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第十三話 約束の休日 ③

レジカウンターの横にあるパン屋にしては大きめなショーケースの中には、どれもこれも眺めているだけで不思議と楽しい気分にさせてくれる見た目も鮮やかで美味しそうな自家製チョコレートや焼き菓子たちが、行儀良く並べられている。 “うん……ちょっといい値段になっちゃうけど、凛には元気もアドバイスもたくさん貰ったし……奮発しちゃおうっ! ” 「フフッ……♪ 」 店員の見当たらないレジの前、屈んでショーケースの中身を眺めながら弟の喜ぶ顔を思い浮かべると、つい口元はほころんでしまう。 “チョコレートであんなに喜んでくれるなんて、俺よりも考えが大人だと思ってたけど……” まだ子供らしい所が残ってくれている……そう思うと兄としては一安心……そして…… “今朝は一瞬……ドキッとさせられたけど……あれはきっと寂しかったから、甘え過ぎただけ……涼風さんのことばっかり考えて、大切な凛に寂しい思いをさせるなんて……” 可愛い弟を蔑ろにしていた後悔が、トゲとなって胸をチクチクと刺す。目の前のチョコレート達は凛に対するせめてもの贖罪の宝石でもある。 “これからは兄ちゃんとして、ちゃんとしないと……凛には、ずっと笑っていてほしいし……” 心の中で意を決していると、ショーケースの前に立つ愁に気付いた店員が「あっ!? 」と声を上げ、慌て販売スペースの方から風のように駆けてくる。 「す、すんませんっ!! お客さんッ、ちっと掃除してて……アヘヘッ、お待たせしましたッス、お決まりっス……じゃねぇ……お決まりですか? 」 あからさまに不慣れな敬語。しかし明るい声のせいか嫌な気はせず逆に愛嬌すら感じさせられ、 「クスッ……♪ えと、ショーケースの中のチョコ、ここに並べてあるの全部……三つずつでお願いします」 微笑を漏らしながらショーケースの中に並ぶ小さな十数種類のチョコレート達を注文する。弟との約束、更に食欲と性格を理解していればこの注文は妥当であり必然であり、店員に「まッ!? 」と驚きの声をあげさせるのも当然で、 “と……凛の分と、あと母さんの分と……一応父さんの分もあるし……ぁ……あと、涼風さんにも……アップルパイ、美味しそうだし喜んでくれたらいいな……” 「このアップルパイは、ワンホールお願いします…… 」 葵への気遣いも決して忘れない。一週間ぶりに綺麗で、可憐で、可愛い笑顔を見せてくれるかもしれない……という愁の期待が、この アップルパイにはこもっている。 「わぁー、スゲーッすねッ♪ 太っ腹…… てっ!? いけねッ、また……」 妙に不慣れな喋り方に失礼と思いながら同時に可愛いとも思ってしまい「フフッ……♪ 」と、また笑い声が漏れてしまい、 「ぁ……すんませんっ、オレの喋り方ッスよね? 変っしょ? まだ入ったばっかで敬語とかよくわかんなくて……失礼なことばっか……」 初対面の店員をシュン……とさせてしまう。 「あっ……いえ、そんなつもりじゃ!? 」 刈り上がった襟足だけが黒く、絵の具で塗ったような派手な金髪、褐色のまるでカフェオレみたいな肌……そんな軽そうな外見からは想像も出来ないほど素直に謝り頭を下げる店員に、妙に気まずいものを感じ、 「た、ただ一生懸命でカッコいいなぁって思ってつい……」 本心をほんの少し偽って、ニコッと笑ってみせた。 “きっと年上の人だよね……あぁ……嘘ついちゃった……本当は可愛いって……でも、言ったら失礼だし……” 「アヘヘッ……カッコいいなんて、そんな……でも嬉しいっス♪ ありがとうございますっ ♪ 」 褒め言葉を素直に受け入れてくれた店員。 申し訳なさそうな態度から一変、見せる人懐っこい笑顔は、嘘が苦手な愁の良心をチクチクする。 「ご注文は承知しましたんで、ちっと……ちょっと……ッえと……少々お待ちくださいッスっ! 」 「え、ええ……お願いしますっ」 「はいッス♪ アへへッ♪ 」 「アハ、ハ……」 “喜んでくれてるなら……良かった……かな…… それにとっても良い人みたい……” 彼の明るくキラキラ光る笑みは、嘘をついた後ろめたさを薄れさせ、話をしていると初対面のはずなのに、まるで昔からの友達のようで心地が良かった。彼はニコニコと器用な手つきで小さかったり繊細なデザインだったりするチョコレート達を綺麗に箱へと詰めていく。 