そう尋ねれば、エースは唇を硬く引き締めた。その視線が揺れたのを見逃すはずがなかった。  ――昔からだ、この男は嘘を吐くのが下手だ。馬鹿正直で、一回り以上年上の上官相手にも気に入らなければ歯向かうような男だ。  そんなエースだからこそ、信頼することができた。――それは恐らく、母にとっても同じだったに違いない。 「エース」ともう一度名前を呼ぶ。やつの腿に手を置き、じっとその顔を覗き込めばエースの表情が強張った。そして、 「……はい」  それはか細い声だった。声でも分かる、エースは迷っているのだと。  敵と見做せば切り捨てる冷徹さを持っているくせに、その根は義理堅い。共に競い合い、高めあってきた同胞だ。僕にはそういう相手はいないから分からないが、それでも厳しい日々の鍛錬の中、他者にも己にも厳しいエースが友と認めるのはサイスだけだ。  そんなサイスが、今晩処刑される。――それも、あの男の気まぐれによってだ。 「サイス……あいつの実力を考えれば大人しく処刑されることはない」 「……はい、承知しております」 「恐らく、公開処刑という形での見せしめを行うことでお前を誘き出すつもりだ。……噂が広がれば広がるほどお前の耳に入りやすくなるだろう、それも、ただの兵隊だけではなくお前と親しい間柄のサイスをそれだけのために使うつもりだ」 「……ッ」  唇が白くなるほど噛み締めるエース。唇だけではなく、膝の上、硬く握り締められた拳に筋が浮かぶ。  こうして言葉に出すほど吐き気を催す。あの狡猾な男らしい下衆な真似だ。目に見えるほどの雑な罠だからこそ、余計腹が立つ。 「……エース、冷静になれ」 「……っ、は……い」 「僕は、馬鹿にされることが一番許せないんだ」 「っ、王子」  ずっと考えていた。  確かに、朝になれば追っ手は減る。逃げ隠れもしやすくなるだろう。けれど、こうして日が昇る前に後戻りができなくなるかもしれない。  脳裏に浮かぶ処刑台に立たされた母の姿。助けることもできず、歯向かうこともできなかった。ただ叫ぶことしか……――。 「――……広場へと向かう」 「っ、何を仰るのですか、王子……ッ」 「サイスを奪還する。……あいつを生きて捕らえることが出来ればこちらが有利になる。今は僕達には戦力が必要だろう」  お前のためではない、と念押しをすれば、目を見開いたままエースは口を開く。そして、うなだれるのだ。 「……ッ、ありがとうございます、王子」 「…………」  ここから先は危険な橋渡りだと分かっていた。自ら敵の罠に潜り込むようなものだ。  そして、僕にはエースしかいない。向こうはいつ餌に掛かってもいいように兵隊を待機させてるはずだ。  あまりにも分が悪い。……それでも迷いはなかった。 「ビルたちが戻って来る前に出るぞ」  今は時間が惜しい。コーヒーの薫りが漂い始める部屋の中、僕達は足音を立てないように外へと向かうことになる。  作戦もなにもない、武器と呼べるものすらない。それでも、可能性はゼロではない。  ――サイス、そして三日月ウサギ。全てはあいつら次第だ。僕達に出来ることは処刑を中断させることだけだった。  ノープランもノープラン、運試しにしてはあまりにもハイリスク。杜撰で穴だらけだろうが、なんだっていい。保身に走って可能性を自ら潰すくらいなら舌を噛み切った方がまだましだ。  裏口へと繋がる階段を登り、重たい鉄の扉の前に立つ。  恐らくビルもディムも俺達が出ていったことに気付いているのだろう、それでも追いかけて来る様子はない。  静かに扉を開く。ギィ、と音を立て開く扉。前に立つエースは辺りに人の気配がないのを確認して外へと出た。  薄暗い裏路地、夜の風が皮膚を撫でる。辺りに兵隊の姿はなく、僕達は目配せをし、そのまま目的地である広場の方へと向かった。  女王も公開処刑を行うことは多かったが、裁判所で判決が出るとその場で処刑人たちに首を刎ねさせていた。……そして、母が処刑されたのも裁判所だ。  けれど、あの男は違う。こうして裁判所ではなく夜の広場を指定したのは僕達が来やすくするためだ。  広場へと近づくにつれ、人の気配は多くなる。兵隊もちらほらいたが、下手にこそこそした方が怪しまれる。僕達は堂々と人混みに紛れ、広場へと向かう。  広場は常に開放されており、その中央には大きな舞台が用意されていた。見せしめのつもりなのか、六人の見覚えのある男たちが椅子に座らされている。後ろ手に縛られ、目隠しをされているようだ。  その中央、真っ赤な軍服に身を包んだ青年がいた。 「……ッ、サイス……」  エースも気付いたようだ。離れていてもわかる。  やはり、ここにいたのか。そもそもあの男が大人しく縛られていることにも驚いたが、すぐにその理由も分かる。  大勢の群衆が詰め寄る処刑台の上、サイスと同じ真っ赤な軍服姿の男が上がる。ライトアップされた処刑台の上、眩く光る金糸。