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第十五話 弟の心、兄知らず

ピピピ……ピピピ……ピピピ…… いつも通りのアラーム音、目覚まし時計はいつも通りに二本の針で四時を指している。 ずいぶん長く眠った感覚があり、身体は心地よく痺れていて、 「ぅ……んっ…………」 「起きた……? 」 いつもの通り添い寝している凛の聞き慣れた声に少々棘を含んでいるように聞こえ、 「んっ……おきたけど……りん……どうかした ……? 」 眠気の残る瞼をこすり、ジワジワと鮮明になっていく視界…… 「別に……」 いつも可愛らしい凛、今は何故か眉間にシワを寄せ頬を膨らませている。 “おれ……何かしたかな……? ” 「ぷんッ! 」 わざわざ声に出し不機嫌さを体現するようにゴロッと背中を向ける、 “昨日は別に……家に帰ってきてからも一緒に何本か映画見て晩御飯の後、みんなでチョコを食べて……そういえばチョコを食べてる時から少し不機嫌だった気も……” 多感な時期であろう弟、思い返し考えてみても全く検討もつかない理由、ただその猫のように丸まった背中からは機嫌の悪さを感じ、 「兄ちゃんなにか凛に悪いことしちゃった? それなら謝るから……」 「知らないもんっ……兄さんのッ……」 ギュッ…… 同時に寂しさも感じる丸まった背中を、落ち着かせるように優しく抱きしめる。 ゲームで言えばフラグのようなものは全て回収し、本来昨日起こる予定のイベントが一切発生せず、今日はそのせいで起きてからずっとモヤモヤして心が兄に背を向けさせる。 “おかしいよッ! 僕の予想ではあんな一家団欒でチョコを食べるんじゃなくて……二人っきりでアーンッとかしたりされたりしながら、 甘い雰囲気になって……兄さんから愛の告白 ……僕は恥ずかしがりながらちょっと拒否して、でも受け入れて……そしてお互いの唇が……みたいなッ……” 「兄ちゃんなにか凛に悪いことしちゃった? それなら謝るから……」 “何それッ!? そんなんじゃないもん…… 僕が……折角、奥手の兄さんの為にこんなに 告白しやすい状況を作ってあげたのに…… 台無し……もぉ、意気地無しッ……” 「知らないもんっ……兄さんの……あっ……」 ギュッ…… 愁に対して何か文句を口にしようとした丁度その時、背中に優しく心地良い温もりを感じ、わき立つような快感が全身に走った。 「凛……そんな言い方……やめてよ、兄ちゃん謝るから……ねっ、お願ぃ……」 まだ両親も起きていない時刻、ベッドの中での会話は声が小さくても聞こえるよう耳元に優しく囁く……それがすっかり当たり前のようになっている兄、 「はッ……んぁ……またぁ……耳にぃ……」 おかげですっかり敏感になった耳元で謝られれば、あったはずのモヤモヤは魔法のように溶けて無くなり、何の文句も浮かんでこなくなった。 “ぃ……いっつもこんな感じで流されてる気がしゅる……ッ……けど、今日は負けないッ! 僕は流されないぞっ!! ちゃんと……聞くんだッ!!! ” 「べ……別にっ……それより……告白はどうしたのさッ……ぼく……聞いてないんだけど……」 「告白って……それは、今日……仕事が終わってからで……」 「ふえッ、そうなのっ? て、てっきり昨日の夜してくれるものだと……」 「さすがにそんなすぐには出来なぃ……ょ、 心の準備とか……」 “な……なんだ……そうだったんだ……♪ 急ぎすぎてただけで……” 「それに、電話でとか失礼だから……」 “でも、心の準備ってなんだろ……? 昨日パン屋さんでもしっかり準備出来てた気がするけど……あっ、それよりも僕……兄さんにイジワルな態度とっちゃって……” 「だから、今日の仕事が終わってから」 “えッ!? ちょっと聞いてなかったっ……聞き直すのも雰囲気壊しそうだし……とりあえず仕事終わってから……今夜ってことで、良いんだよね……” 「ぅ……うん、期待してるし応援してるよ……兄さん……気持ち全部伝えてね……」 「ありがと、ごめんね……俺がハッキリしないから、凛をイライラさせちゃってたんでしょ? 」 「ンッ……♡ そんなこと……ないょ……ぁ…… 僕こそ、ごめんなさ……ぃ……はぅ……♡ 大好きな兄さんにイライラなんて……ッ……しないし……ありえにゃ……ンッ♡ 」 わずかに強まる抱擁。言葉で耳を愛撫され甘く痺れる身体、歯を食いしばって我慢しようにもしきれない声が漏れだし…… 「クスッ……良かった……可愛い凛に嫌われたら、これから兄ちゃん生きてけないよ……」 「ハァ……ァ……♡♡ 」 “そ、それってもう一生僕と離れたくないってことじゃないのッ!? もっ、もうこれは恋人を通り越して夫婦の……あぁ……想像するだけで……” 頭がクラクラする。考えに考え、練りに練り、何年もかけた計画は見事にハッピーエンドで成就しようとしている、 “毎日会社から疲れて帰ってくる兄さん…… 僕は玄関でそんな兄さっ……ううん、しゅ……愁を優しく出迎えるんだ……定番だけど、ご飯にする? お風呂にする? それとも……♡♡ みたいな……” 「凛……? 」 「エヘヘッ……♪♪ 」 目を閉じると、うっかり妄想の穴に落ち込んでしまい、凛は抜け出せないでいる。 “お休みの日はのんびりデート……遠出なんかしない……近所にお買い物するだけでも デート……僕の手作り弁当を持って公園でも……あっ! でも貯金して、たまには旅行とか……” 海月(くらげ)の傘みたいに淡く光りふくらんでいく幸せな妄想、数も八月の海のように多く、 ツン……ツン…… 「旅館……和室……お布団までガマン出来なくて……畳の上で……はッ!!? 」 「気づいた? 」 「えっ!? ぁ……あれ? 」 頬をつつかれるまでは尽きなかった。 しゃがみ込み、ホッとしたような笑顔を浮かべる愁はいつの間にかランニングウェアに着替えていた。 「ボーッとしてたけど、大丈夫? 」 「はぅ……あぅ……だ、大丈夫です……ちょっとトリップ……じゃなくてっ、考え事してただけ……」 「そっか、それなら兄ちゃんちょっと行ってくるから凛はゆっくりしてて……じゃあ」 両親に気を遣い足音もたてず部屋を出ていく愁、ボーッとして背中を追う事も出来ず声もかけられず、 “もぉ……たまには走るのやめて、その分昨日みたいにいっぱいギュッてして……ヨシヨシもついでにしてくれてもいいのに……でも……” 一人部屋に残された凛は布団にくるまり、 ポフッ……と枕に顔を埋め、 “ん~っ♡ 兄さんの温もり残ってる……それに、ちょっぴり甘酸っぱぃ……いつもの兄さんの残り香……” 香りを鼻でゆっくり吸い込む。先程まで耳元で甘く囁かれ、抱きしめられていた凛にとってこの残り香は媚薬のようで、 「スゥゥ……ハァ……良い匂いっ……♡ 」 “抑えきれない……昨日もあんなにしたのに…… 身体にも兄さんの腕の感触がまだ残ってるし……” 「ハァ……♡ 兄しゃ……好き……大好き…… ンッ……♡ スゥ……ハァ……ハ……ァ……」 どうしようもなく昂っていく愛欲に呼吸を乱す。愁の香りも体温も逃さないよう布団を頭まで被り枕に埋まる顔は、真っ赤になってトロンと蕩け、 “兄さんの匂い……温もり……感じるだけでイッちゃ……ぅ……もう習慣になってりゅ……朝からこんなこと……ダメなのに……” 熱い吐息、下腹の奥から段々と込み上げてくる熱に身体は震え、火照り、 「ハァ……ァ……ッ♡ 」 “兄さんのせい……いつも……こんなエッチな匂いさせてっ……堪えられないんだから……” 汗が吹き出し悶える。汗で貼り付くシャツを捲り、しっとりと濡れた肌を指先でなぞりながら押さえつけるように愛撫し、 「ンッ……フゥ……ンッ……」 まだ子供らしさの残る細く綺麗な指先は、その印象とは正反対に熱の中心へと這っていく。 「ハァ……ンッ……兄さ……もっと……ゃ……優しくしてくれなぃと……ぼく……ハァ……アッ……」 瞼を閉じ見える愁は現実とは全然違い、官能的で荒々しく凛を求めているようで…… 「そんな……ァ……広げちゃ……全部見えちゃぅ……恥ずかし……ぃ…… ♡ 指じゃなくッ……」 妄想の中の愁に身を委ね、ベッドの上で小さな嬌声を漏らしモゾモゾと悶えもがいて時折鳴る水音、日常となったこの行為は愁がランニングから戻るまで続く。 通勤ラッシュもスタートしていない駅の ロータリー、スーツ姿の通行人がまばらに改札を抜けていくのを横目で見送りながら腕時計で時間を確認すると針は六時を指している。 “さすがに早すぎたかな……? ” 再度告白を決意した時から心がフワフワと落ち着かず、普段よりも早めにロータリーのいつもの位置で膝を震わせ、 “今日だ……今日で、なんだか俺の人生の全てが決まる気がする……” 体がすくみ上がるような堅苦しい気詰まりを感じながら、手には昨日購入したアップルパイの紙袋を提げ、葵を待っている。 「ハァ……」 “こんなに緊張するの……初めて……一度無かったことになった告白をまた蒸し返すみたいで……前より全然……緊張も段違いだ……うんん 、凛がアドバイスしてくれたんだから……” 「クスッ……♪ 」 考えれば考えるほど気圧され緊張で強張っていた表情は、不意に思い出した弟の姿に、表情に、声に癒され解れていく。 “今朝も可愛かった……” ランニングから帰ってくると、汗が染み込んでいるであろうベッドシーツと掛け布団のカバーは浴槽で湯に浸かっていて、 “俺のベッドなんだから、俺がするのに……” シーツを浸け終わり浴室から出てきたところでばったり遭遇した凛はギョッと、まるで悪戯がバレたような気まずそうな引きつった笑みを浮かべ、そそくさと自分の部屋へ戻って行った。 “あれは気にしないでってことなのかな? 気遣いの出来て、やさしい子だから……最近はよくシーツも交換してくれる……俺の部屋のゴミ箱も綺麗にしてくれるし……スプレーで消臭までしてくれて……っと” ブォォォォ! プシュ……フォォォォッ…… 凛の事を考えていると、いつもの遠くからでも分かる葵の車のマフラー音が聞こえ、時計を確認すると六時二十三分、上がった手の中では知らない間に汗を握っていた、 “来たッ……あぁ……早い……もう少し心の準備が……まずどのタイミングで言えば……やっぱり今着いた時っ……のはずッ……凛っ、結果は分かんないけど兄ちゃん頑張るからッ! ” それでも胸の中で決意をし、凛に与えられた勇気と自分を信じ、葵の到着を待ち構える。

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