レジの前に会計を済ませ待つ若い客の注文通りに、商品のチョコレートを箱へと詰めていく……レジでは当然の仕事、仕事だがいつもより数が多い、圧倒的に多い。 “ぷひぃっ……大変ッス……それでなくてもこの店客多くて面倒くせぇのに、今日なんかメロンパン焼き上がった途端に二回も売り切れるし……ぁ……ひょっとして例の……” 「すいません……量、多くて大変でしょ? 」 「あはッ……分かっちゃいま……っ……じゃね、そんなことないっスよ、余裕ッス♪ 保冷剤も多めに入れときますんで」 「クスッ……ありがとうございます、店員さん♪ 」 思った事をすぐ口に出してしまう悪い癖に我ながら呆れてしまう。若い客はそんな自分に怒る事も、注意する事もなく、優しい口元に薄笑いを浮かべている。 “はぇー……この子、明らかオレより年下っぽいのに余裕な感じ……それにスッゲェキレーってかテーネーな言葉遣いで……なんかこっちが接客されてるみたいっス……” 普段から似たような年齢層の客を何十人も相手にしている……が、目の前にすらりと立つ彼には他とは違う何か特別なものを感じている。 “それにスッゲェキレーな顔……優しそうだし、女の子とかこういう子に弱いんじゃねッスか……ッ……いけね……真面目にしねーと、今度こそクビにされちまうッス……” 男から見ても恋愛感情をもってしまいそうな初々しい美少年、そんな彼に見とれそうになりながらも手は止めず、ショーケースの中に並ぶ様々な菓子をトングでヒョイヒョイと、各々三つずつ紙の箱に詰めていく。 “でも……なんか気になるッス……見た目もッスけど、雰囲気……柔らかいっつーか……ちっとだけ聞いても……” 「ぁ……あの、お客さんなんか接客とかしてるんス……でスか? 」 「ええ、一応喫茶店でバイトですけど……」 「あ~やっぱりッスね♪ 話し方とか丁寧だし、そうじゃないかなーって思ったッス、アハハッ………ハッ!? 」 素の喋り方に戻っていた。この店に勤めだしてからの一ヶ月と少し、馴れ馴れしい態度や、喋り方等々が理由で客からクレームを言われなかった日は皆無に等しく、軽くトラウマになっている……彼にも、そろそろ文句を言われるのではないかと不安が頭をかすめ、 “いっつも……いっつも……こんなんだから…… また怒られるッス……” 「あの、何回もすんまっせん……オレ……馴れ馴れしくて、ホント……気をつけますんでッ!」 怒られる前に謝まり、パチンと両手をあわせ頭を下げる。「クスッ……♪ 」と笑う声が聞こえ、恐る恐る頭を上げると物腰柔らかで穏やかな顔つきのままの彼、 「謝らないでいいですよ、気にしてませんし……普通に喋ってくれた方が気楽で、俺は好きです」 落ち着いた声から与えられる安心感に眉が晴れ、心をホッとさせてくれる。 「はぇッ!? ぁ……あ、そう言って貰えると助かるッス……アヘヘ♪ 」 「アハハッ……♪ それに少し懐かしいです、俺も初バイトの日は接客とか分からなかったので、言葉遣いも変だったと思います」 「へぇ、意外ッス……全然そう見えないッスねー、ちなみにどっかここら辺の店ッスか? 」 “優しいッス……この子と話してると……気持ちが安らぐっつーか……癒しのオーラでも出てるんスかね? ずっと話してたくなるッス…… ” 「あぁ、お店は白銀山の峠道の中腹辺りで……こちらから見たら右側の日向って……」 会話をしながらでも手は動いている、謝罪で無駄にした時間を取り戻すよう普段よりもテキパキと、三つ目の箱にお菓子と多めの保冷剤を詰め終わった所で、聞き覚えのある店名にピンときた。 「あっ、そこ知ってるッス! この辺じゃちょっと話題になってる珈琲屋さんっしょ? 」 「えっ……何で知ってるんですか? 」 「なんかぁ、玉子サンドと、ちょっと可愛いだか格好いいだかの店員さんがいるって、お客さん同士で話してるの何回か……ッ……あッ! そういうことッスね……」 「はいっ? 」 合点もいった。彼を見ていると頭の中で不思議にパチパチと火花のようなものがはじけ、はじけ続けた熱がたまり頬を赤くさせる。 “噂になるはずッス……こんなチャーミングな子が店員で、オレだったら常連にっ……じゃなくて……” 「ぃ……いや、とにかく有名なんスよ、オレも時間があったら弟と一緒に行きたいなーって思ってたんス♪ 」 “あれっ……この子にオレ……いやッ!? 