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第52話

 雰囲気が徐々になごんでいき、互いに向ける眼差しは、愛おしいという成分を含みはじめるようだ。ところが一転して涼太郎は手を振りほどき、エプロンの裾でぬぐった。  汚れをこそげ落すような仕種に、羽月は少なからず傷ついた。ビッチ菌にはアルコール消毒、とスプレー式のそれを差し出してやりたいところだが、床に縫いつけられているように動けない。  いらっしゃいませ、の大合唱が連続して響き渡った。涼太郎がすぐさまドアに向かった。 「賄い、まだ食ってないだろ。おれがフロアに戻る、食ってから来いよ」 「けっこうだ、食欲は失せた。の裏の顔にいささか驚かされたおかげでな」  棘のある言葉を投げつけてきたくせに語尾が震える。涼太郎はドアノブを摑み、だが半分ほど回したところで振り向いた。やるせなげに瞳が翳り、腹の虫がおさまらないというより、つらいと訴えているようだ。 「肉じゃがを一生懸命つくってくれたのが先輩の本来の姿だと思いたいが、あれも俺を手なずけるための方便──そういうことだな」 「違っ!」  近寄るな、と手で制された。結界が張られたようで、羽月はうなだれた。  題して〝餌づけ作戦〟をスタートさせた当初は下心があった、それは否定しない。だが、途中から別の目標ができた。美味しいと言ってほしい、涼太郎が喜ぶ顔が見たい。肉じゃがを爆食してもらえたときは最高にうれしかった。  ドアが開いて閉まった。フロアはがやがやと騒がしく、ロッカールームは静まり返る。  なんの変哲もないドアが、ふたりの心を隔てるものの象徴のようだった。

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