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第五話 出逢い ②
最近ではあまり聞かない大きな排気音、
真紅の鮮やかな存在感に興味を持った愁は、後ろのスポーツカーに鼻息荒く興奮している父に、
「父さん、後ろの車……なんて……」
なんとなく尋ねてみた。走り屋が転じて車の整備士となり工場を構える迄に至った父は、「フッ……」と得意気に鼻で笑って愁の質問を遮り、
「自分の車を手足の様に操る域に達した走り屋の車にはオーラが漂う、後ろのシルビアの走りにはオーラがあるっ!! 」
そう語る。興奮すると熱く語り出す、いつもの父の癖に「はぁ……」とため息を漏らし、
「シルビアって言うんだ……」
父の言葉から車名だけを拾い上げ、ボソリと呟くと、父はそんな愁の呟きを聞き逃さなかった。
「なんだっ!! ああいうの好きかっ!?
父さんは大好きだっ!! 乗るかっ!?
うちの工場に何台かっ……」
「違うっ! 早とちりしないで……色とか形とかは……ちょっと良いなって思っただけで……俺は燃費のいい軽自動車でいいよ。」
「馬鹿なっ!? 男なら誰でも一度はああいう車に乗ってっ……ぐぅ……無念ッ! 子供の頃から頭文〇Dを観せておけば……」
息子の現実的な言葉に、ハンドルを強く握り締め、あからさまに残念そうな父をよそ目に、頻りにバックミラーを覗いていしまう。
「そういうの、分かんないけど……なにか……」
「やはり乗りたいのかっ!! このツンデレがっ!! 流石俺の息っ……むがっ……!? 」
朝から父のハイテンションに、事故らないように慣れた手付きで助手席からハンドルを握り、ついでに父の口を塞ぐ。
「もぉっ! 前見て、少し静かにしてよ……ぁ…」
ジープの車窓には、山道沿いの店がちらほらと映り出す。後ろに着いてきていたシルビアは、いつの間にか見えなくなっていて、そのおかげで高かった父のテンションも徐々に
クールダウンしていく。
「お豆腐屋さんにカフェ……ご飯食べれそうなお店も……へぇ、水以外に結構あるんだね。」
「うむっ! ほら、あそこだ! 母さんの好きな水が汲める。」
「同じような場所から汲み上げるのに、違いなんてあるの? 」
「わからんっ!! だが、母さんの作る飯が
美味くなるならそれでいいっ! 」
山道沿い、そこそこの台数を停められる駐車場は早朝でも既に先客がおり、何台か停まっている。
その駐車場から青々と生い茂る木々を掻き分け山頂の方へ伸びる長めの石畳の階段を、ポリ缶やペットボトルを持った人達がお参りのように上ったり下りたり、その場の雰囲気も相まって神秘的にも見える石階段の先に水汲み場があるようだ。
“気持ちぃ……爽やかで……父さんとも、こういうドライブならたまには……”
車から降り「んーっ」と伸びをして外の澄みきった空気を吸い入れる。「んーっ!! 」と父の声、車の反対側では父も愁と同じように伸びをしていて、親子で同じ行動をとっている事に何かしらの照れを感じた愁は父に背を向けた。その視線の先に、
「あれは……」
ブォン! …ブォン! ……ブォ……
ミラー越しに見たシルビアが駐車場に入ってきて、目の前をゆっくり通過していく。
「さっきの……」
「うむっ!! 近い将来のお前の……むぐッ!? 」
いつの間にか父は横に立っていた。言う事も分かっていたので、愁は手際よく口を塞いだ。
「もういいから……あの上でしょ、行こ。」
「ぶはっ……おうっ! 競争だっ!! まだまだ
、技で負けても筋力だけはお前に負けんぞっ!! 」
父はポリ缶を抱え全速力で階段を駆け登る。そんな姿を見て、呆れを通り越して
「ふふっ♪ 」と少しだけ笑みが溢れ、愁は気を取り直しポリ缶を抱え、父に負けじと階段を登り始めた。
石畳の階段の上にある水汲み場、周りを緑に囲まれ、百円を入れて稼働する古びた汲み上げポンプが五台並んでおり、なにか神聖な場所にすら思う。父はポリ缶をポンプの前に置き注がれる水が満タンになるのを楽しそうに眺め、愁は満タンになったポリ缶を両手に持ち車へ運んでいて、
「ふぅ……あと、もう一回で最後……」
車にポリ缶を載せ階段を足早に登る、疲労は感じておらず、足は羽のように軽い。
“こういう時だけは、父さんに感謝かな……恥ずかしくて、絶対言えないけど……”
他の利用客はすれ違う度、皆、挨拶をくれる
、街中ではあまりない言葉の掛け合いに、
にこやかに挨拶を返しながら、到達する何度目かの頂上。
“のどかだなぁ、こんなに綺麗な自然に囲まれると皆少しだけ……心にゆとりが出来て………”
そんな事を考えながら、水汲み場まで続く石畳を歩いていると、正面から此方に向かい
一つのポリ缶を両手で引き摺るように持ち、
「はぁ…はぁ……っ、あのおじさん……こんな距離も、階段も……はぁ……あるなんて……先に言ってよ……絶対……来ないから…はぁ……」
小声で呟きながら、余裕もゆとりも無さそうな人が息切れしながらよたよたと歩いてきた。
“どこかの……喫茶店の店員さん……?
