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第51話
羽月は乱暴にパイプ椅子を折りたたんだ。心にヤスリをかけられているような切なさは、かつて覚えたためしのない種類のものだ。唇がわななき、それでも笑顔をこしらえて「たかが」と呟く。ビッチ、と涼太郎に蔑まれた程度のことでダメージを受けるわけがない。
揶揄をひそませた指づかいで、制服の胸元をつついてあげた。
「貞操観念とかって、童貞くんが知ったかぶっちゃって嗤える。吸血鬼じゃないけどさ、定期的に精液をチャージしないと飢え死にしちゃう体質なんだからさ、大目に見ろよ」
「たとえ特殊な事情があっても、学生の本分は勉強であり、乱れた生活を恥じるどころか自慢するなどもっての外だ」
「きみ、風紀委員? おれを責める権利があるわけ? ぼっちくんもリア充も平等に食ってる、おれはむしろボランティア精神の人」
言いすぎた、と口をつぐんでも後の祭りだ。殺気めいたものが漂うにつれて、室温も急激に下がっていくようだ。ずい、と詰め寄ってこられて縮みあがり、ロッカーに退路を断たれてホールドアップの姿勢をとる。
握り拳がわなわなと震えるさまが視界をかすめ、羽月は利き足を軽く浮かせた。もしも暴力をふるわれたら倍にしてやり返す。タマを蹴りつぶす……のは、垂涎の的のペニスの勃ちぐあいに支障をきたすからやめておこう。
と、いついかなる場合も初心を忘れないあたり、ビッチの鑑だ。現に、今しも無意識のうちに舌なめずりをしてしまう。
喧嘩から仲直りエッチになだれ込むコースが萌えるのは永久不変の真理で、必要な条件の半分は満たしている。涼太郎が自らパンツを脱ぎ捨てる方向に持っていくなんて手ぬるい。おままごとはおしまいだ。原点に返ってフェロモンを大噴射して、ノックアウトしてやる。
高齢者施設でさえイカ臭くなること間違いなし。それほどの超強力な武器も、やはり涼太郎には効かない。拳が振りあげられて、ぎゅっと目をつぶった。
その直後、耳元で風が唸り、どん! と爆裂音が腹に響いたわりには、どこも痛くない。
金属的な残響が空気を震わせ、振動がびりびりと背中に伝わってくる。羽月は恐る恐る薄目をあけた。
怒りの捌け口となったものは、ロッカーの扉だった。拳を叩きつけたさいに鍵穴でこすれたとみえて、みみず腫れが走る指が痛々しい。
殺伐とした状況にもかかわらず、モラリストがおれなんかのためにキレて、と胸が熱くなった。太腿に沿う形に、だらりと垂れていく手を摑み寄せる。痛いの痛いの飛んでいけ、と唱えるふうに息を吹きかけた。
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