無いッス無いッス……いくら美形でも男の子ッスよ? ただ、もうちょい仲良くなりたいってちっと思ってるだけッス……ょね……” 「弟さんいるんですね、うちと一緒……フフッ……♪ ここのメロンパンが大好きなんです、だから今日も」 「マジっスか? お客さんの弟ならスッゲェ……ん? メロンパンって……」 「兄さん、何話してるの……? 」 見覚えのある顔、この店で働く者なら誰でも知っている……顔に似合わず大食いで、来店すればメロンパンのトレイが更地になる事で有名な少年。 “さっきテーブル席から聞こえたデケェ声……やっぱ来てたッス……更に納得ッス……このチョコの量……” 週に一度、夕方に来店しテーブル席に座り何かしら物思いにふけっていたかと思えばメロンパンを凄まじい早さで食べ、食べ終われば頭に浮んだ考えを整理するかのように呟き続ける……店員の間で噂の美少年。 “パートのおばちゃんの話じゃ……兄さんが何とか……禁断が……って呟いてたって……その兄ちゃんが、この……” 「んっ……終わってるよ。ごめんね待たせて、少し店員さんと話してて……」 「うんん、待つのは全然……だけど兄さんと離れ過ぎちゃうと僕、寂しくて……」 恋人のように肩をくっつけて寄り添い母猫に甘える仔猫のようなか細い声で訴えられる兄は、 「よしよし、もう寂しくさせないから…… ねっ? 」 「ぁ……兄さ……んっ……♡ 」 あやすように弟の頭を一撫で、撫でられた弟は気持ちよさそうに目を細めている。 “はぁ……羨ま……オレもあんな……見詰められただけで蕩けちまいそうな笑顔を独占して甘やかされたいッス……じゃなくてッ…… ” 「あっ、」 弟をあやしていた兄は笑顔のまま、思い出したようにこちらに向く、まるで優しさのお裾分け……弟に向けられた愛情を自分にも向けられたような錯覚にドキリとして、 「店員さんさっき言ってた弟の凛です、凛、こちら……」 「え……あっ!? 黒木……黒木 瑠花(るか)ッスっ! アヘヘ……店員さんって堅苦しいんで、名前で呼んで欲しいッスっ! 」 早口言葉で自己紹介を済ませた。 「顔だけは知ってる……黒木さん……初めまして、河邊 凛って言います……」 年上の瑠花に緊張しているのか、人見知りなのか凛は小声で言いながら兄のシャツの裾をキュ……と小さく握っていて、言い終わると兄の身体を盾に隠れる。その小動物的な可愛いらしさは見ていると胸がキュンと締め付けられ、とても噂されているような少年とは思えない。 “凛君は凛君で、マジ可愛いくて……オレも自分の弟に会いたくなっちゃうッス……まぁ、うちの弟のが超可愛いッスけど…… ” 「ヨロシクッス……と、あと……すんません、こちらお待たせしましたッス」 「わぁぁ~♪♪ 」 ほぼ初対面な瑠花に人見知り、彼から離れ寂しいと呟いていた凛はレジカウンターに置かれた紙袋を見るや表情がパッと明るく光り、 「やったぁっ♪ 兄さん、ありがとっ……こんなに沢山……嬉しいっ」 「全部食べちゃダメだよ、父さんと母さんへのお土産も入ってるんだから……ねっ? 」 「わ、分かってるょ……そんなの当たり前じゃない……エヘッ♪ 」 子供のように甘え無邪気な笑みを浮かべて、寄り添う凛に絆される彼、 「フフフッ♪ じゃあ、行こうか? 」 「うんっ! ぁ……他にもちょっとだけ行きたいとこあるんだけど、いい? 」 「いいよ、兄ちゃん今日は凛の行きたいとこ、何処でも付いてってあげる」 「やった、ありがとッ兄さんっ♪ 」 “カッコいぃ……それに優しくて……会って ちっとしか経ってないのに、今帰られたら寂しいとか思っちまってるッス……こんな気持ち初めて…………じゃねっ!? 流石に仕事に 集中しねーとミスってまたサービス残業させられちまう……集中……集中……別に彼が帰っても平気ッス!! ” 可愛い弟に向けられた彼の優しい微笑みの引力に、カウンター越しに瑠花の心までもしっかりと引き込まれ、 「あ、ありがとッございましたぁ……と、入口までお持ちするっスよっ! 」 生まれたばかりの彼への淡い気持ちに瑠花は気づかない。気づかないと言うよりは知らない、知らないが、その気持ちは紙袋を持とうとカウンターに手を伸ばしていた彼よりも速く手提げを掴み、普段しないようなサービスまでさせ、 「いえ、そんなことまで……」 「いいッスッ! 普段通りッスからっ! 誰にでもしてるんでッ! しないと怒られるッス!! 」 と下手な言い訳をさせながら、カウンターから飛び出させ、兄弟の前に立たせる。 “分かんないッ……分かんないッス、なんでこんなに気になるのか……でも、そんなことよりも……近くで見ると……めちゃくちゃカッコいいし……” 「あの……黒木さん? 」 「へあッ!? すんまっせん!? お見送りさせてもらうっスッ!! 」 うっとりと眺めてしまっていた。手提げ袋の中のチョコレート達が溶けてしまうんじゃないかと心配になる程度には心が、身体が熱気を帯びている。 「こ、こ、こ、こっちッスッ! 」 理由も分からない動揺にギクシャクしながらも、レジの前から入口までの短い距離を先導する。凛は次の場所へ早く行きたいのか先に外へ出て、 「兄さん早くーっ♪ 」 陽射しに負けない上機嫌で兄を手招きしている。凛の子供のようなあどけなさに手を振り返す兄は、 「はいはい……ほんとに可愛いんだから……って……こんなこと他の人の前で言っちゃって……ハハッ……すいません……」 弟に甘い事に対して照れるように頭をかいた。少年らしさの残る初々しい仕草は別の角度から瑠花の心を刺激し、 “やっべ……可愛い! 可愛いッス……” 「ァ……アヘヘッ……お兄ちゃんってそんなもんッスよ……は、はいこれ気をつけるッスよ、保冷剤多分一時間がいいとこなんで……」 「はい……ぁ……」 「ぁ……」 紙袋を渡す指先が触れ、それだけで彼を見るたびに高鳴っていた胸が息苦しいほど甘美な気分に捉えられ…… 「ありがとうございます、それだけあれば 多分大丈夫ですっ……」 「あっ……ちょっ待っ! ! 」 「えっ……? 」 思わず声を張り、その手を握ってしまう。 “なッ!? オレ……なんてことしてッ!? ” 「黒木さん、これは……? 」 瑠花自身にも分からない、頭をフル回転させ言い訳を考え、 「えーっと……えっと……これは……そ、そう ! また来て貰えるようッ……じゃねぇ……ぁ……の河邊君の下の……名前……を……まだ……聞いて……」 緊張した瑠花は客観的に見ればおかしかったのだろう、掴まれた手はそのままに空いた手で口元を軽く押さえクスッ……と笑い、 「愁です、」 「ッ!? 愁……愁君ッスねーッ♪ 」 「はい、あと手を繋いだままは少し恥ずかしいかもしれません……フフッ♪ 」 「あっ!? す……すんませ……オレッ……」 微笑みを浮かべたままの愁に冷静に指摘され引力に抗う思いで手を離し…… 「ぁ……あの……」 「ねぇー兄さーぁん、流石に暑いーっ! 」 何か喋りかけようとした時、凛の声が表から聞こえてくる。汗で湿って胸元に貼りついたTシャツを引っ張り、風を通す大袈裟なジェスチャーで暑さをアピールしている。 「はぁーいっ、すぐ行くからっ……アハハッ……すいません弟が呼んでますので、」 「こっちこそ足止めさせて、色々すんませんッス……また、またの御来店待ってる……ます……です……ぁ……」 「クスッ……♪ また寄らせてもらいます、では……」 愁は軽く会釈をして店を出ていく。最後くらいは年上らしく敬語で見送ろうとした瑠花、しかし言葉が上手くまとまらず、相変わらずのしどろもどろ、だがそのおかげで愁の笑顔をまた見れた、 「是非是非ッ! また来て下さいッスーッ!!♪ 」 そう思えば悪い気もしなかった。瑠花は店先に立ったまま遠退いていく兄弟の背中に大きく手を振り見送る。 “愁君……愁君……♪ なんスかね~愁君の笑った顔を思い出すと、胸の奥が温かくなるっつーか……とにかく……” 「おーいっ! 黒木っ! お客様待ってるんだからっ! 早くレジに戻ってっっ!! 」 愁を思い浮かべると幸せに似た出会ったことのないような感動に心が包まれ、ついボーッとしてしまっていた。そこへカウンターの奥の調理場から他の客がビクッとする程の店長の大声が響き、振り返ればレジの前に会計待ちの列が出来ている。 「あっ……やべッ!? すんませーんっ! すぐに会計しますんで……」 注意される事には慣れている瑠花。レジ前で待つ客と調理場の店長に頭を下げササッと持ち場へ戻る、口元は誰にも分からないよう、嬉しそうにほころんでいた。 “また、絶対来てくださいッス……愁君……♪ ” 愁に対するこの胸が幸せに締め付けられる不思議な感覚がなんなのか、経験のない瑠花にはまだ分からない……分からないが今日一日どんなに怒られてもへっちゃらで幸せな気分で過ごせる……瑠花の頭の中でそれだけは確かとなった。

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