17 / 30
第十七話 葵・慕情 ②
窓からの日差しが柔らかい赤みを帯び、厨房をわずかに橙色に染める。午前中から絶える事なかった注文も落ち着き、客室から下げられた食器も洗い終わり、売上表も殆んど書き終わって、
「はぁ……」
“この時間……最近苦手だ……”
ポツンと時間が空く。忙しく働いていれば何も考えなくていい、しかし一度暇が出来ると
待ってましたと言わんばかりに押し寄せる悪い想像に頭の中が侵略されてしまう。
“あのお菓子……なに? 河邊君……
やっぱり、ここを辞めようとしてるのかな……”
お菓子というのは葵の中で、おめでたい時か別れの時に渡す物、そういう認識になっており、不幸にも今おめでたい事が無い……
“河邊君と離れるなんて……やだッ……でも……止める理由なんて……僕には……”
考えれば考えるだけ悪い方へと進んでいく
妄想の残酷さに、瞳の潤みが溢れそうになっている。
“お仕事……終わったら、お話しよう……”
初めて出会った日、愁に淡い恋心を抱いた。
一緒に働きたいと言われた時は天にも昇るような気分になり、考える素振りだけして心の中では即決だった。もう一度彼に会えると思ったら胸がざわめいて、その日は何をしてもうまく手につかなかった。
一緒に働きだしてからも、新しい魅力を発見するたびに胸がキュン……とさせられた。
仕事を覚えようと一生懸命な姿も、純粋で素直で、愁が同じ空間に居てくれるだけで周囲の景色が明るくなり、一日彼に会わないだけで何か大事なものが足らない気がして胸が軽く疼いた。
“河邊君は……やさしいから、きっと……ぁ……”
彼が笑うと顔にゆったりとやさしい表情が出て、見つめているだけで心は蕩け、年上なのに甘えたくなり、そのやわらかな温もりに包まれてしまいたくなった、
“また……僕…………”
そんな彼の、これからも増えていくであろう魅力の一つ一つに気づき惹かれていくたび、身体も素性も汚れきってしまった自身を顧み……
“ごめん…………ごめんね……僕、また君に甘えようとしてる……”
恋する事すらおこがましいと一歩引いて、それで良いと葵は思った。一つの経験として消化して、上司として先輩として、年の離れた友人として愁の傍に居れればそれで幸せのはずだった。
“君に、返事も出来なかったくせに……”
あの日、気持ちを伝えられ応えられなかった事がどれだけ愁を傷つけたか、その事を思い出さない日はなく、考えただけでナイフで胸を貫かれたような痛みと苦しみに毎日襲われた。
“僕に……君を引き留める権利なんてないよね……辞めたいって言われたら……素直に……”
「うぅ……」
“もうすぐ……お店……終わるのに……河邊君が……ここに来ちゃうのにっ……”
声をたてて泣きたくなる衝動をグッと抑えても頬を涙が伝う、無情にも客室からは次々と会計を終え店を後にする客の足音や話し声が聞こえ出し、
「ぁ……ぅ……ど、どうしょ……ぐしゅ……どうしたらッ……」
追い詰められたような心境が焦燥感を煽る。
涙でボヤける視界で厨房をキョロキョロと見回し使える物を懸命になって探す、
「こ、これッ……! 」
葵は何かをひらめいて、即座に水道の蛇口を力一杯に掴む。
沈みかける夕日を浴びて、茜色に染まる
テラス、会計を済ませた本日最後の客を店の外まで出て見送る愁。
「ねぇ……河邊くーん、お店もいいけど……
木曜、お休みなんでしょ? だったらぁ……♡
」
「ぁはは……すいません、休日は色々と……」
爪を磨ぎすました野獣のように愁とお近づきになれる機会を待っている女性達、チャンスはここしかない。一番最後になった者だけがテラスで愁と二人っきりになれて他の者は邪魔をせずその日は立ち去る、愁も葵すらも知らぬところでいつの間にか出来た女性客同士の暗黙の掟、今日は茜だった。
「んーっ、照れてるの? そういう子供っぽいとこも可愛い……♡ 」
何者をも圧倒しそうな勢いで迫る茜、一瞬でも油断すると何か、そう何かは分からないが大変な間違いが起こりそうな雰囲気、
「ぁはは……照れてはいないんですけど、休日は夏休み中の弟と出掛けたりしなきゃいけませんので……」
