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第30話

 海風が日下の髪をなぶる。手を伸ばせば溶けて消えてしまいそうな暗闇の中で、こちらを見つめる徹の視線を感じた。   ――俺は衛さんのことが好きだ。衛さんだって、それはわかっているはずだ。  徹の言葉が甦り、じわりと熱が上がる。そうだ、徹が本気なことくらいとっくに気がついている。日下が思うよりも、徹は子どもじゃない。徹の問いに答えられないのは、日下のほうに不都合があるからだ。日下が気づきたくない何かが――。  潮風で身体が冷える。小さく身震いした日下に、先に徹が気がついた。 「冷えてきたね。うちに帰ろう」  迷いのないようすで先を歩き出した徹に、日下も遅れてついていく。波の音が聞こえた。月明かりに白波が立っている。 「さっきのイタリアン、なんだか緊張して味がよくわからなかった。もったいなかったな。衛さんもあまり食べていなかったね。好みじゃなかった?」  徹におかしなところはどこにもなかった。彼はいつも通りで、むしろ緊張していたのは日下のほうだ。内心でどこがだよと苦々しく思いながら、 「あの空気の中でおいしくて食べていたら神経を疑う」  と日下が返すと、 「それもそうか」  と納得したような答えが返ってきて、日下は人知れずほっと息を吐いた。  さっきまでの張りつめた空気はどこにもなかった。この時間がいつまで続くかはわからない。でもあと少し、タイムリミットまでにはまだ間がある。 「気が抜けたらお腹が空いてきた。帰ったらお茶漬けでも作ろうかな。衛さんも食べる?」 「筧さんからもらった上等な塩昆布を隠してある」 「ああ、いいね」  徹が振り向き、日下を見て笑う。日下は波音に気を取られた振りをして、そっと視線を外した。

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