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04
「チェシャ猫、貴方はまたそんなことを言って……」と呆れた様子の白ウサギだったが、これ以上言っても無駄だと判断したようだ。
「貴方が勝手なことをして貴方が公爵に怒られる分には構いませんが、クイーンを振り回さないでください」
「振り回すなんて人聞きの悪い。道案内をしてやっていただけだよ」
なにが道案内だ、とあっけらかんと笑うチェシャ猫を睨みつけるがやつはどこ吹く風だ。
憐れむような目を向けてくる白ウサギの視線が痛くて、僕は咄嗟に「それより」と声をあげた。
「白ウサギ、僕に用があったんじゃないのか」
「ええ、そうです。あれから身体のお変わりはないか確認しておこうかと思いまして」
「ああ、問題は……」
ない、と言い掛けてふと思考を止める。
『あれから』とはいつのことを、なにについて指しているのか引っかかったのだ。
「おい、あれからというのはなんだ」
「……え?」
「あ……いや、違う。その、最近物忘れが酷くてだな……」
「記憶に障害が出ているのですか?」
「違う、そう大袈裟なものじゃない」
白ウサギに怪しまれる、というよりも余計な心配を掛けてしまっているようだ。言葉を選ぶべきだったと後悔するがもう遅い。
「……昨夜、クイーンが夢見が悪いと仰られていたので睡眠薬を用意したのですが……今朝も大丈夫そうでしたし、その様子だと問題はないようですね」
「……ああ、そうだったな」
妙な話だと思った。僕がこの世界にきたのは初めてだし、この世界もあの男の作り物のはずなのにちゃんとこの世界と僕が存在して生活を送っているのだ。
だとしたら今までの僕はどこに消えたのか、そもそも僕は意識だけでこの肉体はもしかして……。いや、やめろ、考えるな。考えるだけ無駄なのだ、この無茶苦茶な世界は。
そう考えていると、伸びてきた白ウサギの指先が頬に触れる。ひんやりとした指先に思わずびくりと顔を上げれば、目の前には赤い目が二つ。心配そうに僕を覗き込んでいた。
「……やはり本調子ではなさそうですね」
「白ウサギ、おい……」
「今日は定期検診の日ではありませんが、念の為一度部屋に戻って診察を行いましょうか」
「いい、大丈夫だ」
「ですが」と何か言いたげな白ウサギの手を掴み、顔から離す。
「……っ、白ウサギ……客人の前だ」
そう声を落とし白ウサギに伝えればやつも隣で凝視してくる猫の存在を思い出したようだ。ハッとし、「失礼しました」と慌てて僕から手を離す。
「おや、それを言うなら客猫では?」
「……その口を閉じろ」
「気にしなくてもそのままやってくれても構わないよ、僕は心が広い猫だからね」
「黙れと言ってるんだ」
堪らずチェシャ猫の胸倉を掴もうとすれば、チェシャ猫は煙のようにどろんと姿を消す。そして気付けば背後に立ち、背後から伸びてきたやつの手に顎の下を撫でられぎょっとする。
「チェシャ猫、無礼な真似を……ッ!」
「まあまあ、君達も同じことをしてたじゃないか。……ああ、恋人同士のようで仲睦まじいようまね君達は。僕らのアリスが見てしまったらきっと嫉妬で君を火刑にするだろう、白ウサギ先生」
「アリス?」
「おっと失礼、この部隊には存在しないキャストだったね」
「いいから王子から離れなさい。……それにそのような軽口、いくら貴方とは言えど侮辱罪に当たりますよ」
おお、怖い怖いとチェシャ猫は大袈裟に肩を竦め僕から離れる。やつの指の感触がまだ顎の下、皮膚の上に残っているようで気持が悪かった。
「それじゃあ僕は邪魔者のようだから少し散歩でも行ってこようかな」
不意に、僕から離れたやつはそんなことを言い出す。先程までは強引にでもついてきたくせに、あまりの気の代わりように思わず「なんだと?」と声をあげればチェシャ猫はこちらへと眼球を向ける。そして猫のように笑うのだ。
「おや、一人は心細いのかい? 僕がいないと寂しいと……」
「違う、余計な真似をするつもりじゃないかと心配してるんだ」
「それならお構いなく。僕はいつだって余計なことをしない、全ては僕らのクイーンのために」
そうニャアと鳴き、チェシャ猫は踵を返したと思った次の瞬間どろりと煙の中へと溶けた。
そこに残されたのは僕と白ウサギだけだ。
「……なにがクイーンのためだ……っ」
「クイーン、大丈夫ですか?」
「……ああ、すこし疲れただけだ」
先程まで一緒にいたら鬱陶しいと思っていたが、いなくなったらいなくなったで今この間にもなにか企んでるのではと思うと落ち着かない気持ちになる。そんな僕の肩をそっと白ウサギは触れてくる。
「……部屋に戻って休まれてはいかがでしょうか、私でよければ紅茶を用意しますよ。ディーやダムのようには美味くはありませんが」
そう自嘲気味に笑う白ウサギに僕は考える。が、断る理由もなかった。
「……ああ、頼む」
この最悪な夢の中で目が覚めるまでどう過ごすか、それを考えるのは紅茶を飲みながらでも問題はないだろう。僕は白ウサギに甘えることにした。
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