しかし幸か不幸か、そういう分野に疎い愁は臆する事も何かを感じとる事もなく、多くの客と同じように素直に接し、
「つれないんだから……ふふっ♪ まっ……
河邊君のすれてないそういうとこも……」
茜が言い掛けた所で、聞き慣れた古いディーゼルバスのエンジン音が聞こえだす。
「ヤバッ!? 乗り遅れたら帰れなくなっちゃう……じゃ、また来るからっ! 次は……ってもう着てるしっ……」
テラスから道を見下ろすとバスは停車しており、日向の客達が乗車している最中で、
「お気をつけて茜さん、またお待ちしてますっ」
「うん、じゃあねっ! 河邊君っ♪ 」
お辞儀をして頭を上げた時には声だけを残し、茜は風のように階段を駆け降りて行いる。
「やっぱり、子供っぽいのかな……」
ポツリ……と夕日の橙色が一層深まるテラスで呟く愁、
“だから相手にすらしてもらえなくて……返事も貰えないとか……キスだって……俺にとっては凄いことなのに……涼風さんにとっては……”
「ウアァァァァァッ!!? 」
「厨房から……ッッ!? 」
店内から葵の叫び声が聞こえ、心がざわめくと同時に恐ろしい速度で反応した愁は、既に声のもとへと全力で駆け出している。
焦るあまりに蛇口を掴んだ手に力が入り過ぎ、勢いよく噴き出す水がシンクに積まれた皿に反射して公園の噴水のように飛び散った。涙を誤魔化す程度でよかった飛沫、予定の十倍は飛び散って葵も辺りも水浸しとなった。
「ハァ……ハ……びっくりした……」
「涼風さんッ!? 」
カランッ……コッ……
声が外まで聞こえてしまったようで、入口が
バンッ!! と勢いよく開く音よりも、ドアベルの鐘の音よりも速く、大慌ての愁が厨房へと駆けつけ、
「か、河邊君っ!? 」
「ずぶ濡れじゃないですかッ、なんで……」
「あはは、ちょっと水出しすぎちゃって……
びっくりしちゃった……」
「はぁ……俺もです……良かったぁ……大事じゃなくて……」
ホッ……と胸を撫で下ろすと、眉と眉の間が広く穏やかになり愁の緊張が目に見えて緩んでいく、
“こんな僕のことを心配してくれて……
本当にやさしいんだから……”
「心配させちゃった……? 」
「当たり前でしょ、こないだみたいに怪我とか……ぁ……」
「ッ……!? 」
緩んだ表情は一変、気まずく恥じらった視線は宙を彷徨い、
「ッと、濡れたままだと風邪ひいちゃいますから……ぁ、タオル……タオル……」
「ッ……」
厨房の奥にある自分のバッグを置いている棚の方へ歩く。色んな角に身体を強打しながら、
「アハ……ぉ、おかしいですね……急に厨房がその、狭くなりました……」
頭を掻き、分かりやすく動揺している。そんな普段と全然違う愁を見ていられない、自分のせいだと思うと尚更、喋りかける事さえ出来なくなった……
「はい、これ使ってください……」
「ぁ……」
そんな気持ちに上から圧迫され、知らず知らずに俯く肩に、フワリと白いタオルがかけられる。
「ぁは……ちゃんと洗濯して、今日も使ってませんから綺麗ですよ」
「ッ……ありがと……」
一切隠しきれてない動揺を微笑みで誤魔化し、こんな自分を大切に思ってくれている愁。タオルからはいつも密かに嗅いでいた愁の服と同じ香りがして、やさしい気持ちに包みこまれているようで……
「では……俺は、客室の片付けに……」
「まっ、待って……! 」
“出来れば、いつまでも……君と一緒にいたかったけど…………”
どんなに引き止めたくとも、愁にこれ以上苦しい思いをさせたくない、思いたった葵は思い切り、厨房から出ようとする愁を呼び止め、
「は……はぃ……? 」
「今日は……ぁ……僕に……何かお話があるんじゃないのッ……? 」
想像以上に震える声、まばたきの回数も増え、身体を滴る水滴と滲む汗が混じる感触がする……
「えっ……? 」
「ぅ……あるんでしょ……? 」
「ッ!! いいんですか……」
微笑んでいた愁もハッとして、言葉には出さないが覚悟を決めたような、決心したような真剣な表情に変わり真っ直ぐに葵を見つめ、
