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第49話
突然の日下の言葉に徹は一瞬だけ動きを止めたが、すぐにいつもの調子を取り戻しさらりと流した。
「はいはい。俺のためにならないって言うんでしょ。前にも言ったように、俺はいまのままで何も問題ないよ。そうだ、衛さんに郵便が届いていた。部屋に置いておいたよ――」
「引っ越し費用が足りないなら、足りない分を僕が出してやる。姉さんには僕から話をする。だから大学の近くでも何でもいい、新しく住む場所を見つけてこの家を出ろ」
「衛さん……? 何かあった?」
ようやくいつもの口先だけのやり取りではないと気づいた徹が手を止め、日下を振り返った。その目が日下の真意をはかるようにじっと見る。蛇口からぽたんと水音が垂れる音がした。
「何もない。前から言っていることだ。いい加減、この家から出ていってほしい」
少しでもおかしな態度をとったら、徹はきっと日下の言葉に疑いを抱く。だから日下は心を消したまま、徹から目をそらさなかった。
「嘘だ。衛さんは嘘をついている」
先ほどまであった距離をつめられて、日下は逃げ場をなくす。徹のまっすぐで冷静な眼差しが痛い。頼むからこれ以上追いつめないでほしい。自分が何かとてつもない間違いをおかす前に。
「何があった? 話をしてくれたら一緒に解決できるかもしれない。いったい何を隠しているの?」
こんなときまで徹らしい言葉に、日下の口元に徹を馬鹿にしたのではない、皮肉な笑みが浮かんだ。
どうしたら信じてくれるだろう。お前が思うようなことは何もないのだと、自分の言葉を額面通り受け止めてくれるのだろう。
日下の表情を誤解したらしい徹がわずかに眉を顰める。それを見て、日下はふいと視線をそらした。
「……何も隠してなんかいない。いいからそこをどけ」
「衛さん?」
手を伸ばしたら、すぐ触れられる距離に徹がいる。日下が望めば、徹は自分のことを抱きしめてくれるかもしれない。そのことに耐え切れず、日下は自分のつま先を睨むようにじっと見つめる。
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