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第三話 葵と愁
ギャアアアアァアッ! プシュ……ギャァアン
!! ギャァアァァアッ……
まだ車通りの少ない市街の道を真紅のシルビアは回転数を上げ、法廷速度の範囲内で疾走する。
二人の働く日向は、市街から山頂の観光地までの山道の途中にある喫茶店。観光地の水質の良さのおかげで水汲み場が多数あり、地元住民も多く利用している。早朝は高齢のお客様が多く来店される為、それに合わせた開店時間も自ずと早くなっていて、必然的に出勤時間も早い為、河邊には朝食のまかないが付いている。
「河邊君、今日は何食べたい? 」
「何でも大丈夫ですよ。涼風さんの作る料理、美味しいですから…ふふっ♪ 」
「もぉ……そんな風に言われると困っちゃうよ。高い時給もあげられないんだし……朝ご飯くらい、好きなの作ってあげる。 」
困りながらも料理の腕を褒められ口元の弛む葵。運転に集中しながら、助手席の河邊をチラリと覗く。
“えへっ……嬉しぃ……♪ 河邊君、お仕事頑張ってくれてるし、それに僕の作った料理……美味しそうに食べてくれる君を見るの好きなんだ……その……ちょっぴり、恋人気分……”
「じゃあ今日は、ふわふわの卵サンドがいいですっ。」
「えっ!? ぁ……あぁ……いいよ、あんなのいくらでも作ってあげる……って、河邊君……卵サンド、結構な頻度で食べるね……一昨日も、その前も……」
「だって……美味しいですし……ぁ……とにかく、大好きなんですッ……」
理由を聞きたかった。愁はうつ向き気味になり、前に下がったさらさらの撫で心地の良さそうな前髪が表情を読み取りづらくしている。どこか恥じらっているような、余りにも可愛らしいその様子に、葵の疑問は何処かに吹き飛んでいった。
「だッ……!? ゎ……わかったッ……そこまで
言ってくれるなら……作りがいもあるし……」
“うわぁ……可愛いぃ……♡ 初々しいと言うか……サンドイッチのこととはいえ……愁君……
おっと、河邊君の口から大好きって聞けるの……耳が、幸せ感じちゃう……♡ ”
河邊 愁。運転中にも関わらず葵を蕩けさせ、見惚れさせる助手席の彼。整った顔立ちの美少年と言っても過言ではない愁は、葵の言葉に顔を上げ、パァッと明るく嬉しそうに……
「ありがとうございますっ♪ ほんとっ……
嬉しいな……毎朝……これからもずっと、食べれたら……幸せ……なんて……♪ 」
言いながら見せる微笑み。その笑みの中に混じる恥じらいは美少年の顔に、ほんのりと艶を与え……
「ぁ……えっ!? そ……それって……どういう……」
「涼風さん……赤ですよ? 」
「へっ……? 」
日向に向かう道筋の、市街の終わりで山道の始まりでもある最後の信号は赤だった。
キィキィキィギィッッ……!!!
葵は瞳を細め慌ててはいたが、キッチリと路面と速度、その他全ての状況を瞬時に見定め手馴れた動作で車体をぶれさせる事無く、停止線の手前で停車させる。
「ふぅ……ちょっぴり焦っちゃった……河邊君……大丈夫? 」
「はい……ふふっ♪ 涼風さん、運転上手だから……何も心配していませんよ。」
完全に信頼しきっている。それを態度で表すように、愁は穏やかな笑みを浮かべたまま葵を見詰めている。その優しい笑顔の温もりに、どうしようもなく火照らされる葵。ハンドルに額を押し付け、湯気が出そうな程赤くなった顔を隠す。
“カッコ良すぎでしょ……♡ じゃないっ!?
