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第50話
「この間のキスが原因? あの夜から衛さん、俺の顔をまともに見ようとしない。何でもないような振りをしているけど、明らかに態度がおかしいよね。衛さんは触れたくなさそうだから黙っていたけど、本当はずっと気にしている。俺に悪いことをしたと思っているの?」
うまく隠せていると思ったことをずばり言い当てられて、日下の頬にさっと朱が走った。
「……自惚れるなよ」
徹の首にするりと腕を回し、その唇に舌を入れる。驚いた徹が慌てて日下の身体を離そうとするのも構わず口づけを深めると、やがて抵抗していた徹の身体からふっと力が抜けた。その瞬間、勢いよく徹の身体を突き放す。
「衛さん……?」
「いいか、自惚れるなよ。お前とのキスなんて何でもない。いい加減子どものお守りはうんざりだと言っているんだ。せっかくオブラートに包んでやろうと思ったのに、人の努力を無駄にしやがって」
お前が好きだ。だから僕のことなんて忘れろ。お前の時間を無駄にするな。
「俺が衛さんを思うのは、衛さんにとっては迷惑だってこと?」
驚いたように目を瞠る徹に、ずきりと胸が痛んだ。日下は胸の下で血を流し続ける心の傷を隠し、冷たく徹を見つめ返した。
そうだ、悟られるな。冷たく突き放せ。
「だからそう言っている。お前の気持ちには応えられない。お前は僕に構わず自分の道を見つけろ」
違う。迷惑なんかじゃない。迷惑であるはずがない。
言い返すこともなくその場に立ち尽くす徹の姿に胸が痛む。お前は何も悪くないと心は叫ぶ。けれど日下は感情を押し殺して、何も感じていない振りをする。
「それともあのキスだけじゃ足りなかったか? いいぞ、最後にいい思い出をつくってやろうか」
日下は嫣然と微笑むと、徹の首にするりと腕を回した。その手を徹がとっさに振り払った瞬間、日下の心の一部が死んだ気がした。
「あっ、ごめん、衛さん……っ」
自分のしたことが信じられないとでもいうように、徹が日下に謝る。
違う、お前は何も謝らなくていい。
ショックを受けているらしい徹を見ていられず、日下は視線をそらすと、すべての感情を消し去り、冷たく告げた。
「……住むところが見つかるまでは待ってやる。いいか、すぐにこの家から出ていけ」
床に落ちていた鞄を拾い、徹に背を向ける。ひどい疲労を感じていた。一気に十も二十も歳を取ったようだ。
我に返った徹が、慌てて階段を上る日下を追いかける。
「衛さん待って。それが衛さんの本当の望み?」
僕の望み? そんなものは始めから決まっている。お前が幸せになることだ。
階段の下から追いかけてくる声に、日下は一度も振り返らなかった。
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