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第10話
葬式の日は、朝から冷たい雨が降っていた。当時実家を出て一人暮らしをしていた日下が最後に姉夫婦に会ったのは、一年か二年も前のことだ。喪主を務める姉の横で、幼い徹が母親にくっつくようにちょこんと座っていた。
そのころ男の妻側からの訴えにより、日下は訴訟問題を抱えていた。まるで腫れ物に触るように、遠巻きにしつつも自分の噂話をする親族の目から逃れるように、日下は席を離れた。
いつまでも止む気配のない雨をぼんやりと眺めながら、タバコをふかす。日下の胸を、理不尽さとやるせなさ、そしてやり場のない怒りが渦巻いていた。そろそろ会場へ戻らなければと日下が思ったときだ。小さな子どもの手が、日下の服の裾をきゅっと握った。
「徹! こんなところでどうした? 勝手に抜け出したらお母さんが心配するだろう」
前に会ったときのことなど小さくて覚えていないだろうに、自分をじっと見上げる子どもに、日下は慌ててタバコを消した。内心面倒だという思いを隠して、子どもの目線の高さに合わせる。
「一緒についていってやるから、お母さんのところへ戻ろう」
手を引いて会場へ戻ろうとする日下に、徹は俯いたままその場から動こうとしない。
「どうした? 何かあったのか?」
「おとうさん、もういたくない……? おむねくるしくない……?」
裕介さんの死因は悪性リンパ腫だった。亡くなる前は相当苦しんだと聞く。しかし、息子が自分のことで胸を痛めることは望まないだろう。
「ああ、痛くない。苦しくないよ」
まだ世の中の汚れも知らない澄んだ眼差し。その目が日下をじっと見つめた。
「ぼくがないたら、おかあさんがかなしむの。だから、もうなかないってきめたの。でも、ぼくおとうさんにあいたい……。おにいさんは? おにいさんも、かなしいの……?」
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