可愛ぃ過ぎて……格好いいなんて、反則……
でもないっ!? 見惚れちゃったじゃないかっ……酷いょ……男の僕を……こんなに、ドキドキさせて……”
「あの……青になりますよ? 」
「あうッッ!? ぃ……いけなぃ……ごめんね、ちょっと考え事してて……ぁははっ……」
そう言って、赤らんだ顔を上げる葵。対向車もなく後続車もない静かな交差点。信号が赤から青へと変わるとシルビアはゆっくりと交差点を通過すると徐々に加速し、曲がりくねった山道に入っていく。
「あのさ……河邊君。 」
「はい……? 」
「うちで働いてくれるようになって、もう三ヶ月くらいだけど……もう慣れた? わかんない事とかない? 」
曲がりの多い山道をアンダーステアもオーバーステアも出さずシルビアは軽快に走り抜ける。目まぐるしく変わるフロントガラス越しの景色、葵はしっかりと前に集中しつつ愁に話掛ける。
「はい、お陰様で、でも言葉遣いだけは……
少し慣れないと言うか、参考にって貸してもらった漫画……」
「あぁ、あれ面白かったでしょ? 黒〇事
とっても参考になるよねぇ……喋り方とか、僕のお気に入りなんだっ♪ 」
「でも、ちょっと恥ずかしいですし……俺、接客業って初めてで……上手く出来てるかどうか……」
「心配しなくても大丈夫。河邊君は元々、言葉遣い綺麗だったし……僕なんかより、よっぽど……今だって完璧だよセバスチャン♪ 」
「ぁははっ、あそこまで何でも出来ればいいんですけど……涼風さんは、どこか赤執事みたい……」
「ふふふっ……嬉しっ……♪ 伊達眼鏡しちゃおっかな? 」
大好きな愛車の中で二人きり誰にも邪魔されず、仕事の話や他愛のない会話を楽しむ葵。この僅かな時間それが……
“ずっと続けばいいのに……二人っきり……
あぁ……だめだめ……妄想しちゃ……運転に
集中……”
ギャアァッ! プシュ… ギャァァアアァアッ!! ……ギャギャギャ!!
曲がり角度がキツくなっていく区間、タイヤを滑らせながら次々とコーナーを抜けるシルビア。ここを過ぎれば、日向が見えてくる。
「いっつも運転楽しそうですね涼風さん。」
「えっ…ぁ…うん、怖いかな? ……ちょっと飛ばしすぎてる? 」
回転数を示すメーターの針が時折レッドゾーンに触れそうな運転中でも葵は変わらず、愁の言葉を聞く余裕がある。それくらいには
この道に慣れている。
「いえ、ぁ……ほんと言うと、最初はちょっと
怖かったです。でも……運転してる涼風さん凄く格好いいし……惚れぼれしちゃ……」
「はっ……!? 」
ギャギャギャギャギャギャ……ッ!!!
いつも通りのコーナー、いつも通りに曲がろうとした瞬間、愁の言葉に動揺した気持ちがタイヤをいつも以上に滑らせた。
ギャギャ!! ! ギャァアッ! プシュ…ギャアアアアァア……!!
それでも、若干のアンダーをキッチリと修正してコーナーを通過していく。
「はぁ……もぉっ……! 曲がってる時は、危ないし喜んじゃうから褒めちゃダメ……ぁと……冗談も……本気にしちゃうぞ……」
“また……ひょっとして僕って、ちょろいのかな……? 惚れるって言葉だけで……お世辞でも河邊君に言われると、凄く喜んじゃってる……”
葵には気付かれていない、にっこりと笑みを浮かべる愁の本心。頬を車体の色のように赤くして恥じらう葵を見詰め……
「ははっ……すいません。気をつけます……」
“でも……冗談なんかじゃないんです。本当に俺は……貴方のことが……”
「んっ……? ごめん、最後の方……聴こえなかった……もう一回いい? 」
「何でもっ……! ぁははっ……何でもないです……」
「なに河邊君、焦ってるの……? 余計気になっちゃうじゃん……教えてよ~! 」
恥ずかしくなって口を噤む愁と、頬を赤らめながらも好奇心にニヤニヤしながら聴き続ける葵。そんな二人を乗せたシルビアは鬱蒼と茂った木々の隙間を抜け、フロントガラスに広がる穏やかな緑の景色の真ん中に、喫茶 日向が見えてくる。
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