女の人……いや、男の人か……大丈夫かな……
もう限界っぽいけど……”
すらりとした体躯によく似合う、給仕か執事に見える服を汗で濡らすその人は、愁の予想通り、水の重みに耐えきれず石畳にへたり込んだ。
「はっ……はっ……ちょ…休け……うぅ……階段まで…まだあんな……今日中に……はっ……下りれにゃ……ぅ……」
一瞬にして萎む朝顔のように哀れな
ありさまを気の毒に思い見過ごす事も出来ず、とっさに駆け寄っていて……
「あの……お兄さん、大丈夫ですか? 」
「は…ぇ……? 」
声を掛けられ顔を上げる男、ゆるやかな美しい眼、涙が溢れそうな瞳は水晶のような輝き、愁は美男に一瞬で心を惹かれた。
“わぁ…………綺麗な髪……こんな綺麗な人……
……見たことない……”
後ろで結われた宝石みたいに光る長い黒髪、
整った容貌、フランス人形のように白くきめ細かな肌を潤い煌めかせる汗すら美しく……
「ぅう……重く…て……持てにゃ……ぅ…」
「あっ……もし良かったら俺が持ちますから……泣かないでください……ねっ? 」
愁には美男から放たれる全てが助けてと言ってるように思え、屈んで彼の目線に合わせ、今にも泣いてしまいそうな美男に優しく微笑みかける。
「えっ!? …ほんっ……ぁ…でも……
悪いょ……」
その微笑みに、美男の透き通るような純白の頬は、ゆっくりと熱を帯び始め……
「ほってはおけないです。遠慮しないで、ほら……」
戸惑っていた美男に、何の邪気もない単純にやさしいだけの気持ちで、手を差し伸べると引き寄せられるかのように美男は手を重ね、
「ぁう……ありがと……」
と小さな声で言い、あたりがふんわりと明るくなるような、眩しいほどの微笑を浮かべた。
トキュンッ……
笑顔を見た刹那、愁には美男にだけ朝日の光が集まって、エフェクトがかったようにキラキラと輝いて見え、
“えっ…なに……心が……ふわふわして……落ち着かな…ぁ…どうしちゃったんだろ…
……熱…ぃ…”
「ぁ…あの……手……痛い……かも……」
見惚れて、無意識に掴んだ手に力が込もっていたようで、言われハッと我に返り、
「あっ!? ごっ……ごめんなさいっ……」
慌てて彼を引き上げ、手を離す。
美男はその離された手を胸の辺りで軽く抑えていて……
「だ、大丈夫……ですか? 手……痛いんじゃ……」
「はっ!? ぁ……な、何でもない……こっちこそ、ごめんね……」
「いや、俺も緊張して……ぁ……その…どこまで運んだらいいですか? 」
「そ、そうだね……案内しなきゃ……だね、
こ、こっち……」
「は、はい……」
頬は赤いまま、どこか落ち着かない様子で
石階段の方へトコトコと歩きだし、愁も彼の
ポリ缶を持ち、眼の前で揺れるポニーテールを追いかけながら、
“なんか……懐かしいような……初めて会ったのに……髪型のせいかな……? ”
やはり落ち着かない様子でついていく。
「ほんとに、ありがと……助かったょ……」
トランク内には少々の工具と掃除用品が散らばっていて、それらをどかしてポリ缶を載せた。きっと激しい横Gのせいで、何度整頓してもこうなるんだろう、愁は車体の流線型をまじまじと眺め、そういう種類の車なんだと納得した。
「凄いね♪ 僕なんて、ほとんど引き摺ってたから……」
“見た目に寄らないと言うか……こんなに大人しそうな人が……この赤いシルビアの……”
「ぁ…あのさ……もし、良かったら……」
“もっと話していたいな……初めて会った人に……こんな事思うなんて……でも、俺なんかがそんなこと言ったら、変に思われるし……”
「ね、ねぇっ! 」
「はッ……はいっ!? ごめんなさ…ぃ…見とれてしまって……ぁう……」
「はぃっ……!? 」
美男の手を握ったときから、その美姿を見るだけで胸がきゅんと痛くなり、愁はその堪えようのない痛みに翻弄され、つい本心が漏れ……
「ぁの、車……そう! 実はさっき、うちの車の後ろ走ってるの見ちゃって……カッコいいなって……」