“君に辞めないで……なんて……都合の良いこと、やっぱり僕には出来ないし……ちゃんと受け入れるからッ…………”
二人の間に息詰まるような緊張が広がる。ネクタイを緩めたいが、両手で胸を押さえていないと心臓が飛び出してしまいそうで出来ないでいる。
「あの時は、すいませんでしたッ……」
「うん……? 」
「その、ずっと謝りたかったんです……了承もなく突然……き、キスまでしてしまって……
一週間も嫌な気持ちにさせて……」
申し訳なさそうに深く、深く頭を下げる愁、頭を上げても言葉は止まらない、
「実は……さっきまで……まだ聞けてない涼風さんの気持ちを聞きたかったんです……でも、俺が子供ッぽいから、そもそも涼風さんの
恋愛対象にもなってなくて……ああっ……そもそも同性ですし……ただ迷惑なだけじゃないかって……困らせているなら……俺の事……嫌いなら……はっきりと言ってくれても……」
思っていた話題と違う。止まらない、憂鬱な、悲しそうな、苦しそうな、手を強く握りしめ普段とは真逆の沈んだ表情、
「僕も、す、好きだよ……河邊君のこと……」
本当の気持ちを伝えないと止まらない。そう確信した後に切り出す言葉は、愁の事を考えると一番最初に思いつき、愁の為に一番隠していなければならない葵の心緒であった。
いくら言葉で打ち明けても、胸の奥にあった心情は半分も伝えられない。弟に教えられた知識をもっても、どんな不確定要素を予測しても、完璧な告白の言葉があったとしても……恋というモノは思い通りにはいかない。
「俺の事……嫌いなら……はっきりと言ってくれても……」
“凛にも謝らなきゃ……せっかく色々教えてくれたのに……でも……やっぱり、俺みたいな
子供が涼風さんみたいな素敵な人と付き合いたいなんて……”
「嫌いなわけ……ないでしょ……僕も、す、好きだよ、河邊君のこと……」
“しかもキスなんてしちゃったから、気まずい空気が一週間も……やっぱり……涼風さんにはもっと大人で素敵な人が……ッ!!!? ”
「えッッ……!!? 」
「ッ……だ、だから……僕も、君が好きだよって……」
一生忘れられない言葉が全身を貫く。
凄まじい衝撃に心臓が止まったような心地で、その場にへたり込んでしまいそうになる
、堪えようとしても無意識に後ろへ一歩退ってしまう……
「ぁ……の……そ、それは……どういうタイプの……す、好き……なんでしょうか……? ぁ……後輩……とか部下……とか友人的な…… 」
その一歩に合わせて葵もゆっくりと前に一歩進む。進む葵も恥ずかしそうに真っ赤に火照っており、白肌に滴る水分は蒸気を上げて乾いてしまいそうなほどだ。
「き、君と……同じタイプの好き……だょ……」
「っっ…………!!?? 」
“涼風さんも……俺を好きでいてくれたっ……てこと……ゆ、夢じゃないよねっ!? 夢なら残酷過ぎる……現実であってッ……夢なら一生醒めないでほしぃ……”
「ぃ……痛ッ……」
火傷しそうなほど熱くなった口や頬を摘まんでみても、幸いにベッドの中ではなかった。
夢でないと理解すれば幸福感がひしめきあうように湧き起こる。手足が軽くなり、心も身体も軽くなったような感覚と、
「そ、それじゃっ……」
“俺と……付き合ってッ……あぁッ、ここから先は……どうしたら……涼風さんにどう言ったら……”
「うんんっ……付き合うとかは……出来ない……
かな……」
突然崖っぷちから突き落とされたような、
抱いていたイメージが音を立てて崩れていくような幸福と絶望のあまりの落差に目眩がして、
「な……なんで……ですかっ……? 」
なんとか絞り出した疑問の言葉に、葵は実に寂しそうに微笑んだ。
「僕は……君が思ってくれてるような人じゃないから……かな……」
言いながら、何を思ったのか濡れたベストのボタン外しネクタイを弛めだす、
「ッ!! 涼風さ……何をッ……」
「あぁ……濡れてるし……ちょうどいいかなって……」
シャツのボタンを一つ一つ、よく見ると小刻みに震える指で外していく葵の声は弱々しく……
「あッ…………」
「ねっ……僕は、君みたいな素敵な男の子に好かれていい人じゃないんだ……」