その手に握られたのは斬首用の大剣だ。  処刑人――ジャックはまるで目の前の死刑囚たちをじっくりと吟味するように眺めるのだ。  キングの近衛兵であるジャックの登場に群衆もこの公開処刑が異質だと感じたのだろう、広場全体は妙な高揚感に包まれ、熱狂している。僕達にも気付いていないのだろう。  周囲にはジャックの他にも監視の兵隊たちも多く居たが、処刑台へ近付こうとする野次馬を止めるので精一杯らしい。  サイスを助けなければならない、が、このまま愚直に処刑台に近付いたところであの処刑人の剣がこちらへと振るわれるだけだ。  それに、引っかかることあった。――あの男の姿が、アリスの姿が見当たらないのだ。 「……妙だな」 「気付かれましたか。……あの男がいません、特等席で見物してそうなものを」 「何か仕掛けられてるかもしれない。……一旦この処刑を中止させよう」 「ですが、どうやって」  そうエースがこちらを向く。僕はビルの部屋から持ち出したマッチ箱を取り出した。使えそうなものはなんでも使う。辺りを見渡し、なるべくよく燃えそうな燃料を探した。  ――そして見付けた、処刑台の傍、今は使われていない屋台の裏。そこに置かれた木箱には干し草が詰められていた。  このお祭り騒ぎに乗じて近くの屋台から油を盗むのは容易だった。そのまま油の瓶ごと干し草が積まれた木箱にぶち撒けた。そしてそのままマッチを着火し、やや離れた場所から木箱へと放り込む。瞬間、大きな火が燃え上がった。 「火事だ!」と声を上げれば、僕の声に気づいた近くの野次馬たちが指差した方へと目を向ける。そして、一瞬にして騒ぎは伝播するのだ。  辺りに広がる悲鳴はやがてステージの上、一人目の罪人の目隠しを外していたジャックの元まで届いていた。上る日に、兵隊たちも慌てて消火へと向かおうとしていたが逃げ出す群衆たちにもみくちゃにされ消火活動に遅れてるようだ。あっという間に火は屋台へと燃え移り、その炎を大きくしていく。僕達は人混みに紛れ、処刑台へと向かおうとした。が、広場から逃げ出そうとしていた流れに巻き込まれ、エースに遅れを取る。  咄嗟に振り返ったエースは僕へと伸ばしかけた手をぐっと握りしめた。 「……っ、貴方はここでお待ちください、あいつは俺が食い止めます」  その目に迷いは無かった。分かっていた、戦闘分野において自分は足手まといになることなど。だから、僕は「分かった」と伸ばしかけた手を引っ込めたのだ。  エースは頷き、そのまま人混みへと紛れる。  せめて、自分にできることをやるだけだ。  観衆、火、雑踏、歓声、悲鳴、怒号。  人の声でなにもかもかき消される。夜だというのに明るい空の下、僕は処刑台を見上げた。「あいつは」と誰かが叫ぶ。騒ぎに乗じて処刑台へ上がってきた闖入者にジャックは手にしていた大剣を持ち直した。  二人がなにを話してるのか、舞台上で何のやりとりをしてるのかこちらには聞こえない。それでも、ジャックは指名手配犯の登場に驚くわけでもなくただ笑っていた。  そして、エースの静止を無視してその大剣を目の前の罪人の頭に向かって振り落とすのだ。  音は無かった。狂乱騒ぎの中、赤い血飛沫が降り注ぐ。ボヤに逃げることなくショーに夢中になっていた観衆たちは悲鳴に似た歓声を上げる。一振りで頭を切り落とすほどの鋭利さ、そして重さ。それは剣と呼ぶよりも斧に近い。赤い軍服を更に赤く染めたジャックは笑う。そして、次はお前だとエースへと向き直るのだ。  ――今ならば、ジャックがエースに気を取られてる間にサイスを救出することができる。  剣を抜いたエースはそのまま処刑台に登ろうとしていた兵隊を切り捨てる。ステージへと近付けば、辛うじて二人の声が聞こえてきた。内容まではわからない、一番サイスに近付ける場所へと人垣をかき分け、回りこもうとしたときだった。  どん、といきなり目の前に現れた壁にぶつかった。そして、息を飲む。  そいつは目深に被っていたハットを脱ぎ捨てる。そして、現れた男に血の気が引いた。  男――アリスは静かに佇んでいた。いつもの柔和な笑みも、なにもない。ただ無表情で僕を見詰め、口にするのだ。 「――散歩は楽しかったかい、ロゼッタ」  心臓から大量の血液が全身へと押し流されるような感覚に汗が吹き出る。  アリスが何故ここに。いや、この処刑場にいることは分かっていたはずだ。いないことの方が不自然だ。それよりも、何故僕に気付いておきながらずっと野放しにしていたのか。  咄嗟に服の中に忍ばせていたナイフを取り出そうとしたとき、アリスに手首を掴まれた。人混みの中、周りの奴らはまるで僕とアリスのことが目に入っていないかのように舞台上に釘付けになっている。異様な空気感はこの男のせいか。

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