誤魔化すが、あまりの恥ずかしさに顔から火が出そうだと愁は心の底よりそう思った。
「ぁはっ……な、なんだ……この子のことか……てっきり僕は……」
「え……? 」
「あっ!? ……な…なんでもない……嬉しいょ、この子褒めてくれて……お水も運んでもらって……」
トランクを閉じながら、車体の色が反射したような真っ赤な顔色で話を続ける美男、きっとこの後、「じゃあね」か「気を付けて帰ってね」と別れの挨拶をして、車に乗り込み
二度と会えなくなる。
「そのお礼に……ぁ、朝ごはん、まだだったら……うちのお店で食べていかない……? 」
「はッ!? えと……いや、そんな大したことしてないですし……と、父さんも……」
愁がそう思った矢先の予想外の話の展開。
誘ってもらえて嬉しい筈なのに、何かに落ちかかって口がまともな言葉を出させない、
「良かったら、お父さんもいいよ……一人分も二人分もそんな変わらないし、大したもの出せないけど……」
「ありがと……ございます……少し父さんに……
相だ……ッ!? 」
「俺を呼んだかッ!! 」
そんな状況を打破してくれるかのように、
いつの間にか父は横に居て、仁王立ち気味に立っていた。
「はっ!? こ、こちらが君のお父さん? 」
「ぁははっ……はい……」
普段なら、少しくらい離れていても気配で
気づくものが、心が落ち着いてない今なら
眼の前に立たれても暫く気づかないんじゃないかと本気で思った。
初対面の美男に至っては父に驚愕し過ぎて
固まっている。そんな二人を気にせず、
「ははッ!! やはりなっ! さっきは興味も無さそうな態度だったが、照れ隠しだったんだなっ!! 」
腕組みをした父は、息子の事などお構い無しにシルビアを横目にし嬉しそうに喋る、
「ようしッ!! 今日は祝いだっ!
昼から会社に顔を出そうかと思っていたが、休むっ! 早速、家に帰って頭〇字Dの覚醒・闘走・夢現を親子で観しょ……ぐっ!? 」
「父さんッ!! 説明するから……」
父 涼介の口をしっかりと塞いだ。愁や家族はもう慣れた涼介の迫力ある怒号に近い喋り方に初対面の彼は怯え、さっきとは別の意味で泣きそうな顔をしている。
「あっ……怖がらなくても!? これが普通ですから、気にしないで……」
「ぁ……う……ほ、ほんとに……君の……お父さん……? 」
か細い声で言われ、込み上げてくる恥ずかしさに「実は他人です。」と本気で言ってしまいたくなる。状態を理解した涼介も泣きそうな彼を見て、さすがに反省したのかコホンと咳払いをし
「怖がらせたようで、失礼した。 昔、預かったのに色々と似ていたので興奮してしまって……」
「ぁは、い、いいですよ……僕が臆病なだけですから……」
「ほんとに、ごめんなさい。父さん、どうするの? せっかくの……」
「うむ、せっかくの御厚意だ、しかし俺は何もしていないし、御相伴に預かる立場。お前が決めて良いぞ。」
「えっ……と、じゃあ……」
愁は父から美男に向き直り、その魔性とすら思える魅力に膝から崩れそうな己をどうにか抑えながら、
「お言葉に……甘えさせてください…… 」
精一杯に答える。美男は怯えた表情から
一転、愁の返事に瞳を嬉しくてたまらないと言うようにキラキラと輝かせ、
「うん♪ じゃあ……えっと……あっ……君の
名前……教えてもらってもいいかな……? 」
「名前……俺、愁……河邊 愁です。遅れましたけど、初めましてです……」
「河邊 愁君……こちらこそ初めまして、僕は葵……涼風 葵です。」
“涼風 葵さん……葵さん……”
小さな顔を笑みいっぱいにして名前を呼ばれた時、心を占領しようとしている、この
感情の正体に気づく、
“俺は……きっとこの人に……”
それは初の恋と。
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