シャツからはだけた身体……その白肌に残された無数の傷跡を見せつけ、言葉の出ない愁に淡々と語り始めた。
「ふふっ……僕の両親はね……凄く人が良くてね……僕が幼い頃、知り合いの借金の保証人になって……って映画でありがちな話……」
本来なら語る事すら怖いであろう、葵は自らの肩を両腕で抱きしめ話を続ける、
「借りた所が悪どくてさ、法外な利息でどんどん返すお金が大きくなって、知り合いも案の定逃げちゃって……うちはさ……そんな……お金持ちじゃなかったし……父さんも……母さんも一生懸命働いたけど……全然借金減らなくて……」
「涼風さん……それ以上はッ……」
まだ若く世間を知らない愁と言えど、この話を語り続ける事が葵にとってどれ程の苦痛かは見ていれば分かる、分かるからこそ止めようと口を挟もうとするが、
「聞いてッ!! 」
車の中や、仕事中のいつも笑顔が素敵で、どこかほんわかとした葵からは想像もつかない
ほど非常な剣幕で睨まれ、それ以上は何も言えなかった。
「それから……父さんが死んじゃったんだ……そりゃそうだよね、一生懸命働いても全部お金持ってかれて……僕一人食べさせるのが精一杯で……仕事中に……倒れて、そのまま……」
「ッ……」
「母さんも……頑張ったけど……親戚も誰も助けてくれなかったし……女手一つじゃさ……
だから……あいつらは僕に目をつけたの……
ぅ……」
語りながらぽろぽろと大きい雨粒のような涙を落とし、
「僕の……好きな映画と違うのはさ……正義のヒーローなんて……ぐしゅ……どこからも出てこなくて……僕は……母さんから引き剥がされて……売られちゃったんだッ……それから……それから……色んなヤツからいっぱい酷いこともされたッ……汚されたッ……だからッ! 僕は汚いんだッ! 君みたいな良い人がッ……僕なんか……好きになっちゃいけないんだッ……僕なんかッ……」
葵の辛く悲しい過去の思いが口をほとばしり、あふれ出す。
“あぁ……やっぱり……俺は、まだ……”
唇を噛みしめ、忍耐強く辛抱しきろうとしても聞いていられない……我慢の限界、込み上げてくる感情を抑えきれなくなって……身体の震え、羞恥心、躊躇のような、心を縛るモノを
なにも感じなくなった、
「ひゃっッ!? な、何してるんだッ……」
「すみません……後から土下座でもなんでもして謝りますっ」
水滴に濡れ、涙に濡れ、その冷たさに一人震えるその身体の震えを鎮めようと、愁は葵を抱きしめ、
「ちょっ……聞いてなかったのッ!? 離してッ……離してよっ! 」
抱き寄せようとした腕を拒み、暴れる葵。
恋い焦がれる相手に言葉で拒まれるだけでも相当に苦しいもの、更に質量のある拒まれ方というのは心になんとも言いようのない痛みがヒリヒリと走る、
“キツい……けどッ……”
それはどんなにきつい鍛練で感じるモノよりも、どんなに酷い怪我をおった時よりも痛く、苦しく骨の髄までしんしんと響く、響いているのだが、愁はそれでも葵を……
「絶対離しませんッ! 」
「ッ!!? 」
離したくない。余裕のある大人であれば、
もっと適切に的確に葵を苦しみから救う術を知っているかもしれない。或いは面倒臭いと突き放し逃げてしまうのも、大人として問題解決の一つの選択肢かもしれない……
“俺は……まだまだ大人じゃないかもしれない……けどっ……だからッ……”
愁には、真正面から葵にぶつかる以外の考えが思考の中に見当たらない。今まで、他人の言うことには素直に従ってきた愁の初めての反抗……葵にどんな凄惨な過去があって、どれだけの傷跡を見せつけられても、葵に抱く恋心に一切の揺るぎは無く変わることもない。
「お話を聞いても、気持ちは変わらないですッ……それに涼風さんにも好きって思われてたことが、凄く嬉しくて……」
「はぅぅっ…………だッ……」
素直な気持ちを正直に告げると、波がひくように葵の手足から力が抜けて行く。
その変わりに、キッ……と瞬きのない真っ直ぐな目で睨み付けてきて、
「だいたいッ、いくら好き同士だって、僕らは男同士だっ! 」
「関係ありません……それでも……大好きですっ……」
「うっ……それに、歳だって……十も違うじゃないかっ……」
「逆に年下の俺で、大丈夫ですか? 」
「そ、それは全然大丈夫ッ…………じゃなくて……僕なんかと付き合って、君のお父さんになんて言われるかッ!! 」
「父さんは最初から何だかもう気づいてるみたいで、全然大丈夫です」
「ホワッ……!!? じゃあ……じゃぁ……あぁ……えぇッと……」
ヒートアップしていく葵の言葉を、どれもこれもゆっくりと穏やかに受け入れ、
「き、君は、ぼ……僕の身体見ようとしないじゃないかッ! や、やっぱりこんな傷がある……」
「ッ…………それは、単純に……恥ずかしいからです……」
一瞬見ただけで鼓動が高鳴り、あえて逸らしてしていた視線をミルクのような肌色に落とすと、
「はぅッ……ぇ……エッチッ……」
「す……すいません……」
葵は理不尽に文句を言い、はだけた胸元を慌ててシャツで隠す。
「バカ……バカだ、君は……僕なんか好きになって……こんな身体にドキドキするなんてッ……」
「ごめんなさい……」
「君くらいカッコ良かったら……すぐに可愛い彼女が出来るんだよっ? 」
「そんなこと言われても……わからないです……こんなに好きになってしまったの、涼風さんだけですし……」
「はぅ……そ、それに……僕…………君がお客さんと仲良くお話してるだけで、ヤキモチしてるくらいには……めんどくさい性格だし……」
言い合っているあいだ、気づけば睨まれることもなく、拒まれもしなくなって、
「あっ! あと……スッゴく甘えるよッ……
寂しくなったら泣いちゃうし…………あと……あとね……映画とか一緒に見れたら嬉しいな……ぁ……甘いお菓子も好き……」
腕の中でもじもじと、自分の仕様書を丁寧に説明するように話し続ける葵は可愛いらしく、とろんと蕩かせ見上げてくる涙で潤んだままの深い蒼玉色の瞳は美しく、
「全部覚えてます、涼風さんと、いっぱい色んなお話して……内面まで可愛いって思って……大好きになっちゃいましたから……」
過去も何もかも関係ない、そんな葵の全てが好きで、好きで、大好きで、たまらない、
この人の為なら何でも、少なくとも自分の全てを差し出せるくらいには愛おしく、
「はぅ……河邊く……ん……」
「だから、そんな大好きな涼風さんの傍に、ずっと居させてもらえませんか? 」
上手く言葉に出来たか分からない、その証拠に上向いていた葵は突然にうつ向き、動かないでいる。
“どう……なんだろ……俺の気持ち届いてくれたかな……でも……例えダメでも……伝えたいことは全部伝えられたと思うし……後悔は……”
ギュッ……
うつ向く葵の綺麗な黒髪を眺めながら、そんな事を思っていると、腰に圧力を感じる。
「ん……? 」
「いて…………」
葵の腕が背中に回り、強く抱きしめてくる。そしてポソリと、耳に届かないくらいの音量で葵が何かを呟いた……
「え……と、もう一度いいですか……? 」
聞き返すと、葵はゆっくりと顔を上げ、
「そばに居て……」
驚いた。瞬きのたびに大きな涙粒が落ちる目と鼻先が赤かった、柔らかそうな髪が一筋、真っ赤な頰に貼りついて、
「ずっと……ずっと……ぅ……傍に……ぃ……ぐしゅ……一緒に……居てくれなきゃやだッ! もう……うぇ……河邊君の居ない日向なんて想像も出来ないッ……」
泣き顔なのに、不覚にも綺麗だと妖艶だとも思う。
「好きィ……大好き……僕だってぇ……ひっく……僕だって……最初からぁ……ひっくぅ……ずっと……好きだったも……いっぱいぃ……ひくッ……悩んだぁ……君だけじゃないんだからぁぁ……うぇぇぇェェ…………」
泣きじゃくる葵、厨房だけではない店内全てに響くような泣き声を上げて……
「涼風さん……」
「うぇぇ……ぐしゅ……ぐしゅ……離したらぁ……ひっく……許さないんだからぁ……」
自分だけではない、葵も日々の笑顔の裏で
苦悩していたかと思うと、さっきまでとは違い、まともな言葉など簡単には出てこず、
「はい……はい……」
つられて泣いてしまいそうな気持ちを抑え、ソッと葵の顔を引き寄せ、弟を慰めるように髪を撫でる事しか出来ない。
ともだちにシェアしよう!